南の縄文 第2部 この旅は2014/02/03~02/16まで行いました。途中、春の嵐や二人組の中国人女性と道連れになるなど変化に富んだ旅の続きです。 縄文を旅する4 南の縄文 沖縄~九州23 2014.02.15(土) 高千穂町歴史民俗資料館 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井1515 0982-72-6139 休館日は年末年始だけ
第1次「南の縄文」はこれで終わりです。ありがとうございました。 |
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001高千穂町コミュニティーセンター 高千穂町は海抜300m程度のところですが、地形のせいで雪が沢山積っていました。低いのに寒い所ですね。 高千穂町コミュニティーセンターの中にある歴史民俗資料館 コミュニティセンターってなに? ・地域社会の結合の中心的役割を果たす施設。集会所・公民館・学校・図書館などの類。(大辞林 第三版の解説) または、 ・市民のコミュニティ形成のための活動やボランティア活動等の促進のための拠点となる施設です。 会議や研修等でもご利用できます。(熊谷市) ↑言葉の説明の中に説明している言葉が入っているという、さいてーの説明ですね。↑。意味のない言葉のようです。コミュニティセンターは。(笑) コミュニティ 共同体と訳されている communication=伝達・報道・交通・通信・情報・通信文・連絡 |
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01旧石器時代
旧石器時代の環境と生き物
出羽洞穴 西臼杵郡日之影町
岩土原遺跡 東臼杵郡北方町
※2人類の進化系統樹ではネアンデルタール人が系統から分化するところに明石人と記述されている。 かつてDNA分析ができなかった頃、古い骨を見つけては原人と名付けていた。 世界各地に原人が発見され、そこから各地で人類が個別に進化したとされていた。 中華圏では、現在も学校で漢人は北京原人から進化した特殊な人類であると教育しています。 日本でも、つい最近まで国内に60万年前の遺跡が次々発掘されたりした。 全て捏造であった。 結論 明石人は新人であり、何十万年も遡らない。ことが分かっている。 |
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11縄文時代
12道具 押型文土器施文具
高千穂の縄文土器
※これらの石器は縄文なのか、弥生なのか。 弥生早期なのか。 おそらく、異形勾玉以外は縄文時代。勾玉は弥生古墳のもの。いろいろな時代のものが混じっているのではないのでしょうか。 と、思ったのですが、注釈の通り、全て縄文時代でしょう。 |
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13祭祀具 高千穂町陣内遺跡 縄文後期後葉~晩期中葉 彫刻石棒や土偶。翡翠製の玉類等装身具。 十字形石器。円盤状石器。 妊婦土偶。 縁辺に髯状の羽文を持ち、研磨された三角形の板状土製品。 土器(西平式土器・三万田式土器・御領式土器)。 トチの実・鳥獣骨・魚骨 も出土。 引用陣内遺跡 縄文人の精神文化
縄文カレンダー
土偶の分布地域
幻の釣手土器
壊された土偶
・彫刻石棒、三角板状土製品、妊婦土偶 これらについての解説や研究が見当たらないので、私の感想を書きます。 彫刻石棒は 北陸から始まってやがて西へと広まっていった。その途中で一度彫刻を落とし、ただの男根型石棒となっていた。 熊本県地方には石棒や土偶が数多く出土し、高千穂陣内遺跡も熊本文化の影響とみられます。 形状としては、彫刻の意味や模様こそ違うが、北陸の原形に立ち返ったような石棒と思えます。 なぜ後期晩期に東日本の風習が突如広がったのかはわかりませんが、 この時期、東北人が南下し、それに押し出されるかのように、北陸人が関西・中四国・九州まで大挙移動したからかも知れないと思います。 三角形の板状土製品がどれだかわかりませんが、 高千穂からは土偶は一体しか出ていないので、三角形に見えるのは上記しかありません。 こんな形状のものは見たこともありませんね。一体なんでしょう。何やら模様といい、神の姿を現したのでしょうか。 と、いえば、どこかで同じようなキャプションを付けたものを見たことがありました。どこだか覚えていない。けど。北海道?だと関係ない。 土偶 (妊婦土偶) ライティングに問題があって撮れた写真からはほとんど情報が伝わってこなかった。 高千穂町の写真の方がよく見えます。腹部に横筋の盛り上がりがあり、妊婦ならもっと下腹部全体が膨らんでいようものを、 これをもって妊婦土偶と高千穂町では言い、そのほかでは、ただ土偶といっている。 土偶も、熊本が九州のほとんどを出土しており、宮崎県ではこの一体だけです。 阿蘇山周辺や、熊本の対岸あたりには本州地域と関連のある祭祀を持ち、しかし、それとは違ったニューウェーブな一団が暮らしたようだ。 引用参照高千穂町の歴史(縄文時代) |
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18縄文時代 陣内遺跡 縄文後・晩期の遺跡。 県内唯一の土偶・石棒。 石刀、打製石鎌、石斧、十字形石器、石匙、石錘・装身具などの石器 三万田式・御領式に相当する、後・晩期の土器が出土 熊本・大分の文化圏に属していました。 引用高千穂町の縄文時代 石斧について
陣内遺跡
セベット遺跡
梅ノ木遺跡
※トロトロ石器 縄文早期中葉の用途不明石器 押型文土器に伴出する石器
押し型文土器 縄文早期~前期 回転押型による尖底施文土器。
しかし、ここでは、トロトロ石器が、縄文時代後・晩期の遺跡から出土しているのである。 上の記述はなんの論証にも説明にもなっていない。 時代を超越して存在するオーパーツと言うべきである。 |
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23弥生時代
稲作文化の来た道
稲作のひろがり
弥生の道具(石包丁)
免田式土器 熊本県を中心とする南九州に分布する。 免田式土器(重孤文土器)は熊襲の土器ともいわれるが、朝鮮式板積石室から発見される。
ムラとムラとの交流
薄糸平遺跡
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31古墳時代
古墳の出現と展開
横穴墓
馬具について 馬具の名称と具体的な機能についての記述はこの館だけです。貴重です。 一本木横穴墓
西都原考古博物館では 今は廃れた騎馬軍団征服説を紹介している。だが、出土する馬具は百済・新羅製で、これらの国が列島を征服したようだ。 では三足烏はどこから? 八咫烏(やたがらす)は三本足の烏のことで高句麗の紋章。 記紀に書かれた第二次大和政権の東進の神でした。彼らは何処の何者だったのでしょう |
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41民俗 二重口縁壺 口の部分に二重の段が作られた壺の口の部分です。櫛のような道具で波状の文様を付けています 複合口縁壺※
高千穂地方の民俗 えりもの(彫り物) 高度な紙切り細工です。
博物館外 箱式石棺は、弥生以降の遺跡によくある。私の現住地にも山の斜面全体に累々と横たわっている。朱塗りや装飾が見えるものもある。
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