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北陸の縄文と観光 環状木柱列を尋ねて17 2014.05.24(土)  2015.01.06再取材しました


   富山市埋蔵文化財センター展示館
   北代縄文広場  北代縄文館  富山県富山市北代3871-1   076-436-3664  月曜休館
   きただいじょうもんいせき

    年代  縄文時代中期後葉(4000年前)を中心の遺跡

    交通  ①富山駅観光案内所で無料レンタサイクルを借りる。②ニコレン富山駅南に事前予約して借りる(閉店したかも)
         ③富山ICより車で30分。 ④JR富山駅より北代循環行き地鉄バスで北代新下車 ⑤タクシーはほんとボラれるからやめとくこと。

    見所  北陸を代表する縄文中期遺跡である。  仮面土偶 小竹遺跡の木製鎧
         小竹貝塚人の人骨データ分析による出自の推定

         天神山式土器 串田新式土器 北陸地域の縄文遺跡の出土物
         午前中は解説ボランティア駐在。 復元竪穴住居がフロアのほとんどを占める、展示物の少ない小さな展示館です。

    特記  耳飾りの流行


     ※他地域ではないことですが、 富山には小さな縄文博物館が沢山あり、其々に重要な展示物があります。

       ①それほど沢山の縄文遺跡がある。②県民の意識が高く遺跡を大切にし、誇りを持って展示館に協力している。
       これは大変すばらしいことで、一つ一つの博物館・資料館を紹介することは大変価値の高いことだと思います。



 
11外観と復元住居
   富山市北代縄文広場
21遺跡概略
30食べ物と調理のようす
31漁具・狩猟具・調理道具と食物残渣
40串田新式・天神山式土器
41土器片
43磨製石斧と串田新式土器破片 
44土器片
45磨製石斧

50復元竪穴住居と出土土器片
57竪穴住居
58出土土器
60有孔鍔付土器
61土器    中期中葉の土器

70いのりとかざりの道具
71いのり
73いのり2 
74かざる -耳飾りの流行-
76ミニチュア土器        

80仮面土偶
81長岡八町遺跡の土偶やいのりの道具

100小竹貝塚
101弥生時代の出土品
110小竹貝塚 人骨データの分析と結果
           ―小竹貝塚人の出自―



 11外観と復元住居

 呉羽丘陵西側にあり、南1㎞には富山県埋蔵文化財センターや県立図書館がある。

 呉羽丘陵東側には
      富山市民俗民芸村があり、民芸館民芸合掌館陶芸館民俗資料館売薬資料館考古資料館篁牛人記念美術館
      茶室円山庵とやま土人形工房がある


2015/1/6
再取材しました
冬の縄文生活は
やはり大変
閉鎖中でしたが、開けて下さいました 土置き屋根の住居
北方系の住居建築
掘立柱建物
(高床建物群)
この梯子なんて名前だったか 高床建物は倉庫か
掘立柱建物は葬送
高床建物群儀礼の建物。屋根倉(やねくら)倉庫です 土置き屋根建物に立派な煙出し付き 2014年春の写真 富山市北代縄文広場 施設全景

富山市北代縄文広場

 北代遺跡は縄文中期後葉(4000年前)を中心に営まれた大集落跡で、竪穴住居78棟以上・高床倉庫跡4棟以上が確認されています。
 北代式と呼ばれる土器、土偶、石器などその豊富な出土物は、北陸の縄文研究にとって貴重な資料となっています。

 この広場は、縄文時代中期の集落のようすを再現したものです。 土屋根の竪穴住居5棟と高床倉庫1棟を実物大で復元しました。
 また、北代遺跡出土品を見学できる北代縄文館、地層の堆積の様子が観察できる土層展示場があります。
    引用北代遺跡 - いこまいけ高岡

 21遺跡概略
北代縄文広場全景旧石器時代から古代までの断続的集落遺跡 はじめに縄文中期後葉4000BP 富山の遺跡年表 北代遺跡と周辺遺跡蜆ケ森貝塚、小竹貝塚など 立地と周辺遺跡  近辺の蜆ヶ森・小竹遺跡は縄文前期5500年前の遺跡です。

 この付近の高床建物遺構は、柱が二重に巡らされているようです詳細不明

 環状木柱列建物の様なものはありませんでした 

 30食べ物と調理のようす
 31漁具・狩猟具・調理道具と食物残渣
入口展示 たべもの
狩猟漁労採集生活
調理の様子
動物骨魚骨 植物残渣

魚類や鳥類、堅果類

狩猟具

石錘 土器片錘 石鏃石錐 石匙

凹石 敲石 磨石 石皿
お焦げ付き土器片

石錘 土器片錘 軽石

火山性岩石の軽石はどこ産かな

石鏃 石匙 石錐

寄贈された石鏃

中村武夫氏寄贈の石鏃

小型磨製石斧
彫器と呼ぶべきか

展示室入口

 40串田新式・天神山式土器
 41土器
串田新式土器 天神山式土器
中期中葉の土器
渦巻文を特徴とする

渦巻や、円形のボタンのような突起を貼りつけて文様をつくっています縄文土器(深鉢)
串田新式土器
中期後葉の土器
貝殻文・波状口縁・ラッパ状鉢形土器・有孔鍔付土器

  天神山式土器 中期中葉(約4,500年前) 渦巻や、円形のボタンのような突起を貼りつけて文様をつくっています
古府(こぶ)式土器 中期中葉(約4,500年前) 粘土をひも状にしたものを表面に貼粘土をひも状にしたものを表面に貼りつけて、
渦巻文様をつけています。
渦巻の上をヘラ状のもので刻み目をつけています。
串田新式土器 中期後葉(約4,000年前)
          土器の表面は、貝殻の縁を連続して押しつけたギザギザの文様や、棒状具によって木の葉に似た文様が描かれています。
この土器の特徴は、底から口にかけてラッパ状に広がり、口縁部につけた4つの大きな波形の先端がU字状にくぼむ形です
食物を煮るための鍋や貯蔵容器として使われました。

                       引用縄文土器(深鉢)富山市埋蔵文化財センター

 43磨製石斧と串田新式土器破片 
 44土器片
串田新式土器 左 土器底の網代文
右 補修孔のある器


 45磨製石斧
    北代遺跡から蛇紋岩製石斧の原石や未成品が発見され、製作工房があったそうです。
    糸魚川から離れた富山でも蛇紋岩製石斧の制作ができたのは、蛇紋岩原石の流通があったからでしょうか。

蛇紋岩石斧の制作方法 左 縦斧 右 横斧

参考二上山サヌカイト製石斧
磨製石斧・未成品・砥石
小型磨製石斧 磨製石斧
打製石斧
磨製石斧
小型磨製石斧 磨製石斧
打製石斧 磨製石斧 
磨製石斧未成品
 砥石

 50復元竪穴住居と出土土器片

 57竪穴住居
    四角形の高床建物は規模が小さいので倉庫と考えられています。
    竪穴住居は土葺きで6~10畳敷き。弥生時代まで使い続けられたという。それまで、縄文人が残っていたという証拠である。

済む 竪穴住居 高床建物 柱穴が二重になっている 土葺き竪穴住居
北方系の建築

  高床建物柱穴から出土したクジラの椎骨は、低湿地であるから柱穴に柱が沈むため、それを防ぐために柱根に入れられたものかと思います。


 58出土土器 
第76号住居跡出土土器縄文前期~中期 串田新式土器
中期後葉
古府式土器
中期中葉
押形文(条痕文)土器
早期~後期

70号住居出土
中期前~後葉
70号住居出土
中期前~後葉
ナガスクジラ椎骨 古府式土器
中期中葉
串田新式土器
中期後葉
押形文(条痕文)土器
早期~後期


 60有孔鍔付土器

 61土器 中期中葉の土器
引用有孔鍔付土器 口縁の下の張り出した鍔の上に11の小さな穴があります 胴部には把手状の突起が4か所あり、その一つは先端部に凹みを付け、 一方に2つの小さな穴を表現して、あたかもヘビが大きな口を開けている 様子を模したもののようです。
ヘビが口を開けたところを表現したとある 全体に弁柄とみられる赤色顔料が塗られています 有孔鍔付土器の用途は
口に皮を張った太鼓説
酒を入れる容器説など
はっきりとはわかっていません それにしても
 迫力のある土器です。

 縄文陶工の芸術感覚に脱帽です

 70いのりとかざりの道具
 71いのり
小型土偶 各部頭 胸 腹 腹 足
頭 抽象化土偶 腕 胸 脚
三角とう形土石製品
動物形石製品
ミニチュア土器 
岩版 石剣 石刀
人面付き土板 石刀

石棒
土偶 土偶 三角とう形土製品
ミニチュア土器
動物形石製品 岩版 石刀
人面付き土板 石刀
石刀 石棒 いのるこれは下の三点の解説 三角とう形土製品
岩板
動物形石製品

 73いのり2 
タカラ貝形土製品
三角とう形土製品
タール付き土偶
目の中にタール(接着剤)がある土偶。もとは玉石がはめ込まれていた土偶 三角とう形土製品
底面以外に模様を描画
使用目的は不明
中には紐を通す穴のあるものもある タカラ貝形土製品
別名は子安貝で安産のおまもりと考えられている
しかし、これは、女性の象徴だろう

 74かざる  参考第3回 縄文時代の装身具 - 公益財団法人 かながわ考古学
ヒスイ大珠/特別な呪力を持つ呪具は右図のような少女の装身具ではなく シャマンや権力者の道具 かざる 円盤状土製品 翡翠原石
有孔球状土製品 耳飾り 垂飾品 玉翡翠未成品
円盤状土製品
土器片を円形にしたもの
死者への葬送品
有孔球状土製品 耳飾
ヒスイ原石 垂飾品 ヒスイ大珠未成品 土玉 玉類 砥石
ヒスイ大珠 玉 玉砥石
土玉 玉類 砥石 ヒスイ大珠未成品

 耳飾りの流行
前期 玦状耳飾が主流 滑石・蛇紋岩を加工し1ヶ所に切りこみを入れ、穴をあけた耳たぶにはめた。土・骨製品もあった。
中期 栓形が流行 これもやはり、耳たぶに穴をあけて装着したものです
後期 滑車形 土製耳飾が大型化し直径10㎝も。  精巧な透かし彫りが施されたものなど。
     参考文献縄文時代における土製栓状耳飾の研究 - 名古屋大学


 有孔球状土製品
   正円の穴がまっすぐに貫通する紡錘形や円筒形、球形の土製品を、有孔球状土製品と呼んでいます。
   富山県東部と新潟県西部を中心とする北陸北部地域と、東北から関東に至る太平洋岸地域の縄文時代後・晩期の遺跡から出土し、
   石川県は分布の最西端にあたります。

   文様がとても優美な一品ですが用途は不明で、装身具、紡錘車、あるいは硬玉を穿孔する時の弾み車など諸説があります。
       引用第23号(2006年3月) - 石川県埋蔵文化財センター

 76ミニチュア土器  死者の副葬品
磨石 赤彩土器
赤彩土器
朱塗り 弁柄

あの世における祭祀具
被葬者はシャマンか
唐草模様のミニチュア土器 磨石・赤彩土器   死後の世界は土の下の世界。地面を挟んで倒立した世界。
 かつ、山の上に精霊の世界があり神々や祖先の霊が住むという。
 そこでは、普段と変わりない生活が送られていると考えた。

現代日本人の思考に近似
   アイヌの死生観より


 80仮面土偶

 81長岡八町遺跡の土偶やいのりの道具  縄文後期-晩期 (3500-3000)  住所 富山市北代新 北代遺跡の近隣です

   幅 9.5cmほどの紐穴のある土偶が発見された。 人が被る・死体やミイラが被る大型仮面ではないが、
   土偶としては頭部だけで10cm四方の大型。仮面の後ろに8cmの半球形粘土塊をつけて後頭部としている。

       引用富山市長岡八町遺跡発掘調査報告書


   仮面をかぶった女性を表した土偶の仮面。などというわけのわからない説明。が、ついている。
   同時に男性器を象徴する石刀が発掘されたことから、エグイ祭祀の痕跡でしょう。 ネッ!


   仮面の似顔絵が女性に孕ませたい人物で、石刀という男性器の張形ですから、何をした祭祀が一目瞭然ということか。

   死んだ近親者の霊を女性に身ごもらせたいと考えた儀式と思います。(私見)  
   縄文人は懐妊の儀式をすると簡単に妊娠すると考えていたそうです。

長岡八町遺跡の土偶
仮面土偶
仮面穴のある土偶ってちょっとヘン 長岡八町遺跡、北代遺跡、豊田大塚遺跡は近所。 辺り一帯に同様の文化があったでしょう。 御物石器 (両頭石斧が祭祀具化した)
石刀 (男性器の張形)
垂飾 砥石 石核
石鏃 剥片
磨製石斧 打製石斧
縄文土器晩期 縄文土器晩期



 100小竹貝塚 出土の弥生時代とそれ以降の遺物
 101
縄文時代小竹貝塚
剥ぎ取り標本
小竹遺跡概要図 貝塚出土の貝 前期海岸線と遺跡図 小竹からの眺望
貝塚からの行動範囲
弥生時代
弥生時代の遺物
弥生時代土器 磨製石斧
玉砥石 玉
玦状耳飾
弥生時代の
紐列式木楯
籾殻
泥はね除け付き木鍬 赤塗は鍬部分 弥生土器 弥生土器 古代古代土器
小竹貝塚の変遷
開ヶ丘狐谷Ⅲ遺跡
縄文中期中葉
北代同時期の遺跡 放生津潟の変遷
小竹
 前期中~後葉
蜆ヶ森 前期
北代
 中期中~後葉
遺跡の位置図


 110小竹貝塚 人骨データの分析と結果

       頭骨の縦横比から分析類推した小竹貝塚1号人骨の出自

小竹貝塚の変遷
前期5000~6000年前
出土最少個体数100体
放生津潟周辺遺跡
淡水-汽水-海水の産物
弥生後期~終末期
溝・竪穴住居・土器・多様な木製品・稲もみ
縄文時代人骨の分析
小竹貝塚出土人骨数100体
1号女性人骨/年齢40-60
頭蓋骨の縦横比で
他の人骨と比較分析した
頭蓋最大幅137㎜
顔高    105㎜
 頭蓋最大幅165㎜
分析の結果

①縄文以前に東南アジア新石器-鉄器時代人似の集団がアジア大陸を北上。安陽青銅器人になり
北上・東進・南下して北海道縄文前期の北小金人となった。


②縄文前期までに山陽地方から縄文時代中・後・晩期人になった集団が南から東北地方にまで達していた。

③北小金人似の集団が東北から北陸にまで南下し小竹貝塚人になった。
小竹貝塚1号人骨の形態分析

④この集団は山陽地方には達していなかった。

縄文前期の山陽地方には東南アジアの新石器~鉄器人が住んでいた
縄文時代人の列島への
移住・拡散概念図
①インドシナ半島から大陸を北上し樺太・北海道・東北→北陸へ

②スンダランドから北上し長江河口から九州・東海・関東・東北へ


 要約 小竹1号人骨(女性 熟-老年)は
     スンダランドから中国大陸を北上し、サハリンンから南下し、北陸に達した集団の人骨でした。
     また、同様にスンダランドから北上し、朝鮮半島経由などで北陸に達した南周りの集団と同居していた。   ようです。