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 南の縄文 第2部
    この旅は2014/02/03〜02/16まで行いました。
    途中、春の嵐や二人組の中国人女性と道連れになるなど変化に富んだ旅の連続でした。



 54高千穂紀行 22     第十四日2/16(日)帰着  高千穂へ行く 最終日

   2/15(土) 宮崎から延岡へ
   2/16(日) 延岡から高千穂へ行き、高速バスで博多。新幹線で関西へ

   関西で有名な、お笑い芸人で、当時無名の新人芸人だった「桜  稲垣早希」が無銭旅行のロケにやってきたことで有名。
   あまり知らない?

 
 目次 
55宮崎〜延岡
 日向灘は地震の巣

56高千穂行き高速バス
 高千穂峡(五ヶ瀬川峡谷)
 9万年前の火砕流
 国道218号線(熊本-延岡線 高千穂バイパス)
56map高千穂付近の地形図・イラスト地図

57高千穂峡
58高千穂神社
 高千穂神社   
60トンネルの駅
61岩戸神社あまのいわと 
 神話の里「高千穂」
62福岡 博多駅

 55宮崎〜延岡

  神戸〜那覇航空路線では日向灘の上を飛ぶことがあります。
  日向市〜宮崎市までの70qあまりの真直ぐな海岸線を日南海岸と言うのだと思っていました。

  ところが、宮崎市から都井岬までのリアス式海岸が日南海岸国定公園というのだそうです。
  では、あの長い長い海岸線はなんというのだろう。

JR宮崎駅構内 海岸線は見えない 日向市駅 大きい ワイドビューの二倍の広さの窓 こんな名前の駅って 進行方向前方です 延岡駅前駅観光案内所で時間外だのに大変お世話になりました

 日向灘は地震の巣だそうです。知らなかった。
   日向灘 - 地震調査研究推進本部  宮崎県の地震活動の特徴 - 地震調査研究推進本部
   日向灘を震源とする地震情報 - 日本気象協会 tenki.jp

   この地震活動のせいで、宮崎県東部の海岸線が隆起しているのでしょうか。
   フィリピン海プレートの潜り込みによって地震が頻発し、九州の地下には巨大なマグマ溜まりがあり、地震の巣となっています。

 56高千穂行き高速バス
 
ビジネスホテル延岡最も便利な場所の最安値ビジネスホテル 早朝1番のバスで発つ駅はまだ眠りから覚めていない 延岡バスセンターホテル延岡の真ん前だ。JRもバスもすぐそば 大きな河川を越えて雪山が見える方へ 一般道なのに川も村も道路もひとっ跳びに越している。大きな峡谷 ついに山頂、稜線を走りはじめた。付近の丘陵が全て丸見えで見渡せる。
廃線になった高千穂線大水害で再建不能の被害を受け廃線に 「まめや」という土産物屋 ビニルトンネルがきれいに張られている こんな断崖の直上まで
耕地整理されている
立派な道路網が張り巡らされている この地域を構成している断崖・峡谷




  高千穂峡(五ヶ瀬川峡谷)引用
12万年前と9万年前に、谷を挟んだ向かいの阿蘇山の爆発により、その火砕流が押し寄せ、100mも堆積し、溶結凝灰岩の柱状節理を形成している。
凝灰岩は柔らかく、浸食を受けてV字谷となり、高さ80m〜100mにも達する断崖が7km四方に渡り続いて断崖を形成している。

9万年前の火砕流 阿蘇-4火砕流は、 島原、天草や瀬戸内海をこえて山口県でも見つかっています。引用阿蘇火山防災連絡事務所
大変大きな爆発だった。高さは富士山よりも高く噴出したらしい。引用文献チラミで不明


  国道218号線(熊本-延岡線 高千穂バイパス)
    高千穂を通る路線だが、縄文時代・旧石器時代から人々の重要な交通路であった
    熊本方面の文化はここを通じて九州山地東側にもたらされた。従って高千穂は熊本文化であった。



  56map高千穂付近の地形図・イラスト地図
阿蘇山-高千穂-延岡
阿蘇山から29q離れた高千穂に100mの厚さで堆積した火山灰。いかに巨大な火砕流だったかわかる。
だが、もっと巨大な噴火が度々あった
高千穂峡

リンク先はGoogle地形図です
高千穂観光地図

もしエラーのときはこちらを
高千穂峡付近の地図

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 57高千穂峡
   宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある五ヶ瀬川にかかる峡谷である。国の名勝天然記念物に指定(五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)

高千穂バスセンター阿蘇-4火砕流は既にあった谷や川を埋め、その上に溶結凝灰岩台地を 観光案内所は真向い形成し、それを五ヶ瀬川がV字谷に刻み、深山幽谷の風景を作った。 貸自転車・レンタカー有り
・レンタカーは高かった
・自転車で巡るのは競輪選手だったら可能
高千穂峡の断崖 高千穂峡ボート乗り場なぜか、ボートは休止。
おかげでいい写真が取れました。ボート禁止賛成
高千穂峡淡水水族館料金
真名井の滝 裏側この水は付近の山から流れています 名所案内真名井の滝鬼の力石槍飛び橋高千穂大橋 真名井の滝 仙人の屏風岩
あらゆる方向に伸びた柱状節理の見本市 仙人の屏風岩溶結凝灰岩の上部にあたる。下部は大きな
垂直の柱。その上に小さく横方向に伸びた節理 更にその上に柱状を見せない溶結凝灰岩台地が断崖となっている 槍飛川幅が狭く槍の柄を突いて飛べた リンク見てね きれいな節理です
でも、なぜ6角柱になるのかなぁ
じつは、Y字に割れるので6角になるのです 河川水の氷結。久しぶり。水の結晶も六角ね
高千穂大橋※1 ごめんねこんな写真
載っちまった
真名井の滝韓国・中国・台湾などの観光客が大多数。だからボートやめたかな? 水車小屋がありました。
そこに
緋寒桜が咲いていました
誰も気に留めない風景でした。
ひっそりと咲く南国の桜
水車小屋の左手には高い山があり、溶結凝灰岩の地層から豊かな水が湧きだしていました
この水車小屋は本物でした。周囲に部品が散乱していて 今はもう使われていないようでした。残念 高千穂大橋※1

一度に三つの橋が見えるのが名物なんです。
沢山撮ったけど、一枚でいいや。

これを撮りに来ていた人もいた。 
高千穂大橋2

高千穂三段橋と言われ
一番奥は平成の「神都高千穂大橋」(コンクリート橋)
二番目は昭和の「高千穂大橋」(鋼橋)
手前が昭和の「神橋」(石造)って意味ないけど
火砕流台地

9万年前の火砕流は九州のほぼ半分を覆い、600q離れたところまで達した。
阿蘇山〜名古屋までが約600qあります。
九州の火山活動
過去のものでなく現在も将来も続いています。
何千年・何万年周期で巨大爆発を起こして、日本中に降灰しています。

ここで原発を稼働するのは大変危険と思います

 58高千穂神社
    この日、偶然に日本の過疎地域の神楽を集めたイベントが行われていました。
    サスペンスに何度も登場する夜神楽です。

    源頼朝が深く信仰し何度も代参を送ったようだ。
神楽殿 演目は天岩戸 舞台上部に下がっているしめ縄は独特です
拝殿源頼朝が信仰したのは
「戦の神」で「日本創世神話」ではなかった
高千穂神社は「武の神」 秩父杉と狛犬頼朝が信仰し代参の畠山氏手植えの杉→
奉納の鉄製狛犬


 高千穂神社  約1900年前の垂仁天皇時代に創建されました
御祭神 高千穂皇神(たかちほすめがみ) 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) ・木花開耶姫命(このはなさくやひめ)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) ・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
鵜鵝草葦不合尊(うがやふきあえずのみこと) ・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
   となっているが、

夜神楽
 「高千穂の里人が祀る神様の中心は、荒神様と呼ばれる山の神と、五穀豊穣をもたらす水源の神」である。という。
山の神
山人にとっての神。猟師・樵人にとっての神であり、土俗信仰である。ここに「狩猟の神」=「武の神」=「戦の神」としての高千穂神社が見えてくる。
縄文の狩猟神と弥生の農耕神が結びついた形に、天孫降臨神話が加わり、後に山間僻地として神楽の里、が加わり、神秘的な雰囲気をかもしている。
源頼朝は諏訪神社同様、「武の神」に信仰の根拠を見出したようだ。


 60トンネルの駅  戦前、九州横断鉄道計画があり、その時のものだそう。 
この日、県知事が来訪 わたしの到着と知事の出発が同時だった 私服刑事がウヨウヨしていたと店員が言っていた 立派なトンネルはお酒の熟成場に成り下がった 付近のお酒の試飲販売 高千穂鉄道の車両

 61岩戸神社あまのいわと
その名の通り、天の岩戸がご神体で遥拝することができるそうだ。って、川の向こう岸の甌穴のことです。

天岩戸はその名の通り、天上界の高天原にあるので、本来地上にはなく、昔の無学な人々に神話を教育するために設けられた仮想現実です。
一帯は溶結凝灰岩の軟らかい地層ですから甌穴なんて簡単にでき、あちこちにあります。天岩戸の甌穴もたまたまをこじつけたものでしょう。

下の写真は、天の安河原あまのやすがわら という、川の流れが作った浸食洞穴へ行く様子です。
縄文人が住んでいただろう浸食崖ですが、この地方一帯はとくに神経質になるほど、特別な地域です。はっくつなどとてもとてもハハハ


     
岩戸神社境内 図 天の安河原へ
そこは岩戸神社の境内になっている 甌穴おうけつ
がたくさんある
柱状節理の川底川岸を削って流れる 仰慕窟(ぎょうぼがいわや)と呼ばれる洞窟 天安河原宮 戦後「河原」を「賽の河原」と混同して、石を積んだ人がいたため、 現在も石積みが沢山見られる。 戦前こんなことをしたら
礼拝所不敬罪でひどい目にあわされただろう
たくましいばあちゃんがこんな店を出している このお菓子、お茶入れてもらって、面白話をしながら食べました。 素人の味ではなく、製造、袋詰め、ラベル等、プロのお菓子屋でした。 いつも大口開けて大笑いしながら仕事をするのは、どこでもいっしょ。 天岩戸神社
天照大神と書いた軸天岩戸の前に軸が 何重にもかかっている
しめ縄に、謎の切紙細工が
天岩戸の遥拝所へ行く戸 安河原ではこんな写真を撮りましょう あまのやすがわら
 は溶結凝灰岩を水の流れがうがった洞穴です。
広島の耕×三寺という所に「流枕石」なるものが展示してあったそうだ。

 なんでもこじつければ、まことにそれのようになるのが、にほんである。
 


 神話の里「高千穂」だが、「天孫降臨の高千穂」はこんなに低い山だったのだろうか。

 ・霧島に「高千穂の峯」という山があり、そこが本家本元だろう。とわたしは思います。
  すると、
鹿児島県の霧島連山高千穂の峰という、縄文人の好きなビラミット型の美しい山がある。

高千穂族は、南方系の天孫降臨神話文化を持って南の海からきて、高千穂の峯を仰ぎながら暮らしていたが、
戦乱に追われ、霧島から宮崎側に入り、延々と北上し、九州山地の秘境、であり、交通の要衝であるこの地にたどり着いたのではないか。

日本創世神話の編者は、北方系・半島系の話では、当時の皆が知ったありきたりなので、半島系にマイナーなこの話に飛びついたのかも知れない。
そして、この地でいろいろなつじつま合わせが行われたのだろう。

 ・それとも
天孫降臨とは、高千穂族が、北・中九州の既に他国の領土となっていた土地を通り、熊本から高千穂の峠を越えて日向に入ったことを意味する。
つまり、随分遅れてやってきた一団だったといえる。しかし、その辿り着いた地が瀬戸内海航路と結びついたため、大和政権と結んで大変な発展をする。
もともと大和政権と同族だったのでしょうか。

ではなぜ南方系神話と結びついたのか。半島系神話の中のマイナーなものに、この南方系神話があったのかもしれない。
って、この辺は全く分からない。サスペンスより複雑です。また、考えること、書くこと自体が危険なのでやめまーす。

 62福岡 博多駅 
つばめこれで帰りました。