北陸の縄文と観光 環状木柱列を尋ねて 05 2014.05.22(木)
桜町JOMONパーク 富山県小矢部市桜町1716-1 桜町JOMONパーク 0766-67-5255 休館月曜・休日の翌日9:00〜17:00撮影可
遺跡名 桜町遺跡 縄文中期末4000年前の高床建物の部材が出土 縄文晩期末2800年前の環状木柱列が出土
特徴 谷川跡から木材を水漬にして柔らかくして加工した遺構や、全国初の加工材や道具。 特に、建築部材とみられる加工材が多量に出土。
時代 縄文中期末から後期初頭(4千年前) と 後期末〜晩期前半(3千〜2.7千年前)の遺跡 縄文時代中期から後期初頭の遺跡
交通 あいの風とやま鉄道線石動駅(いするぎえき)下車 駅の観光案内所でレンタサイクルを借りて、ついでに地図や観光案内もしてもらう。
桜町縄文パークは北に1.5q 駅南に小矢部ふるさと歴史館1qくらいだったと思う
見所 環状木柱列。高床建物。重量物を運んだY字材。谷川の水と無酸素状態に封じ込められ、発見の瞬間まで緑色をしていた「こごみ」。
失敗 ここは、桜町遺跡の場所、復元の環状木柱列と高床建物、がメイン。展示物はパネル。しかし、館長から貴重な話も聞けました。
編集の目的 桜町遺跡の概略をつかむこと JOMONパーク 桜町遺跡ガイド
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目
次 |
01概要
土層模式図
01a桜町遺跡の消長と富山の土器形式
02土器
中期末の土器形式
晩期の土器形式
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03発掘された木材
05暮らしの道具
06食生活
07木柱
08祭祀具 |
09展示パネル
10環状木柱列
11高床建物 |
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01概要
先史時代の谷川に形成された遺跡です。縄文前期には谷の出口に湖沼があり、そこに集落が形成され、やがて降水量の増加で谷奥へ移動した。
水場遺構で、堅果類の保存あく抜きと、木材加工用に木材を水漬にし柔らかくしていた。
更に、2800年前の環状木柱列が発見された。これは、北陸地域では大変古い木柱列です。その他、土壙墓も発見されましたが住居跡は未発見です。
桜町縄文park看板
遺跡からは縄文前期
〜弥生・古代の遺物 |
展示館外観が出土しているが、
中心は中期末と |
展示室入り口後期末である |
Y字材 正面側面
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Y字材
用途不明の加工材
誰かを縛りつけて鞭でシパクとか(笑) |
川跡からの加工木材出土木を水に漬けると柔らかく加工しやすい |
ごあいさつ
加工材出土全国初 |
谷川跡の発掘
縄文層の上に厚い黒土層。伐採焼畑跡か |
桜町遺跡とは森の遺跡。
木材加工のムラ。
4千年・3千年前に最盛期。水場遺構
環状木柱列遺跡 |
中期末〜後期初頭
4000年前豊かな広葉樹の森
トチ・クリ・クルミ
サケ・マスの遡上 |
後期末〜晩期
3000〜2300年前樫・シイの森ドングリ
環状木柱列・土偶岩版・石刀の祭祀具 |
開発前の遺跡 |
道路建設後の発掘大きな谷川だった |
発掘年次図 |
土層模式図 |
こんな小さな谷筋に1万年も人が住み続け、大量の遺物を残している、稀有な遺跡。今は道路の通過で破壊された。
この谷の出口にはかつて湖が広がっていたという。先史時代となぜこんなに地形が違うのか訳が分からない。
・縄文晩期以降に(弥生期のことか)何度も土石流が発生し遺跡が埋設され、その上に古代遺跡が検出される。
真脇遺跡でも同様のことが起こっており、弥生期の少なくとも北陸地方は豪雨土石流の時代であったようだ。
引用桜町遺跡発掘調査報告書59.pdf 縄文土器・石器編2(82.0MB) |
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01a桜町遺跡の消長と富山の土器形式 引用桜町遺跡発掘調査報告書61.pdf縄文時代総括編(78.0MB)
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02土器 出土土器は、縄文前期〜弥生〜古代〜中世まで長きにわたっている。その中で特に、中期末〜後期初頭と後期末〜晩期前半のものが多い。
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03発掘された木材 水場施設材と穴開き部材 (中期末〜後期初頭 4千年前) 穴開き部材はリサイクル材と考えられています。
加工のある水場施設材(中期末〜後期初頭)4000年前
堅果のあく抜き・殺虫 |
水場施設材水場を区切る木材
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水場@水晒し場流れの下流に食べ物の水さらし場 |
水漬けの部材 |
木器の加工保管場木の乾燥割れ防止
材を柔らかし加工を容易にするため |
後期後葉〜晩期水場仕切り部材 |
中期末〜後期初頭
堀棒等木製品出土 |
中期末〜後期初頭半割材 |
半割材実物1柱と思えないほどの様々な加工のあと
再利用材の可能性 |
半割材実物2
四角いほぞ穴 |
半割材実物3
真ん中が裂けている |
半割材実物4
割れたのではなく、初めからこの設計 |
貯蔵穴クルミが残っている |
貯蔵穴3000〜2300年前
ドングリ |
貯蔵穴ドングリ後期後葉〜晩期前葉 |
ドングリとか見えるよ |
巨大木柱根村の存在を示す立柱が五本立っていた |
木柱根 |
格子状木製品石器で大変精緻な木材加工技術があった |
貯蔵穴
高期末〜晩期前葉
3000年前
水の中の貯蔵は初耳 |
貯蔵穴の蓋
堅果類の保存穴 |
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05暮らしの道具 縄文中期末〜後期初頭4000年前
住居跡は未検出 |
石匙、石鏃 |
打製石斧4000年前 |
磨製石斧 |
同一反復 |
@住居跡が検出されないのは、
谷は作業や保存・貯蔵・あく抜きに適した場で、そのためだけに使い、↓ |
石錘 |
擦石、凹石、敲石 |
石皿と擦石 |
土偶 |
A谷外に居住したようです。
しかし、ではなぜ土壙墓があるのでしょう。どうも、作業員の生活の場は谷中にもあったようですね。
Bなぜなら、
谷から発見されたものはまさに生活道具そのものです。
竪穴住居は造れないのでキャンプの様な、かけ小屋のような粗末な作業場でしょうか。 |
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06食生活
奇跡のコゴミ
コゴミは発掘された瞬間、何千年も泥の中に密閉され、無酸素状態で緑色だった。
泥を洗い流すと、酸化し、たちまち黒く変色したそうである。立ち会った人の話。
縄文人の食生活植物食中心、堅果類山菜鹿イノシシ、サケマス |
コゴミ 奇跡のコゴミ |
イノシシ下顎骨
中期末〜後期初頭 |
溶けちゃった鮭鮫の歯 |
ひょうたんひょうたん アフリカ原産植物種は中部地方でよく発見されている
半島では相当以前から栽培されていた |
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07木柱
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08祭祀具 3000〜2700年前
縄文の祭祀と祭祀具土偶石棒 石剣石刀
岩版岩偶石冠独鈷石御物石器 |
装身具と魔除・通過儀礼石・土製玉類、漆塗り竪櫛。
入れ墨、抜歯研歯 |
土偶
後期末〜晩期前葉
3000〜2700年前 |
結歯式竪櫛 後期末〜晩期前葉
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把手付赤色漆塗鉢 後期末〜晩期前葉 |
結歯式竪櫛
・櫛には刻歯式と結歯式
歯を刻むと、棒を結わえ
漆で固める方法とがあり。
左の竪櫛は北海道石狩低地のものによく似ている
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09展示パネル
水場の木組み作業足場と水漬加工材 |
採集と調理と保存穴動物減少で植物食増加 |
立柱と環状木柱列祭祀柱と円形建物 |
謎の木材と彫刻部材修羅とトーテムポール |
桜町遺跡の価値特異な北陸式縄文遺跡 |
土器と遺跡の歴史
※1 |
狩りと漁労175pの大弓を使用した |
サケ・サメ・石錘内陸の遺跡はサケ漁 |
飾り装身具は権力者のしるし |
土偶石棒石刀岩版残虐な祭祀の道具 |
漆塗り鉢・漆塗り土器神に捧げる血色の器 |
カゴ・ザル 縄・織物漁労・採集の必需品 |
※1 |
早期8千年前 |
押形文 |
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前期6千年前 |
極楽寺式 |
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中期4.4千年前 |
国府式 |
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中期末4.2千年前 |
串田新式 |
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後期初頭4千年前 |
中津式 |
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晩期3千年前 |
御経塚式 の各土器 |
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10環状木柱列 縄文時代 晩期中頃(約2700年前)
入り口付き木柱列 |
イギリスのウッドサークルを髣髴する再現 |
しかし、ただの柱だけでよかったんです。 |
祭祀施設ではなく、建物跡が有力だそう |
現在は巨大栗材は手に入りません。細い |
正面の建物は客寄せアスレチック遊具です |
誰か環状木柱列の建物を設計して下さい |
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11高床建物 縄文時代中期末〜後期初頭 約4000年前
ほぞ穴のある部材が発見され、即、高床建物だと教授が叫び、 |
それによって再現されたが、現在ではこのような断定は間違い。とされ。 |
単に穴開き部材として、目的不明の加工材とされている。 |
ピンボケなので拝借
引用 |
出土したのと同じひょうたんを栽培しています |
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