北陸の縄文と観光 環状木柱列を尋ねて12 2014.05.23(金)
朝日町 不動堂遺跡 と朝日町まいぶんKAN
展示施設 朝日町埋蔵文化財施設 まいぶんKAN 富山県下新川郡朝日町不動堂214 0765-83-0118 休館日火曜と年末年始 09:00~17:00
復元施設 朝日町歴史公園 富山県朝日町横水302-1の東隣 0765-83-1950(歴史公園管理事務所なないろ館)
年代 |
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縄文時代中期 初頭~中葉(5000~4500年前) |
交通 |
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レンタカー |
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見所 |
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大形竪穴住居を持つ集落遺跡です。 |
失敗 |
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HPをチェックしながら計画を立てましたが、この館も羽咋歴史民俗資料館と同様、常設展を取り払い、企画展をしていました。 |
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幸い、羽咋と違って、しまい込んだ倉庫の中で見せてもらいました。ただし、一部です。
このため、写真の順番も全て再構成しなければならず、大変でした。
小さい館は常設展が消えてしまうので、事前に問い合わせや、しまっているものを見せてくれるか確認の必要あります。 |
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注意 |
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復元住居は朝日町歴史公園付近にあります。美術館や喫茶店がある一角です。 |
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訪問日には企画展のため、多くの貴重な展示品が撮影できませんでした。不破医院のページにありますのでご覧ください。
朝日町埋蔵文化財施設 まいぶんKAN
年代 縄文時代中期 初頭~中葉(5000~4500年前)
21a外観 写真を撮っていなかったなんて不注意も最たるものです。
写真拝借
yukaのプチ旅ブログ 昭和30年代風のスラブ屋根といわれる管理棟です |
展示棟は吹き抜け建物で廃校の体育館みたい |
この写真しかない |
私は見せてもらっていませんが、有名な土器です |
富山の土器編年
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21柳田遺跡 発掘の経過 詳細は51扇状地の縄文遺跡地図参照
福浦上層式土器
縄文前期末葉の土器
土器のみを埋設。朱塗り土器で祭事、土器を蓋にした土器棺も出土 |
福浦上層式土器
北陸西部が分布中心。縄文前期末葉の土器。口縁部が大きく開き、胴部が円筒形orやや膨らむ深鉢が中心の土器 |
近くの海で拾った、蛇紋岩・翡翠と遠く和田峠で採れた
黒曜石を加工するのはこの付近では初耳です
黒曜石は蛇紋岩の石器と交換したんでしょうか。 |
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22柳田遺跡 6000~800年前 縄文時代前期、中期、後期、晩期 と 中世
他の地域で産出した石が持ち込まれ、一大石器加工センターとして繁栄していたようだ。
古来から石器土器が出土した。攪乱土層
その上に中世の遺跡 |
柳田遺跡周辺に沢山の遺跡がある |
平成14年度調査
右 埋納縄文土器 |
前期末葉の遺跡と中世の埋甕遺構が重なる。
近世近代まで埋甕の風習はあった。 |
柳田遺跡(前期~晩期)周辺の遺跡
不動堂(中期)、
下山新(中期~後期)、愛本新(中期~晩期)、
風野(中期~晩期)、 坪野(中期~晩期)etc
同時期に多数の遺跡が千年~数千年間も
近接してあった。
石器製作を生業にし、食糧確保に広大な扇状地の豊かさが 理解される。 |
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23石器
砥石・筋砥石 縄文前期石器玉器の研磨用 |
黒曜石破片 |
石鏃と石匙石匙は北方民族が使うナイフと同じ形、同じ役目※ |
腰の周りは切れまくるぜ
腰飾りの鹿角は突き刺さるしナイフぶら下げて尻は切れるし。ってもっといい事想像しようよ |
翡翠原石 姫川以南には各地に石器玉器加工のムラが散在した |
瑪瑙、玉髄、鉄石英、
軟玉
蛇紋岩製装飾品、
玦状耳飾未成品 |
玦状・馬蹄形耳飾は台湾とそっくり。
箆状垂飾・管玉・玦状耳飾 縄文人と中国東北部文化人との接触 |
黒曜石交易ルート
朝日町は和田峠産
長者ヶ原は箱根かな
調査 |
石鏃と石匙の使い方 |
※
最近、石匙のつまみに紐をつけて腰にぶら下げていた、とする博物館を見かけます。
腰に大型出刃包丁を、
抜き身でぶら下げて歩く馬鹿はいない。現実を知らない想像の産物。うそ。 |
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24石器と土器
磨製石斧 縄文前期 |
打製石斧と磨製石斧 |
打製石斧
石製鍬・鋤 縄文前期 |
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浅鉢 6.6㎝
縄文時代前期末葉
約5100年前 |
浅鉢 8.1㎝
縄文時代前期後葉
約5500年前 |
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25柳田遺跡 後期
26土器
土器片 縄文後期
注口土器、土製耳飾 |
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小鉢 後期4000年前 |
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30不動堂遺跡 縄文中期 詳細は51扇状地の縄文遺跡地図参照
31 2~3号住居 天神山式土器 朝日町の北隣 魚津市天神山遺跡を標準遺跡とする、富山県西部を中心に分布する土器。
38 16号住居
浅鉢 中期前葉4800年前2~3号住居 この住居の他の出土物は未撮影 |
どこかに厳重にしまわれていたようです |
深鉢 中期前葉4800年前 |
深鉢 中期手前 天神山式 |
有孔鍔付土器中期5000年前 16号住居 |
天神山式 中期中葉
5000年前
深鉢 口縁部 |
中期前葉4800年前
小型土器 |
中期前葉4800年前
小型土器 |
磨製石斧、石鏃 |
深鉢口縁部
天神山式土器ってどこ?
北陸には多い土器形式 |
北海道に天神山式土器があるんだが同じかなぁ
だとすると、なぜ? |
火焔土器に匹敵する素晴らしい造形。復元完成品が見られず残念。 |
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40中期 境A遺跡 国指定重要文化財 詳細は51扇状地の縄文遺跡地図参照
大変重要な遺跡ですが、出土物のほとんどは富山県埋蔵文化財センターに持って行かれています。
ために、ほんの少ししか展示されていません。
41土器 中期中葉 約4500年前のミニチュア土器など
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45後期末葉 境A遺跡
46注口土器
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26柳田遺跡 後期からも出土
通過儀礼の抜歯や呪術に使われたのか
抜歯時の薬草を入れた祭祀土器との
考えもある |
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50下山新遺跡 縄文時代 前期、中期、後期の4000年に渡る遺跡
51説明パネル
下山新遺跡黒部川扇状地の豊かな土地で、4000年に渡る遺跡が出土する |
発掘調査より吊手土器埋納跡 新崎、天神山、古府、串田新、気屋、各形式の土器多数 |
扇状地の縄文遺跡地図 |
吊手土器出土状況 |
3・4号炉周辺 |
隣接遺跡位置関係 |
生成17年度調査住居跡、円盤形石器
ヒスイ加工痕跡出土 |
住居跡1棟に2基の炉楕円住居 |
住居跡平面図か、1基は儀式用炉か |
遺跡間の距離は
最低2~3㎞です。これは狩猟罠を仕掛ける距離です。
しかし、ここでは遺跡が近接していて、大変密接な血縁関係だったのでしょうか。 |
全てのムラが翡翠加工の生業で、
または、食糧調達など分担していたのかもしれない。
競合せず、協調して集落群を運営することができたようです。 |
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53石器・土器
翡翠原石
円盤石器、磨製打製石斧
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吊手土器
(ランプ型土器) |
生乾きの時に竹べらで窓を開けたのかな |
串田新式土器、鍔付土器
中期後葉 |
深鉢 中期中葉
4500年前 |
深鉢 中期 |
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台付き鉢 4500年前
中期中葉 |
台付き鉢 4500年前
中期中葉 |
台付き鉢 5000年前
中期中葉 |
下山新遺跡の
有孔鍔付土器 |
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70古墳時代の玉作り
72説明パネル 浜山玉つくり遺跡では、硬玉の原石を焼き、加工したとある。焼くと色が変わる。高度な技術を持っていた。
工房跡で出土した遺物制作途中の未成品が出土 |
浜山玉つくり遺跡
他に例のない制作技法 |
勾玉ってなあに朝日町は5000~1500年前のヒスイ加工工房遺跡
勾玉は富と権力の象徴。死後の世界にも通用した |
玉づくりのムラその後いろいろな形の玉製品
古墳中期に硬玉はすたれ島根の軟玉に変わる |
玉造部玉造り部の歴史 |
朝日町の不思議朝日町は弥生時代に集落が消滅し古墳時代に復活している |
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73古墳時代の玉作り 製作工程
上の写真2の特殊な翡翠加工技術、浜山技法 の展示
浜山技法 1500年前縦割技法・横割技法 |
原石を焼き、縦横に割る縄文とは異なる技術。
半島渡来の職人集団か |
臼玉製作工程 滑石製 |
埴輪に見る古墳時代の玉製装身具平玉、勾玉、管玉 滑石 |
管玉、臼玉、勾玉 |
砥石、紡錘車、鉄製品
紡錘車と鉄製品は、石に穴をあけるドリルと
はずみぐるまです
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朝日町歴史公園 -不動堂遺跡-
不動堂遺跡kの復元住居は2013に燻蒸中に出火し3棟のうち1棟が燃えてしまいました。それと同時に休憩所の展示物も減っています。
完璧なものは以下の二つのホームページでご覧ください。
・邪馬台国大研究-不動堂遺跡 大阪本町のリッチなご隠居さんの歴史クラブです
・朝日町不動堂遺跡・野外竪穴住居復元遺跡 愛知県の不破医院。リッチなお医者さんのホームページです
わたしんちの写真はカメラも腕も悪いのでいい写真はありません。すみません。定評のある上二つをご覧ください。
00地図 場所を確認してください。
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・地図上の、不動堂遺跡のピンの所は民家が建ってます。
・朝日町歴史公園の東隣になります。
・百河豚美術館の南側に石碑「不動堂遺跡」があり、
復元住居もあります。
ここを不動堂遺跡と言っています。しかし、地名地番が違う。
地名は 富山県下新川郡朝日町横水となっている。
めちゃくちゃですね。大笑い わけわからん |
百河豚と書いて
「いっぷく」と読むそう
凄い作品があるようだ |
01不動堂遺跡復元住居 展示場
縄文中期の住居21基
貯蔵穴9基 |
二号住居跡は長楕円形
長径17m×短径8m
炉穴が4基 |
当時日本最大の大型竪穴住居跡でした。
三内丸山は32m×10m |
東西100m南北90mが国の史跡に指定された |
休憩舎にパネルや土器片、石器を展示 |
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02年表
不動堂周辺遺跡・
両越国境の略年表両越とは越中・越後
年表が横中過ぎ!
入りきれない。 |
1万年前 槍先状尖頭器
押形文土器
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写真削除
昭和48年に長楕円形竪穴住居跡が発見された |
写真削除
大形竪穴住居発見のようす |
写真削除
海岸と河川沿いに遺跡が見つかっている |
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03土器
天神山式土器縄文時代中期5000年前 |
火焔式土器縄文時代中期5000年前 |
縄文土器 浅鉢縄文時代中期5000年前 |
天神山式土器 |
火焔土器 |
深鉢 |
浅鉢 |
深鉢 |
深鉢 |
有孔鍔付土器 |
深鉢 |
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04石器
色々な形の石器 |
石錘、敲石、擦切原石 |
擦切原石、砥石 |
大石棒
この写真しかありません |
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富山の土器編年
周辺の土器 |
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06縄文時代と古墳時代
縄文時代 |
古墳時代 |
縄文中期前葉の土器
土器模様、吊り手土器 |
古墳時代の
かまどのある竪穴住居
管玉と勾玉 |
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縄文時代
・縄文式土器を使う新石器人。日本人の祖先。竪穴住居に棲む血縁者集団。貧富差小。狩猟採取生活。土偶石棒などまじないや抜歯など通過儀礼。
古墳時代
・4c~7c大和地方に統一国家形成。陵墓形式を統一し横穴・竪穴の石室のある盛土の墓とした。巨大な陵墓と豪華な副葬品は権力の象徴でした。 |
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07石斧
石斧樹木伐採や薪採取。イルカや動物の解体に使用 |
打製石斧縄文時代中期 5000年前 |
打製石斧、有肩石斧小型磨製石斧(彫器)は木材の細かな加工に使用 |
打製石斧 |
打製石斧 |
打製石斧 |
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08磨製石斧製作工程
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10住居跡
1号卵形住居 中期前葉 |
4号長円形住居中期前葉 |
2号住居 大型竪穴住居
中期前葉 17m×8m |
2号住居 中央に間隔よく4基の方形・円形の炉と二個の埋甕 |
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かつて東南アジアの山岳民族が一母系家族で何十人もで住んでいた。
遺跡を見るときに、一家族、一所帯や、一夫一婦制、など現代の日本人の社会通念を持ち込まないことです。
大きな建物は集会所。や作業場。なんて、全く現代との混同です。 |
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復元住居燻蒸中 | 市職員によって防腐対策の作業中でした | 2013.10月に火災が発生したとのことで | 厳重な警戒のもとに行われていました。 | まぁ、だれもこんなところに入って写真は撮らない | ゲホッ ゲホッ | | | | 大形竪穴住居内に簡単な仕切りがあった。
燻蒸のため写真になっていない。 | なにぶんにも、運の悪い私です。
せっかく遠くまで来ても、
たまたま偶然のこんな作業にぶつかることが多い | |
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