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 南の縄文 第2部 この旅は2014/02/03~02/16まで行いました。途中、春の嵐や二人組の中国人女性と道連れになるなど変化に富んだ旅の続きです。

  縄文を旅する4  南の縄文  沖縄~九州21  2014.02.14(木)


   宮崎県埋蔵文化財センター 宮崎市佐土原町下那珂4019  0985-36-1171


交通 宮崎神宮にあります。 隣に宮崎総合博物館があります。 県立美術館動物園も併設。
駅西2番のりば」から宮崎交通バス「古賀病院」「国富・酒泉の杜」行きにて「博物館前」下車。徒歩3分
    バスは多いので誰でも教えてくれます。
JR宮崎神宮駅からも近くです。
見所 宮崎県総合博物館も県立埋蔵文化財センターも展示量がわずかです。
 異形土器 古墳時代の箱形土器鳥形?船形?土器
反省 大失敗
すぐそばに生目の杜遊古館(宮崎市立埋蔵文化財センター)がありました。  公的機関のHPは頻繁にURLを変更します。
2009開館で新しく、展示もよいようです。大変残念です。行ってないです。
特集記事   後期旧石器時代の石器文化 


 
目次 
 01h宮崎県の年表

01o後期旧石器時代の石器文化
 ①前半期前葉(約35,000~33,000年前)
 ②前半期後葉(33,000~約29,000年前)
 ③後半期(約29,000~15,000年前)
 ④後半期終末(1,7000~15,000年前)
 関東・中部の特殊性
 ⑤尖頭器石器群 後半期後葉~縄文草創期


 02旧石器時代
 旧石器時代の石器種類

 赤木遺跡出土物


03縄文時代
04弥生時代
05古墳時代
06古代
07中世

  01h宮崎県の年表
旧石器~弥生時代 時代の詳細南九州は頻繁に巨大噴火が発生し、原始の森が焼き払われ、千年もせず新しい植生が広がり、住みやすい環境になった 古墳~近現代弥生時代は九州の辺境。
古墳期以降は瀬戸内航路により、都に密接に近づいた。
土層が語るもの
・姶良Tn火山灰 2万8000年前
・鬼界火山灰   7千300年前
 九州のみならず、日本全土でこれらの火山灰が
年代指標となっている。


 01o後期旧石器時代の石器文化      引用 旧石器時代Wikipedia  国立博物館日本人はるかな旅展  日本人の源流を探して

 ①前半期前葉(約35,000~33,000年前)

先ナイフ形石器 4万~3万5000年前
 台形石器局部磨製石斧の文化。列島に広く分布。地域色はなし。

  ※少人数で激しく移動した生活だったとわかる。

ナイフ形石器Ⅰ 3万4000~2万8000年前
 少し遅れて東日本に縦長剥片を尖らせた石槍と推測されるナイフ形石器が出現。

  ※石槍は大型獣がいたことを表す。
①東アジア旧石器文化発展の模式図南方(華北)型石刃石器
①台形石器
4万~3.5万年前華北型石刃石器によって日本の旧石器時代は開始
①ナイフ形石器Ⅰ3.4万~2.8万年前
南方華北型ナイフ形石器文化が出現
 ②前半期後葉(33,000~約29,000年前)
     ナイフ形石器Ⅱ

・東日本で縦長剥片石刃技法が確立して、石槍の発達が著しくなる。

・近畿地方から瀬戸内地方ではそうした石刃技法よりも横長剥片剥離技術が確立し、
 後半期は「瀬戸内技法」に発展した。

  ※前半期後葉には台形様石器局部磨製石斧が大変少なくなる。

  



日本列島における最初の文化

 姶良カルデラ爆発 2万9000年前

  北方民の南下
    シベリア方面から北海道に南下し居住していた北方民が、
    2万5000年前のハインリッヒ・イベントの寒冷化を契機に本州を南下し、在地の集団と遭遇。
    引用民俗学伝承ひろいあげ辞典下の方に地図あり

 ③後半期(約29,000~15,000年前)
     ナイフ形石器Ⅲ(29,000~17,000年前)
      ※北海道では細石刃石器群が約23,000年前に使用された

後半期は、地域性が確立し、
 東北、関東、中部、近畿、瀬戸内、九州の区分ができ、それぞれの地域で石器の様式性が発達

 ※移動が減り、定住がはじまったことを表すと思う。なぜ定住できたかは不明です。

「ナイフ形石器」は、東北「東山型」、新潟~山形「杉久保型」、近畿「国府型」といった各種や

瀬戸内~九州角錐状石器」、
九州剥片尖頭器」台形石器」(槍orナイフと推定)大型石器が特徴

クサビ形石器は中国東北部から当時は地続きの北海道を通じて東日本を中心に広がり、
角錐状石器船形石器は中国南部から直接九州に渡ってきたらしい。

   
たまたま日記
 ④後半期終末(1,7000~15,000年前)
     細石刃石器群が展開する。

・北海道~東北日本にかけての東日本
  「湧別技法」といわれ、「荒屋型彫器」といわれる特徴的な彫刻刀形石器を伴う。 

・中部・関東以南から九州にかけての西日本
  「矢出川技法」といわれている。こちらは彫刻刀形石器を伴わない

  ※矢出川技法 原石を直接うち欠いて円錐形ないし角柱形の細石器核を作る技法であった。
    引用八島遺跡群・鷹山遺跡群・諏訪湖東岸遺跡群
④細石刃文化
1.8万~1.4万年前
東 クサビ型細石刃
西 半円錐形細石刃
九州 クサビ形細石刃

 関東・中部の特殊性

 尖頭器石器群   後半期後葉~縄文時代草創期

尖頭器とは
魚の鱗のような小さな剥片を剥がして整形し、木の葉形に整形した石槍で、
サイズは10センチ以下が多い。 ※大型獣が減少し小型獣猟になった

中部・関東地域においては、ナイフ形石器群が小型化し、細石刃石器群が登場する頃までの
後半期後葉尖頭器が製作される。

「ナイフ形石器」と細石刃がほぼ列島内全域に展開したが、
尖頭器石器群は東日本でも特に中部地域・関東地域において地域的な発展を見せる。
日本列島における最初の文化

縄文土器誕生の秘



 02旧石器時代      引用ナイフ形石器

 旧石器時代の石器
ナイフ形石器 石刃などの剥片の片方を刃潰しした片刃の利器
剥片尖頭器 3~1.4万年前 剥片の鋭い縁を利用し、槍先として使う石器。木の柄に取り付けやすいように加工されています 引用
角錐状石器 石を打ち欠いて、三角すい状に加工した石器。剥片尖頭器と同じように、柄の先につけて槍先として使った。
削器敲石


  ナイフ形石器
東山型 石刃の基部を加工 - 東北地方から北海道網走郡津別町まで分布 (山形県東山遺跡)
杉久保 縦型石刃の先端部及び基部への刃潰し加工 - 主に中部地方北部から東北地方にかけて分布
茂呂(もろ)型 縦型石刃の側縁と反対側基部への刃潰し加工 - 主に関東、中部地方南部、東海に分布
国府(こう)型 横型石刃(翼状剥片)の一側縁への刃潰し加工 - 主に瀬戸内、関西、中国、四国に分布、山形県朝日町まで分布
大阪府藤井寺市国府遺跡で最初に確認されたのでこの名称で呼ばれる。石材は二上山のサヌカイト。
同様の製作技術が瀬戸内地方の遺跡からも見つかっているので、それらは瀬戸内技法[2]と名付けられた。
九州型 基本的に関東の茂呂型と同じであるが小型 - 九州に分布


 02旧石器時代

   赤木遺跡出土物
     (延岡市) 後期旧石器時代 特徴:流紋岩の様々な狩猟用石器

     AT火山灰(2.8万年前)を挟んで後期杞憂石器時代の石器が四期に渡って層位順に検出できた遺跡。
     ナイフ形石器、剥片尖頭器、角錐状石器、削器、敲石など各種石器の出現・変遷を追うことができた。

     旧石器時代の狩猟用、加工用の石器の代表的な典型例をこの遺跡で見ることができる。

バラエティに富む
旧石器群ナイフ形石器、②剥片尖頭器、③角錐状石器、④削器、敲石
角錐状石器
エンドスクレーパー
サイドスクレーパー

   ナイフ形石器
   剥片尖頭器、石核
角錐状石器 ナイフ形石器 エンドスクレーパー
サイドスクレーパー
剥片尖頭器 石核 剥片の接合資料剥片接合資料 実験考古学 剥片接合資料 石材は無斑晶流紋岩
敲石(ハンマー)
鹿角製ハンマー
剥片はがしに最適材質
落し穴 陥し穴西畔原第2遺跡 2×1.1m
深さ2.3m 旧石器末
1万3000年前
陥し穴
陥し穴

霧島アワオコシ3.8万年前
霧島イワオコシ4.5万年前
姶良Tn2.8万年前






  03縄文時代
打製石鏃
縄文早期~後期土器文化は弓矢の使用を伴っていた。壊れた石鏃が出土する
材質 チャート,黒曜石,流紋岩,砂岩,珪質頁岩,ホルンフェルス 磨製石斧と打製石斧
縄文後期
磨製石斧-伐採用
打製石斧-土堀用
石皿と磨石
縄文中期~後期
霧島山の輝石安山岩製
矢毒皿のように真ん中が強くくぼんでいる
集石遺構石蒸し・焼き石遺構 宮崎県 内野々遺跡
    縄文早期

石蒸し料理はフィリピン先史文化など、南方系文化にみられる
 土器と弓矢の二大発明は列島へは同時にやってきた。

 アボリジニ以外は使用するので、彼らがサフルランドに移住した5~4万年以降に発明されたものです。
 弓矢の発明は2万年とも言われている。
 西アジアとも中近東ともいわれる。

 最初のアイデアは急速に改良され、矢羽をともなって完成形で伝播した。 
 動作の早い中小形動物のハンターで、南海からも、半島からも、北方からもやってきたようだ。

 列島には最初に北方からやってきた。津軽半島大平山本遺跡は1.6万年前。沿海州は1.8万年前

  集石遺構は地面を10~20cm直径1mほど丸く堀窪め、底に平石を敷き、その上にこぶし大の焼石を入れ、食物を蒸し焼きにした施設です。
          焼き石調理は現在も南太平洋のミクロネシア、ポリネシアなどで行われています。
          また、宮崎県内の台地や低丘陵上の平坦な場所には必ずと言ってよいほど発見される、縄文早期の典型的な以降です。

          旧石器時代の同様の遺構は掘りこみを持たず、平面上に焼き石が集まっているものがほとんどでこれを礫群と呼んでいます。







  04弥生時代
石製穂摘具(石包丁)初期は二穴型、後に両端抉り入り型が瀬戸内地方の影響で広まる 二穴と両端抉り入りの
石包丁現在は後者が主
熊野原遺跡の弥生土器方形または円形間仕切りのある花弁状住居だった 甕、壺、高坏、鉢、器台
叩き石、砥石、石包丁
凹石、 砥石、軽石製品(用途不明)砥石,ガラス玉,管玉,磨石(用途不明)
石製穂摘具(石包丁)
焼けた住居の炭化材屋根の萱 これ足跡だったと思う  宮崎県の広大な穀倉地帯は、弥生時代以降、人と自然が作り上げたもので、海岸線が次第に後退していったものです。
 遺跡分布で一目瞭然

って地図がない
 宮崎県東海岸は長い砂浜で、
 河川の河口にしか港湾ができず、
 田畑も砂質土壌のため満足に収穫をあげられなかったと推測します。
 穂摘具としての包丁は現在も使用されています。 






 05古墳時代 宮崎県は弥生古墳時代に大きな進展をみせ、文化が花開きます。参照遺跡の年代を表す「時間の物差し」としての土器編年要注意音がします
横穴墓出土須恵器 横穴墓出土須恵器 古墳出土須恵器 古墳出土須恵器
竪穴住居出土土師器
竪穴住居出土土師器
異形土器何かを5つに分けた? 鳥形?舟形?土器_山口遺跡第2地点
37号竪穴住居の
異形土器
箱形土製品特異な出土品 箱形土製品一軒に一個出土 石製有孔円盤鏡を模した祭祀具 石製有孔円盤火や鍛冶に関連する祭祀に用いたかも 装身具勾玉、切子玉
二重口縁の壺主に貯蔵用
勾玉、切子玉、耳環
鉄製武器、馬具
二重口縁の壺 他所から来た土器布留式の甕

布留式土器は土師器の土器形式です。
畿内の土器。
布留式の甕近畿古墳前期の土器 布留式土器
近畿地方の古墳時代前半期を代表する土器様式。奈良県布留遺跡で発見された。

 初期大和王権を支えた物部氏の本拠地 「布留遺跡」 概 要
打鍵ミスで最後の5枚の写真の順番が違っています。すみません。


  06古代
        日本史王朝時代。即ち飛鳥時代から平安時代まで。
         聖徳太子の政権掌握(593年)から、1160年代平氏政権の成立あるいは1185年鎌倉幕府の成立まで。
         律令制国家として、奈良時代平安時代を指す場合もある。

記紀の編まれた時代8世紀初め頃の宮崎 宮ノ東遺跡 竪穴住居 地床炉に据えた埋甕埋甕は炉の代わり 屋内の作り付けかまど奈良時代から屋内調理
建物の大型化
記紀の編まれた時代の土器
竪穴住居内のかまどは半島人が持ち込んだものだが、縄文人はそれを真似たのだろうか。

 百万人ともいわれる半島人の流入によって縄文人のその後は、わからなくなっている。

小壺
 高台付埦 瓶
坏蓋

甑、小壺
土師器の皿
鉢、甕、土製支脚
煤が付着の土器 土師器の皿土師器--低温焼成※1
須恵器--高温焼成※2
甑こしきの底には穴が開いており、すのこを敷いて穀物を蒸した。
土師器の壺や鉢
甑こしき
蒸し器。穀物の調理器具7千年前の河姆渡遺跡に存在。朝鮮半島に3,4世紀。日本に5世紀に須恵器とともに伝播
墨書土器役所や識字階級の増加 最古級ひらがな
9世紀の平仮名練習
役人の個人用食器か。
確か手弁当だったと思ったが。
※1土師器は低温焼成ながら火にかけることができる。鍋や釜、甑に使う

※2火に弱いので、用途は皿・鉢・壺などに使用した。水密性があり、液体が保存できた。


 07中世    日本史では封建制時期前期後期分け後期近世呼び前期のみを中世と呼んで,鎌倉室町時代をこれに当てる

山城出土の土師器食器や燈明皿 轆轤整形 兵士の食器 景徳鎮窯 龍泉窯 景徳鎮