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  縄文を旅する4  南の縄文  沖縄〜九州17  2014.02.14(木)

   宮崎県総合博物館  宮崎市神宮2丁目4-4  (0985)24-2071


交通 宮崎神宮にあります。 隣に埋蔵分化財センターがあります。 県立美術館動物園も併設。
・JR宮崎神宮駅から近くです。
・JR宮崎駅のバス西2番のりば」から宮崎交通バス「古賀病院」「国富・酒泉の杜」行きにて「博物館前」下車して徒歩3分
見所 いろいろな石斧27
反省 この日、屋久島で知り合った二人組中国人女性と鹿児島から宮崎まで来ました。
    雨のため、二女性はあきらめ顔。
博物館まで同行しましたが、楽しかったのは私だけだったようです。当然ですね。(笑)
 
目次
 

 01入口展示 総合博物館ですから考古歴史自然科学民俗民家園 も併設しています。
宮崎総合博物館入口 歴史展示室 何を狙っているのかな 崖下に鹿がいました 土層剥ぎ取り標本



 11旧石器時代

剥片尖頭器 ナイフ形石器の一種で中国から朝鮮半島にかけて、3万年前頃から1.4万年前頃まで分布します。 引用Wikipedia
南九州では 2万5千年前の姶良カルデラ大爆発のシラス火山灰の上層と下層の遺物iに類似したものが見られる。
下層からは、台形石器やナイフ形石器など500点が、
上層からは、台形石器やナイフ形石器、槍として用いたと思われる剥片尖頭器や三稜尖頭器など1万5千点が発見された。
  (驚異的な数)

姶良カルデラ の大爆発は、自然の回復に千年を要するほどの被害で、今も最大100mを越える堆積物で覆い続けるほどの被害でした。
  しかるに、 シラス上層の狸谷型ナイフ形石器と同一のものが下層から発見され、石器の連続性を示す証拠となりました。
    同一文化人が千年を隔てていたことを示しています。 引用参考鹿児島考古学ガイダンス25
とにかく、
2万年前 九州〜中国地方にかけて分布 姶良カルデラ噴火後2万5000年前以降のシラスの上層から発見される。
  中国〜朝鮮半島を中心に分布。ために、姶良カルデラ噴火後に入ったのは中国・朝鮮半島からの人々でした。
  ナイフ形石器も剥片尖頭器も石刃技法が確立して完成した道具です。


待ち伏せと、罠猟の絵
正しい表現ですね
剥片尖頭器
尖頭器と三稜尖頭器
九州〜中国地方に分布
剥片尖頭器 ナイフ形石器文化
3〜1.4万年前
ナイフ形石器
重要石刃技法の歴史
旧石器期の接合資料
細石刃文化期
細石核  細石核ナイフ
接合資料
1万5千年前
延岡市赤木遺跡
様々な細石核の分布

細石核の剥ぎ取り型の分布図は初めて見ました

船野型・畔原型細石核

 ・石核・削器×3点・
 ・掻器と復元模型
 ・ナイフ形石器で切断し  た毛皮

石核 削器 掻器
植刃器復元模型
細石刃文化
細石刃※マイクロブレイド 石器材料

無斑晶流紋岩※
宮崎県日之影町出羽洞穴出土
全国の石器原産地

 ※細石器と細石刃は、
   microlith と microblade  しかし、一般に埋め込み式石刃器はマイクロリスとよんでいます。ブレードは刃・刃先 リスlithは石の意味

 ※無斑晶流紋岩は、
   東郷町中野原から日向市には無斑晶流紋岩溶岩などの巨礫が含まれる地層がある。四万十層群由来の地層である。



 21縄文時代

 22食べ物
落葉広葉樹林が繁茂食物に変化が
集石遺構の石蒸し
連結土坑の燻製
集石遺構で調理された食材
集石遺構で
調理された食材
鳥、イノシシ、鹿、犬
主食はドングリ
ドングリの食料化
種類により、そのまま食用、水さらし、煮る
松添貝塚 青島魚骨、獣骨、貝類 集石遺構
 9000年前
中床丸遺跡
南方系のハレの日の料理

  23土器文化1
土器づくり始まる
照葉樹林の拡大
土器文化は弓矢を伴った
南九州縄文早期の土器
あく抜き用の深鉢主流
表面の模様は少ない

南方海洋民族の、
貝殻文・ヘラ模様多し
南九州の縄文土器
菱形や角型が多い。
円形は輪積み法
角型・レモン形は板作り

豆粒文土器は12000年前の世界一古い土器です。カゴや革袋を真似て作られ変化に富んでいた。
個性あふれる早期土器
豆粒文土器
粘土粒を貼付けた土器

土器発達段階
無文→豆粒文と隆起線文→爪形文→多縄文の順
隆起線文土器
粘土粒や紐を貼り付けたり、ヘラで線をえがいたりしたもの
貝殻文の角筒形土器
尖底、豆粒文のゴザ文様
角筒、壺形土器(平栫式)

奥:賽ノ神式深鉢
右:押形文深鉢手向山式
個性あふれる早期土器
縄文土器は一般に円筒形や深鉢型の甕が多く使用され、壺が現れるのは後期になってからです。しかし、南九州では9000年前からすでに出現し、中には角筒形の土器も見られるなど、独特の縄文文化が花開きました。

   豆粒文のゴザ文土器 台湾にも初期にゴザの模様の土器があります。
   壺形土器        他の地域に何千年も先駆けて出現した形状です。弥生時代の土器が縄文前期に登場しました。

 
  鬼界カルデラの噴火
    7300年前 枕崎の南50qにある海底火山が噴火しました。この巨大噴火による災害で南九州一帯、四国の一部も含め
    無人となり、縄文前期の南九州の文化と文化人は消滅しました。



  25土器2  7300年前の鬼界カルデラ噴火以後の東九州の土器

アカホヤ火山灰 アカホヤ上層の土器スンダランド系の南方文化人は消滅した 早期縄文文の壊滅厚く堆積した火山噴出物から自然が復活するのに1000年を要したといわれている。
しかし、アカホヤ上層からはもう次の文化が出土
北九州から下がってきた、中国、朝鮮半島からの北方系縄文人だった。

先住民よりも低い文化レベルだった。
大噴火した南九州の
カルデラ加久藤・姶良・阿多・池田・鬼界の各カルデラ
降灰の範囲と年代姶良火山灰・鬼界アカホヤ火山灰
 


 25火山噴火と土器の変遷 図表内の年代は暦年更正と1000年のずれがあります。引用九州地方の第4紀テフラ研究

九州の縄文早期・前期の器形の変化

アカホヤ火山灰後の
土器形式の変化
アカホヤ火山灰層の上下の土器型式の違い
押し形文土器の分布圏早期中頃9000年前

縄文早期後葉の分布圏
早期末頃6500年前
平栫式、賽ノ神式土器は渡瀬線を越えられない
アカホヤ火山灰降灰範囲
鬼界カルデラの爆発
6400年前(7300年前)

噴火後前期土器の分布
前期初頭頃6千(7千)年前
轟式、曽畑式土器
土器形式の変化
大容量図表

九州の土器形式の変化
引用かごしま考古ガイダンス第39回標式遺跡

  26道具

祭祀具
赤色顔料の土器
石刀 平畑遺跡

十字型石器・岩偶・
石棒・土偶
高千穂町陣内
赤色顔料を塗布の土器
石刀、全て儀式用
縄文の道具箱
焼き石調理の知識がなかったのでこんな絵になってしまいました。
縄文時代の道具
道具は縄文一万年の智慧と工夫の賜。様々な素材で道具を作る。
籠 釣針 錘 斧
日常の生活道具
布はアンギン編
カラムシ製
弓矢
大発見。
この形の石鏃は南方系なんだ。あっ。違う。半島系なんだ。
カゴ
縄文ポシェット
カヤツリグサ
布目・籠目の土器 縄文の布からむし
打製石鍬の使い方
ここではもう打製石斧と言っていない
草取り、穴掘り道具
ノビルの根や山芋堀り
打製石鍬 有肩打製石斧 磨製石斧 同一反復ごめん 砥石で研ぐことによって作られました



  27縄文集落の発掘と道具 縄文早期〜後期  いろいろな石斧

縄文集落の発掘 縄文の道具
環状石斧
凹石・摘み付きナイ
敲石・石槍・石錐
環状石斧

独鈷石(両頭石斧)や環状石斧は不明なものとしている博物館が多い


錘石・切目石
大分姫島黒曜石・チャート・北海道黒曜石・黒曜石破片・蛇紋岩
遠くから持ち込まれた石材
石材の産地と宮崎県内への流れ
 陥し穴

逆茂木のある図
 連結土坑

石斧には磨製と打製

磨製石斧には
・定角式磨製石斧
  全面を磨き縁に
  角をつけたもの
・乳棒状磨製石斧
  断面丸く細長い自
  然石を磨いたもの
・局部磨製・丸鑿石斧
  刃部だけ磨いた
・片刃石斧
  片方にだけ刃を施した
他に一寸変ったところで

・両頭石斧=独鈷石
・環状石斧=根棒頭石斧


 引用日本の石斧展
    山形県立博物館
環状石斧四頭石斧
 は、武器です。
 縄文時代に戦闘行為
 があったんですね。

データ
 宮崎県小林市 出土
   縄文時代早期

  環状石斧は
  通常弥生時代です
打製石斧は草取り道具




 31弥生時代  紀元前3世紀中頃〜紀元後3世紀中頃
 33土器と道具

穴の開けられた甕棺、合口甕棺

・蛤刃石斧
・抉入柱状片刃石斧
・扁平片刃石斧・

扁平片刃・柱状片刃・抉入柱状片刃・柱状片刃・太形蛤刃
磨製石剣×3、石

石包丁×6、磨製石鏃

鉄鏃 竜の絵のある土器

甕・壺・高坏

絵や記号の描かれた土器

紡錘車、杓子状土製品

杓子状土製品
日向人の弥生土器 宮崎土器の典型
口縁が大きく刻みのある粘土の帯がめぐる
花びら型住居 円形住居からはみ出した個室型張り出しのついた住居。九州全土で発見され、半島人の住居です。

 35稲作 2400年前頃始まる
朝鮮半島からの移住民が稲作を持ち込んだ
共同作業の必要な稲作は
共同社会を発展させ、ムラ→村→共同体→クニへと発展した それまでの原始の森はたちまち開墾され、利用価値のなかった低湿地には水田が作られた 何よりも大きな変化は、縄文人たちが捕えられ奴隷にされたことでしょう。そして奇妙な文法の言葉を教え込まれました
稲作りの証拠は土中から発見されるイネのプラントオパールです
イネの古代品種 イネ伝播ルート朝鮮半島経由となった 土器の胎土に含まれていたモミ ナス形木製農具・フォーク形木製農具 3000年程前に寒冷化・乾燥化が始まり、食料争奪、土地支配の戦乱状態

逃亡・新天地を求めて、植民地となった列島は、朝鮮半島の政治状況をそのまま持ち込んだ。

土地収奪と奴隷狩り。殺戮の修羅場と化しただろう。
なぜ奴隷狩り
 船で半島から来たのは貴人と武人に召使くらいです。
 大量に必要な奴隷まで連れては来れなかった。

 開墾や土木工事をするためには奴隷が必要でした。



 41古墳時代  3世紀半ば〜7世紀末 250〜690年頃の400年間みたいなかんじ

 42墓地   弥生時代の支配者と古墳時代の支配者とは別の者たちです。石室古墳文化を持ち、弥生の武力集団を打倒し、小国を統合して征服した。
         石室古墳は中国にあった文化だが、支配者たちは高句麗人を傭兵にして列島に散らばったようだ。

         「家型・家形」について 博物館では「家型」、ネット上では「家形」が支配的。館に合わせます(笑)

動物埴輪の足、
人物埴輪の手首
家型埴輪 子持家型埴輪 子持家型埴輪 舟型埴輪 埴輪の出土した古墳 埴輪の移り変わり

  43土器  須恵器製作工房の朝鮮人陶工が5世紀前半にやってきたのには、王族と共にやってきた。招いた。戦乱で逃げてきた。などあり。
                土師器の脆弱さや使い勝手の悪さ。は、須恵器を使ったことのある者にとっては耐え難かったと思います。
                最新の技術者を呼び寄せたんでしょうね。
須恵器の登場五世紀前半に朝鮮半島から 大阪府陶邑産の拡散中央から人が沢山地方に来た(支配階級) 須恵器の登り窯 須恵器 なんか高級陶器感がする 古墳時代の一軒の住居から出土した土師器

  44墓地
古墳以前の墓 土壙墓方形周溝墓・木棺墓いずれも権力者の墓 古墳時代の墳墓の変遷支配者の前方後円墳
武人の朝鮮式横穴墓
図表の見方はむつかしい
古墳集中の特異地域 地下式横穴墓5世紀前半〜6世紀の地下式墳墓。追葬可の高句麗の墓葬と聞いている 古代古代エジプトの富裕者の墓に似ている
地下式横穴墓分布図九州では宮崎文化圏に偏っている北陸にも多し 地下式横穴墓の出土品 朝鮮式剣 この人骨の分析結果は
ほねは 残らなかったな
この奇妙な横穴墓は、のちに、古墳に横穴を掘って作られたりします。

 高句麗人傭兵幹部のはかと言われている。

  46古墳
超権力階級の墓
墓のために膨大な人員を動員できる権力武力
生前に作り始めるとは、死ぬために生きるのか。わからん価値観だ。どこの文化だろう。 男女は額を鉄球で殴られ即死。召使の殉死体の骨ですね。
朝鮮の風習ですね。
埴輪から前方後円墳の築造まで、中央から人を派遣して統一させた。 この子供じみた風習の意味が分からない。 権力を誇示するため、なぜ列島の隅々までこんなものを作るのか
副葬品。超満足した権力者は、死後にもこれを続けたいと願うからなのか バグの副葬品
女は棒で左頭部を一撃
男は前頭部を鉄球で
夫婦で一緒に死なないだろうよ。 奇妙な副葬品。武器に大工道具ってなんだ 魔除けの鏡に魔除けのヒスイの玉
馬の鞍 
見事な装飾
国宝金銅馬具類美しい馬具 璧の謎
玉で作られた宝器
魔除け 富の証
古墳造営文化
騎馬文化
碧玉の中国文化

 中国古代国家と関係の深い朝鮮半島の人間の古墳
宮崎県や岡山県にはこのような古墳が壊されずにたくさん残っているのが不思議です。

 畿内ではほとんどが壊されています
 高松塚古墳の発見は大谷大学の学生が古墳破壊に抵抗して座り込み、機動隊に殴打された。
掘ってみたら国宝だった

 そこへ権力者が背広で次々と見学に入り、やがてカビの巣となって崩落してしまった。あほやね
  52平安時代
古代のくらし
家と器
平安時代の土器 墓土壙墓の副葬品
鎌と土器
有力者の土壙墓だって かまどが普及してきた
  56中世
経筒超権力者がする納経 中世庶民の日常板葺茅葺の掘立柱建物に住み、
箸や下駄を使う50年前の日本ですね
鍬先、下駄。箸 中世のくらし
生活と信仰陶器の購入が盛んで仏教が盛んになった
土壙墓副葬。
穴あきの甕棺