南の縄文 第2部 この旅は2014/02/03~02/16まで行いました。途中、春の嵐や二人組の中国人女性と道連れになるなど変化に富んだ旅の続きです。
縄文を旅する4 南の縄文 沖縄~九州19 2014.02.15(土)
西都原古墳群 宮崎県西都市三宅4941 0983-43-6230 番号は「このはな館」。観光案内所の番号がわからない。
さいとばるこふんぐん
交通 ・宮崎→西都バスセンター→タクシー(2000円ほど)
・宮交シティ→西都原考古博物館行(一日二往復)時刻表
バスは一日乗車券を買う。古墳公園では、このはな館を尋ね、無料貸自転車やボランティアガイドを頼みましょう。
ガイドをしてもらわないと、何もわからないです。
見所 ・見たこともないほどの古墳の数。日本最大だそうです。
反省 古墳に興味がなかったので事前に学習しなかったため、ほぼ何もわからなかった。(笑)
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目
次 |
西都原古墳群
00行程
皆さんにお伝えしたいことがあります
01このはな館観光案内所
05男狭穂塚・女狭穂塚
私見 連想の遊び |
10鬼の窟 (おにのいわや)古墳
15酒元ノ上横穴墓
19171号墳と202号墳
25第一古墳群
3013号墳
35発掘現場
4046号墳
45100号墳
50111号墳と4号地下式横穴墓
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00行程
宮崎発→西都バスセンター行の始発に乗る。バス停はホテルルートイン宮崎前しかありません。
ホテルルートイン宮崎で一日乗車券を買って乗ると半額くらいで往復できます。バス時刻は駅の観光案内所で訪ねてください。
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01このはな館観光案内所 西都原ガイダンスセンターという、土産物、レストラン、会議室、観光案内所、などなどがある所。
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古墳群については何も調べていなかったので、
全く何もわかりませんでした。
無料のボランティアガイドの制度も、無料貸自転車もしらなかった。 |
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05男狭穂塚・女狭穂塚 (おさほづか・めさほづか) 両塚とも5世紀前半の古墳
西都原古墳群の中心的な古墳。
「ににぎのみことの陵墓と、その妃(きさき)のこのはなさくやひめ」の陵墓と言われていて、宮内庁陵墓参考地となっている。
男狭穂塚 は日本最大の帆立貝形古墳
女狭穂塚 は九州最大の前方後円墳
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10鬼の窟 (おにのいわや)古墳 最後期の古墳。 西都原で唯一の横穴石室墓
西都原古墳群の説明三角縁神獣鏡・埴輪舟・子持家・短甲 |
古墳のプロット西都原古墳群分布図 |
出土物三角縁神獣鏡
埴輪 船
埴輪 子持家
短甲
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特別史跡西都原古墳群のご案内東西2.6㎞南北4.2㎞
日本最大の古墳群↓※ |
鬼の窟
周堤墓です周囲に巨大な土塁 |
鬼の窟古墳案内37mΦ7.3mh
巨石の横穴式石室
朝鮮式は石板を積む |
堤の中に石室式円墳この形式は、当時の
中国・朝鮮の最新形式 |
復元された周堤の墳墓だった。 |
これ全て版築工法で作られたんです。 |
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玄室入口石室内から組み合わせ式木棺の鉄釘や |
石室内耳環、金銅装馬具、須恵器、土師器 等出土 |
石室内部丁寧に復元されています |
鬼の窟古墳の復元昔は木を植えたりとひどい状態だったようだ |
排水施設復元が大変困難だった。古墳人の高度な技術 |
しかし、時代が変わっても農地にしなかった。タブーがあったんだな。 |
↑※
西都原古墳群は、
前方後円墳31基
円墳279基
方墳1基
南九州独自の
地下式横穴墓も混在 |
・古墳時代初頭(3・4c)
複数の豪族が台地縁辺に築造開始。
・5c前半に男・女狭穂塚
・6c末最後に鬼の窟築造 |
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15酒元ノ上横穴墓
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地下式横穴墓は |
5世紀後半~7世紀初頭まで、円墳の築造の裏で造り続けられた。南九州独自の墓制 |
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横穴墓は |
6世紀後半から全国で作られた墓制 |
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現地説明では、半島系傭兵・高句麗人の部隊長クラスの墓制と聞いたように思うが、Wikipediaでは |
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「地下式横穴墓」は日向・大隅・薩摩にまたがるが、「地下式板石積石室」はほとんど薩摩地方に限られている。
この事から、前者が隼人に広く普及した墓制であり、後者は阿多隼人独特の墓制と推測されている。 引用「地下式横穴墓」 |
上の説明では、なんのこっちゃわかりませんね。
地下式横穴墓は、平地部・妻入り造りの渡来人の武人と妻の墓と、
山地部・平入り造りの縄文系山地人の墓とがあります。
隼人という言葉は7世紀以降の呼称で、この時代にそれを用いて説明するのは間違いです。いわば未来の言葉。wikiは間違いです。
西都原遺構保存覆屋 |
地下式横穴墓は5世紀後半~7世紀初頭
横穴墓は6世紀後半~7世紀末まで |
古墳群の歴史 |
地下式横穴墓の分布
南日向に多い墓制 |
横穴墓の解説図
丘陵斜面地下に築造 |
横穴墓の模式図
羨道と玄室を持つ |
墳丘を持つ横穴墓
玄室と墓道の図 |
地下式横穴墓の断面図
縦抗と羨道に玄室 |
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100号墳の解説
4c前半前方後円墳 |
案内図 |
聖徳太子の時代
仏教伝来により古墳文化の終焉 |
鬼の窟206号墳6世紀末築造
横穴式石室を持つ |
171号墳陪塚ばいちょう殉死者の墓。朝鮮の風習 |
13号墳玄室内を公開 |
横穴墓の墓道と墳丘酒元ノ上横穴墓 |
6号墓道 |
6-2号墓左の説明写真の墓 |
玄室内女性の骨
(本物と聞いた) |
6-1号墓権力者の墓ですね。 |
古墳群は豪族。
横穴墓は武人。傭兵
別の国の人との説明 |
中央派遣の為政者と護衛兵は文化が違う |
別の民族かも。武人は高句麗人だと聞いてるが |
ごめん。誤貼り付け |
ごめん。誤貼り付け |
羨道が陥没したのか |
須恵器の破片は墓参の供えのものか |
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19171号墳と 202号墳
171号墳きれいに復元されています |
芝生保護のネットが |
張られています |
202号墳 姫塚 かも畑の向こうに前方後円墳 |
外観の形状がよくわかる |
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25第一古墳群
復元された前方後円墳 |
施設名は分からない |
周囲には多数の円墳 |
古代から、為政者が変わり、世の中が変わっても、墓を潰して農地にしたものは少なかったのかも。
いや、民家が入り込んでいるので、やはり、一部に破壊があったようだ。
それにしてもよく残っています。
明治初期には国の特別な保護が行われたと聞いている。
が、それ以前から立ち入りもタブーだったようだ。吉野ヶ里は徹底破壊・盗掘 |
遠方にぺちゃんこの円墳が見えるが、千数百年もすると、さすがの版築工法もぺちゃんこになる。
復元して元の高さに戻す。従って、背の高いのは復元古墳です。
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3013号墳 最も初期の古墳。 内部が見学できるように復元されている。
手前でぺちゃんこの小円墳を発掘中。まるで草取りみたいな発掘。 |
すぐ側の発掘現場。
じいさんとばあさんの二人で発掘。農作業みたい |
1600年前の
葺石前方後円墳。 |
葺石の模型 |
模型 |
古墳内部
巨大な古墳です |
古墳形状のままで、内部に入れるのはここだけ。
大変貴重 |
木棺があった場所を見ている |
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棺があった場所鏡や魔除けの弁柄が見える |
外見は小さいのに中は随分広く大きい。
円墳部が遺体埋納部
方墳部が礼拝施設部
小さいものもそうだったようだ。 |
大木を半割し、内部をくりぬいた木棺でしょう。 |
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35発掘現場
黄色はガイドで無関係
背の低い二人が発掘者
ちょっと見。盗掘に見える |
なんとこんなに簡単な
発掘。 |
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農家の老夫婦に見えるが研究者と助手です |
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こりゃ、農作業やで(笑) |
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4046号墳 葺石が取られてしまって、固めておいてあるのかな。
長野県で、将軍塚古墳で、葺石を砕石として売るために、古墳を壊そうとした業者がいましたね。
西都原第一古墳群の
(潰れた円墳とガイド) |
中で最大の古墳46号墳 |
前方後円墳 |
いたるところ |
古墳だらけ |
有名人が発掘し、何か出たんだ |
284号墳 |
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45西都原100号墳
古墳前期の前方後円墳 |
葺石が敷き詰められ、復元修復されています。 |
草ぼうぼうで寄ると画角に入らない。 |
離れると草で見えない。 |
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第二古墳群北隅の古墳。
4c半ばの底部穿孔土器が古墳上から見つかったので創建年代が推定されている。
が、これは土器棺。古墳とは別物です。 |
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50西都原111号墳と4号地下式横穴墓
墳丘墓に地下式横穴墓が食い込んでいる |
西都原111号と4号地下式横穴墓古い為政者の墳丘に別民族の武人が |
地下式横穴墓発見の状況地下式横穴墓をねじ込んだようす |
再調査の状況 |
地下の様子がテレビカメラで見えるようになっている |
遺構の保存展示のアイデアとして最高ですね |
鎧 短いやつ
たんこうっての |
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