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  縄文を旅する3 北の縄文 北東北〜南北海道旅 25  2013.10.11(金)

 北海道立埋蔵文化財センター   北海道江別市西野幌685-1 011-386-3231月休
    -掘り出された北の歴史-


交通 札幌駅→(16分)大麻駅→埋文(タクシー又は徒歩20分以上) バスは複雑 地元の人向け
 
見所 大量の北海道の先史時代遺物が展示されている。見放題である。素晴らしい。
ママチ遺跡の土面、 千歳市柏台1遺跡の不定形剥片石器と細石刃石器 異形環状土器、シマフクロウの深鉢 etc
 
反省点 撮影大失敗
順路は無いと言われ反時計回りで写真を撮った。 最後に逆順とわかった。  ( 多くの博物館は反時計回りに展示しています。)
おかげで順序は出鱈目、撮影もおざなり。もうどうしようもない。
このため、編集に大変な時間を要したにもかかわらず、写真の順序が逆順であったり、編集漏れで、追加したり、
また、膨大な量の資料であるため、編集ミスもあり、混乱し、さらに編集時間を費やすこととなってしまい、公開が遅くなってしまいました。
        撮影した写真はごく一部で、展示品はもっともっとたくさんあり、未撮影の貴重な資料が沢山あります。
         
  ご注意    常設展示室では、必ず入口の、進行方向左側から時計回りに見てください。見るだけで一時間。撮影すると2〜3倍かかります。
      中央のものは後から見ます。
 




01入口展示
 アイヌの砦
 動物形製品

05土器
 縄文〜擦文の出土物
11草創期
12早期・前期
 草創期〜早期
 道東地域の土器
14中期
 北海道と北東北の土器分布
15後期
16a異形環状土器
16bシマフクロウの土器
16t晩期


17続縄文時代
18オホーツク文化
19擦文時代
 擦文土器

06aキウス遺跡
16b赤彩土器
16c巻貝形土器

08キウス遺跡の土器
15縄文時代後期
21縄文前期〜中期
 館崎遺跡 土偶
 突瘤文土器
26前期末〜中期前半
 館崎遺跡 石刃鏃製品
 
29土器群
29縄文前期〜中期
30縄文各時代
 動物形土器・石器製品
30cクマ形容器

37晩期前葉 厚真町朝日遺跡
 人骨と副葬品

38縄文後期〜晩期
 重文指定の遺跡
 ママチ遺跡の土面

50後期旧石器時代
 白滝遺跡の黒曜石

 不定形剥片石器文化と細石刃文化
51後期旧石器時代
54千歳市柏台1遺跡
61縄文各期の石器

70アイヌ文化期
 



 01埋蔵文化財センター入口展示  埋文は研究施設だが、入口展示にも気を使っている。

   チャシ
     北海道アイヌは幾つかの部族に分かれて長い間戦争を繰り返してきた。
     人口増加と食糧争奪。領土保全と侵略が主な原因。 そのための砦がチャシ

北海道立
埋蔵文化財センター
アイヌの砦・チャシ砦にグレードアップした住居か モシリヤチャシ ポロモイチャシ ポロモイチャシ北海道の海岸遺跡は必ず段丘上にある。
地震の多い地域のこと
津波や敵、漁の見張りに便利だったのでしょう
知内町湯の里5遺跡
環状列石の組石
小型の環状列石ですから 中庭に再現されるようです  環状列石は、
縄文後期の共同墓地というより、
 一人の権力者の墓地という感じです。
 あまりにも小型です。
埋文の航空写真googleオシャレなデザインです



 
 動物形製品
    東日本一帯からよく似た、または、ほぼ同一の亀形土製品が出土するのは、どう考えたらいいのでしょう。
    縄文後期の物流は亀ヶ岡式土器の全国的流布に鑑みれば、亀形土製品も同様に流通したのか。謎です。
動物形土製品美々4遺跡出土
びび4いせき
北海道 縄文後期晩期
私には水鳥に見えるが
羽根が小さい
亀形土製品東日本に存在する動物形土製品の秘密 東北原遺跡
ひがしきたはらいせき
埼玉県
レントゲン写真共通した製作技法で、流通したのか伝播か? 全国の亀形土製品
出土地図
北海道白滝の黒曜石模式展示の写真未撮影 黒曜石の出土溶岩が大量の水と出会って(海の中で)急に冷えてできた鉱物。 同一反復しています。
間違いです。
すみません。
黒曜石原石 発掘された遺跡分布図 大変な数の遺跡
人は住み易いところに住んだことがわかる


   土器

  05縄文〜擦文時代までの出土物

  縄文時代 草創期


土器と骨角器 北海道では草創期はなく早期からと、言われていますが、変わりつつあるようです
北海道では14000年前の帯広市大正3遺跡から発掘されています。  帯広百年記念館最古の土器


 11土の道具

 骨角器

骨角器の驚くべき種類入手も加工も簡単材料。
興味深い彫刻文様です
骨角の道具 クジラの絵の針入れ   銛先と回転式離頭銛銛先
 縄文後期中〜晩期初
回転式離頭銛
 アイヌ時代
  美々4・8遺跡


 12 縄文時代 早期 約1万年〜6千年前
前期 約6千年〜5千年前

縄文早期 尖底土器=赤御堂式土器 長七谷地貝塚
暁式土器
沼尻式土器
貝殻文尖底土器

貝殻文尖底土器
縄文土器と貝文土器
縄文前期 円筒下層式土器函館市ハマナス野遺跡

 草創期〜早期
 道東地域の土器

暁式土器 1万年前〜8500年前に道東地域を中心に平底の土器が作られた。土器の底面にホタテ貝の痕がついているのが、この土器の特徴です。
沼尻式土器 釧路などでは縄文早期の初めに下頃部式土器や沼尻遺跡で出土する条痕文のある平底土器が現われた。云々

函館市ハマナス野遺跡
縄文時代前期後半の前期円筒土器文化期における大規模な集落跡です。200以上の住居跡や土坑、多数の遺物が出土。
住居形態は,円形の竪穴住居の内部に五角形のベンチ状段構造をもつ「日ノ浜型住居」




 14縄文時代 中期    5千年〜4千年前 北海道では縄文中期はまだ、文化として大きな発展を見せていなかった。
 

円筒土器 円筒土器 土器分布 萩ヶ岡式深鉢
天神山式深鉢
千歳市ユカンボシ遺跡
円筒上層器土器
礼文島上泊3遺跡

  縄文時代中期の北海道と北東北の土器分布

   5000年前 円筒下層式土器が千歳まで
   4500年前 大湯式土器が松前半島に上陸
   4000年前 円筒上層式土器が北見山地〜日高山脈を越せずに西側に。

   土器が拡大するということは、土器作成集団が移動拡大したことを意味する。食料を求めての旅は続いていたんですね。
   北見−日高の山脈を越えられなかったのは、火山灰被害を受けなかった原始の森が繁茂していたからなのか。

   円筒土器と北筒土器についての解説



 15縄文時代 後期 4千年〜3千年前  地球が寒冷化に向かう厳しい時代の、後期・晩期には多様な文化が花開いた。


    アイヌの神聖な動物であるシマフクロウの土器が出土している。
      アイヌは本来、エスキモーなど広範な北方諸民族と共通する、シマフクロウ信仰を持っていたようだ。
      クマ信仰はそののちに加わったようです。

キウス遺跡など 手稲式土器大湯環状列石でみた土器と酷似。
東北からも多くの移住者があったようだ。
異形環状土器
長沼町 後期後葉
フクロウの絵の付いた突瘤文土器美々4遺跡 梟はこの時代から神聖だったようです 最高神シマフクロウ羽根を広げた姿


 16a2異形環状土器 縄文後期後葉  北海道夕張郡 長沼町12区B遺跡出土 地図

   本土器の形状は、横環胴部としたドーナツ状に廻る環胴部にその上に連結する縦2本の環状、
   さらにその間を横につなぐ細い管状が1本あるいは2本あり、全体として非常に複雑な形状を持つ。

   このような土器は、本邦において全く例をみないほど稀有な存在である。   これは高等数学の、高度な立体図形能力の発露だ




  16bシマフクロウの意匠の付いた土器  美々4遺跡 千歳市東雲町2-34 地図

    シマフクロウはアイヌの最高神とされ、尊ぶとともに忌み退ける対象であった。

立体表現のフクロウの顔高い技法を駆使して→ 容器周囲に複数の顔丹念に羽を描いている 広げた羽根をイメージした文様上下二段 顔は貼り付け文様
互い違いに空間を埋めています 広げた羽根をイメージした文様下の段の方ががよくわかります。 アイヌの祭祀に
 シマフクロウの霊送り=イオマンテがある。
 ということは、→

イオマンテ=イヨマンテ
 アイヌは多くの北方諸民族と同じように、シマフクロウ信仰を持っていた。その後、クマ信仰が文化に入り込んだ。  フクロウはドーナッツ2個の目はしていない。
 しかし、こう表すことで世界共通の表現となる。
 不思議だ。

  北陸の縄文を見に行ったとき、やはり深鉢の周囲にフクロウの浮き彫りがあるのを見て質問したところ、そんなものは見えない。気のせいだ。
  そばにいた女性学芸員は、ミミズクでしょ。という。

  権威主義でお偉いのは分かるが、ここにあるものとよく似た土器が目の前にあるのに、とぼけたり、否定したり、、何なんだろうここの人と思った。
  北陸でもフクロウの土器発見しました。

  フクロウミミズクの区別ができますか。 耳があるかないかだといっているがフクロウにも耳があるのいるよ




 16last縄文時代 晩期 3千年〜2千年前
   寒冷期に入った北海道では、人の集住によって文化レベルが高まったようです。
   北からも南からも、たくさんの人々が異なった文化を持ってやって来ました。     展示品は キウス ママチ 美々などの遺跡出土

ミニチュア土器
美々4遺跡
美しい形状、文様の土器が花開いている

  縄文後期晩期から始まる地球的な寒冷化は、縄文人25万人が5万人に激減するほどの天候不順による飢餓をひきおこした。
  人々はこの困難な時代を生き抜くために、呪術や恐怖の通過儀礼、信仰などによって、社会や人の心の安定を求める文化が広がった。

  また、餓えた人々は食料を求めて集中する傾向があり、人が集まると伝染病が流行する。
  こうして縄文人は人口を減らしながら、やがて半島からのハイテク武器を持った大量の侵略者に出会うこととなる。



 17続縄文時代

   2300年前〜1300年前(BC300〜AD700 弥生〜古墳)  弥生文化の影響を受けた土器文化
   稲作不適の北海道は半島からの侵略者に支配されなかったが、弥生人はやってきて、弥生文化は伝わった。


  続縄文土器は
    初期にはほぼ全道的に,少量ながらも突瘤文のみられる兜野式,琴似式,大狩部式,興津(おこつ)式などの土器が分布する。
    次いで道南を中心に沈線文のある恵山式,道東道北地方を中心に縄線文,突瘤文,貼付文のある前北式系統の土器が分布し,
    さらに道央部で貼付文の発達する後北式が成立すると,次第に地域色が失われ,ほぼ後北C1式の時期には全道的に一様となる。  引用

後北式、北大式土器 恵山式土器 恵山式土器北斗市茂別遺跡
千歳市美々8遺跡
大狩部式土器千歳市キウス遺跡 コハク製装身具
後北式土器千歳市キウス7遺跡 後北式、北大式土器千歳市ユカンボシ遺跡 北大式土器ユカンボシ遺跡 ↑この男女を表す土器は弥生式土器の特徴です

 しかし、縄文時代早期に鹿児島でこのような土器が出土しています。



 18オホーツク文化 1700年〜700年前(3世紀〜13世紀 古墳中期〜鎌倉)

    この後 トビニタイ文化期がありましたが、ここでは取り上げられていません。

    オホーツク文化は続縄文時代中ごろから擦文時代中ごろの、およそ5世紀から12世紀ごろまでの間、
    サハリン南部から北海道、南千島の沿岸にかけて分布した文化です。

    千歳市ウサクマイ遺跡群は要チェック  リンク2 リンク3 リンク4 リンク5

  オホーツク文化 千年も続いた一大文化期である

 樺太と千島列島を結ぶ北海道北東沿岸地域に存在した北方文化。
 アムール川流域からやって来た、
 ツングース系の北方系民族が担い手である。

 人々は海岸地域にのみ居住し内陸には入らなかった。
アイヌとの確執が原因であろう。
 しかし、その後、オホーツク文化は擦文文化と融合し、
トビニタイ文化となり、やがて擦文文化に吸収されました。
 トビニタイ文化
  (1100年〜700年前 9〜13世紀) 400年続く

土器や住居跡遺跡など、オホーツク文化が擦文文化を模倣し折衷したような遺物の出土する文化です。

二つの文化が融合する過程がよくわかります。

縄文人など先史文化では言語が違っても人々は交易し、通婚し、移住し、やがて融合しました。

オホーツク文化
オホーツク人の南下と交易について

 旭川博物館
オホーツク式土器オホーツク土器の典型が撮れてません。
リンクをご覧ください

北見市常呂 地図
トコロ遺跡

拝借します。
注口土器オホーツク式土器の
注口土器はリンクを見てください。


続縄文時代の注口土器の方が似ているのではないかと思います。
写真不足すみません

→展示パネルの写真は千歳市で発掘された擦文文化遺跡からのオホーツク式土器です。
なぜこんな離れた内陸から出土したのでしょう。
擦文文化遺跡から出土したオホーツク式土器
千歳市ウサクマイ遺跡

本州と交易するオホーツク人と擦文人の対立が
オホーツク式土器
千歳市美々1遺跡
あったことから、捕囚か、奴隷か、それとも交易のためか、偶然か。


  北海道の縄文・続縄文・擦文を担ってきた、内陸部の生活に順応していたのはアイヌで、初期モンゴロイドです。
  彫の深い顔立ちの彼らはすでに当時から少数民族でした。

  大陸からは後期モンゴロイド系ののっぺり顔の民族が拡大しつつあった。その一つがオホーツク人である。
  ツングース系の彼らはエベンキ人・エスキモーともいい、海洋狩猟民で、革舟で移動しながら海獣狩猟を生業としていた。

  ツングース系のエベンキ人は大陸沿岸を南下して半島を支配しました。



 19擦文時代  1300年〜700年前 (7世紀〜13世紀)

  擦文土器 ヘラで擦った痕跡のある土器が併出することから擦文文化という。

          
北海道で使用された最後土器製法,器形に東北地方土師器(はじき)の影響が強くみられる。
器面内外木製の篦(へら)状工具による擦痕,あるいは刷毛目痕がつけられているところから,この名称がある。

製作時の器面調整痕である。平口縁,平底で,横走沈線,山形格子目などの直線的沈線を組み合わせた幾何学的文様特色としている。
その文様帯の上下や口縁にくさび状の刻点列がつけられることも多い。

器形は深鉢の甕を主体に,浅鉢の杯や高杯もみられ,また末期には例は少ないが,
内耳鉄鍋を模したとみられる内耳土鍋(炎が弦に当たらないように内面に吊り耳をつけた鍋)があらわれる

続縄文時代後半から鉄器・鉄製品が普及し、文化や生活も随分変化した。


  擦文土器  千歳市美々8遺跡 
擦文時代の竪穴住居住居内端にかまどがあるのは弥生式か 須恵器、擦文土器 内外面黒色土器
擦文土器
擦文墓地の副葬品杯 刀子 鞘 鍬先 長方形の擦文住居
根室市穂香 地図
畑に現れた擦文住居
千歳市オサツ 地図 
竪穴住居



 06aキウス遺跡 赤彩土製品  縄文後期 3200年前   下半身だけの土偶  ダルマ形赤彩土器  巻貝形土器
              地図

下半身だけの土偶

 しかし、見事な造形です。
ブーツや革ズボンのひだ。
爪先立ちのポーズは
物の質感やモデルの年齢まで想像させる。
 「中空土偶」と言い、この「爪先立ち土偶」と言い、

 北の土偶の造形
(表現と技術)
は実にすばらしい。


  16b赤彩土器

 ダルマ形赤彩土器

 赤漆で彩色された土器
瓢箪型で、
 注口が付いていたかのような形状です。

 瓢箪は縄文の栽培品種です


  16c巻貝形土器
巻貝形土器南方の巻貝に呪術的な魅力 や意味をもっていたのか。
見事な造形力で作る→
中空の巻貝形土器。どんな方法でこれを作り得たのか。 コンパスで切ったこの円。
ろくろで作ったわけでもない。
製作・乾燥・焼成の高い技術と経験です




  08キウス遺跡の土器 縄文時代後期後半 3200年前  地図

    キウス周堤墓に副葬された品々です。 舟形土器 片口土器、 双口土器 香炉形土器など素晴らしい


舟形土器くり舟の利用者だった

トレンチの写真
ゴミ捨て場の内部

片口土器完成度の高いみごとな

土器が並んでいます。

双口土器

香炉形土器

   ・双口土器は関東地方に多く見られるものです。海上交通で繋がりがあり影響を受けたのではないでしょうか。それとも北方からでしょうか。

   ・香炉形土器は香炉型土器のどちらでも通用します。形フォルムなのか型タイプなのか、詳しいことは分かりません。
   本当に香炉だったのか、蚊取り線香を燃やしたのか。良い匂いのするお香があったのか、儀式に芳香が必要だったのか。

   とにかく、この形の土器 (やっぱりフォルムだね) は全国から出土しています。こんなのも 長野県川上村だって



  15縄文時代後期 玉 装身具 土製品   キウス・美々4遺跡 3200年前  北海道縄文人=アイヌの遺跡に特徴的なのが大量のビーズ玉です。
                                                  彼らは首飾りが大好きでした。


大量の玉は全て交易品
土製品 スタンプ形土器 耳飾り 土玉 耳栓型 耳飾り




  21縄文前期〜中期 館崎遺跡 土偶   松前半島館崎 地図


館崎遺跡 土偶すみません。
こんな写真を揚げていました。
土偶 中期 土偶光の具合でどちらもよく見えません。 岩偶 縄文中期
岩偶 前期後半
縄文晩期初頭
 オニキシベ1遺跡 玉勇払郡厚真町
縄文時代後期3000年前
 キウス4 ダルマ形土器千歳市キウス
縄文時代後期3000年前
 キウス4 ダルマ形土器奥の土器は注口土器に見えるが実は突瘤文土器
縄文時代後期3000年前
 キウス4
突瘤文土器
縄文時代後期3000年前
 キウス4 

  すみません 前期〜中期のところに後期の土器が紛れていました。 もうしわけないです。

  突瘤文土器 文時代後期後半〜晩期初頭には、北海道を主たる分布域とてしていた。

           



   石刃鏃文化

 26縄文前期末〜中期前半 館崎遺跡 石鏃製品  5500〜4500年前?

    館崎遺跡の人々は、アムール川流域の石刃鏃文化(7千年前)と、東北北部の円筒下層式土器文化(縄文前期6千-5千年前)を持っていた。
    彼らは石刃鏃文化をもって南下してきた北方民族で、円筒下層式土器文化を松前の地で獲得したのだ。

    この遺跡は、北海道新幹線工事のため発掘が進み、人骨や岩偶が発見されています。今後の成果が期待されます。

石鏃長野県産石鏃を含む 長野県産の黒曜石製の石鏃 縄文早期の石刃鏃石刃に簡単な加工を加えた鏃

 石刃鏃文化せきじんぞくぶんか 7000年前アムール川流域の人々がやってきた

   石刃に簡単加工を加えて鏃とした石刃鏃を特徴とする文化中石器時代から新石器時代初期にかけてユーラシア大陸北部に広く認められる。
  日本列島では,北海道東・北部に限って存在し,縄文時代早期浦幌式土器,女満別式土器などを伴う。

   アジア大陸側では,シベリア中国東北モンゴル各地に存在し,数多くの遺跡報告されている。
  細かく見ると,この文化には時代性と地域性の差を認めることができる。
  シベリアの最初期の石刃鏃は幅1cm以下の細石刃に作られたもので,土器を伴わない中石器時代段階のものである。


 29土器群

 29縄文前期〜中期

    館崎遺跡   松前郡福島町館崎(たてさき) 地図    円筒土器下層式から上層式までの土器

    縄文前期後半〜後期初頭にかけての長期間にわたって営まれた、円筒土器文化が中心の集落跡です。
    日常生活で使用した土器など大量の生活道具を、一定の場所にまとめて捨てた大規模な「土器塚」が特徴となっています。

    これらのことから館崎遺跡の人々は海峡をまたいで頻繁な交流があったものと考えられる。


  縄文前期末頃の円筒下層式に分類される土器が最も多く出土しています。
   撚糸文 よりいともん 絡条体 らくじょうたい と呼ばれる文様が付けられた、円筒形で平底の土器で、

  植物の繊維を粘土に混ぜているのが特徴です。    北海道庁のホームページより拝借







 30縄文各時代

  動物形土器・石器製品 動物形デザインの土・石・木器

  クマ形の土・石製品は信仰か?その担い手は?  イノシシは北海道にいたのか? って、放したんでしたね


ホホジロザメ歯後〜晩期
イノシシ牙製品後期
奇形の鹿角の腰飾り縄文
動物形土製品ヘビ後期

シャチ形土製品中期
イモガイ形石製品晩期
クマ形土製品後期
クマ形石製品縄文
ヘビ描画土器後期

クマ形木製容器
オホーツク文化期
羅臼町松法川北岸遺跡
オホーツク人の文化

イノシシ幼獣土偶晩期
クマ形石製品続縄文
シャチ形土製品中期

千歳市美々
函館市桔梗
芦別市滝里安井遺跡
イモガイ形石製品
縄文時代晩期
イノシシ幼獣土偶↓
縄文晩期
↓クマ形石製品続縄文
←クマ形土製品
縄文晩期
←ヘビが描かれた土器
縄文後期
シャチ形土製品縄文中期
ホホジロザメの歯
縄文後期〜晩期
蛇形土製品縄文後期
奇形鹿角製腰飾り縄文
猪牙製品縄文後期
ホホジロザメの歯
クマ形土製品縄文後期



  30cクマ形容器 オホーツク文化期 1700年〜700年前(3世紀〜13世紀 古墳中期〜鎌倉)

    クマ信仰はオホーツク文化の中心である。この精緻な彫刻は、彼らの宗教儀式の祭祀具である。
クマ形木製容器 クマの口が注ぎ口。腹に液体を入れる。 おもしろいアイデアの容器です。  クマ形木製容器

  オホーツク文化期

  羅臼町松法川北岸遺跡 地図

焼けた住居跡から出土した、炭化したクマ形木製容器です。
クマの口の部分が注ぎ口になっています。

  
木製容器復元   オホーツク文化期
 3世紀〜13世紀 北海道の東部オホーツク海側の文化

 オホーツク文化人は北方からやってきたツングース系民族です。
 続縄文文化、擦文文化の担い手アイヌとは異なった人々でした。

 海獣狩猟を生業にし、樺太やアムール川流域と交易していました。
 アイヌの進出で交易ルートを断たれ、アイヌと融合し、トビニタイ文化
 を形成しながら同化消滅しました。

 しかし、彼らののクマ信仰はアイヌに受け継がれました。  



 37縄文晩期前葉 厚真町朝日遺跡 人骨 と副葬品   地図

      朝日遺跡は厚真川右岸段丘から続く緩斜面上に立地し、土坑、焼土などを調査しました。土坑はほとんどが墓坑とみられ、
      27基で人骨とその痕跡を確認しました。うち1基は8体の合葬墓合葬墓リンク  遺跡リンク

サメの歯、クマの爪 片口土器 酒杯 鹿と猪の歯 30〜40代男性 頭骨 12〜3歳男性 骨 既出30〜40代男性 頭骨

  ママチ遺跡の土面   地図

 38縄文後期〜晩期 重文指定の遺跡 千歳市美々8遺跡 美々4遺跡 千歳市ママチ遺跡 

千歳市美々8遺跡
アイヌ文化期
石棒
美々4遺跡 土壙墓縄文後期3000年前
副葬された石斧周堤墓、墓壙群出土
縄文後期3000年前
副葬された石鏃 芦別市安井遺跡 縄文晩期 石斧・石製垂飾美々4 縄文後期 美々4遺跡 石棒土壙墓 縄文晩期
ママチ遺跡 晩期2300前 ママチの土面 黒曜石剥片ママチ遺跡 縄文晩期
なぜか面の周囲に黒曜石の破片が
貝殻状断口のガラス片は危険です。 ママチ川沿いの周溝墓
木製墓標に取り付けられた土面が溝に落ち、
運よくそのまま保存され、見つかった物である。
北海道で発見された唯一の土面
死者の生前を模したものか。顔に入れ墨がない。 土面の作り方がよくわかる。 後期モンゴロイドの顔ではない 美々4遺跡
新道4遺跡の土偶

・首飾りをした土偶
・土偶とともに副葬された 巻貝形土器
頭部に弁柄を塗った土偶




 50後期旧石器時代  白滝遺跡 黒曜石

     
白滝遺跡は北海道大雪山系遠軽町白滝にある、推定埋蔵量数十億トンの日本最大の黒曜石の産地です。

27,000年前から10,000年前の(日本旧石器学会) 北海道内で発掘されるすべての種類の石器が出土する。白滝遺跡群 白滝遺跡 白滝ジオパーク
白滝T文化層がB.P.20000〜15500年、白滝UがB.P.15000〜12000年となっている。

日本旧石器学会によると、100あまりの遺跡から11.8トンもの遺物752万点が出土した。その多くは石器製作過程の破片である。

白滝遺跡群出土石器 接合資料 湧別技法によって作られた舟底形石器  白滝遺跡群 -石器接合資料-

  石器の破片を集めて元に戻し、作り方を学ぶ。
 
  作り方による年代の違い



  不定形剥片石器文化と細石刃文化

 51後期旧石器時代 石の道具 千歳市柏台1遺跡   地図


 柏台1遺跡からは初期細石刃石器群が出土している。
   年代は、従来1.2〜1.5万年前とされたが、1.6〜1.9万年前のものであった。 現在、2万年前

   ここでは炉を中心に細石刃作成の痕跡が数十メートル間隔で複数見られる。
   また、場所と年代を異にして2.2万年前の不定形剥片石器群が分布する。千年から2千年古い。

   つまり、2.2万年前頃にスンダランド人が道内を歩き回り、ここを見つけて不定形剥片石器製作工房を開き、
   その2千年後、完成された細石刃文化を持った北方民族がやってきて、偶然ここを発見し、細石刃を作っていた。ことになる。

   スンダランド人はどこへ行ったのか。


  石器に使う石材
    石器には機能に応じた石選びがなされています。

石槍・ナイフには 鋭利な 黒曜石・頁岩・安山岩・チャートなど 
石斧・石のみには 衝撃に強い 緑色泥岩・片岩など
すり石・石皿には 砂岩・安山岩など
赤と黒の顔料には 鉱石を使っていた

2万年前の炉跡炉は生活痕。居住していた証拠です。 旧石器時代の石器
 大量の大切な石器があるのは、住んでいたのかなぁ。
 人々は命を繋ぐ道具を残して、どこに行ったのでしょう。
尖頭器・両面調整石器 細石刃と植刃器と
細石刃核
大型尖頭器 細石刃接合資料と顔料
不定形剥片の接合資料
細石刃核接合資料 石刃と細石刃核接合資料
白滝遺跡
台形・錐形石器、彫器掻器、石核
白滝遺跡群  削器 白滝遺跡
大型石刃
千歳市柏台1遺跡全く違う文化の石器、
不定形剥片石器
細石刃石器が出土
木古内町新道4遺跡 今金町美利河1遺跡


 54千歳市柏台1遺跡の不定形剥片石器はスンダランドが発生源の南方系の旧石器文化である。
3.5万〜3万年前に南方型旧石器文化は関東地方にまで到達していたことが知られている。図1
その後、2.5万〜2万年前の不定形剥片石器文化は奄美大島までしか到達していなかった。しかし、北海道でこれが発見されていたことは、

南島の不定形剥片石器の文化が北海道まで到達し、繁栄していたことになる。画期的なことでありましょう。
それとも、全く別の不定形剥片石器文化だったのか。って、きいたことがないから。

図1
35000〜30000年前

図表拝借
図2
25000〜20000年前
図表拝借
図3
32000〜14000年前図表拝借
図4
32000〜14000年前
図表拝借
 南方型旧石器文化
東京の西之台B、中山谷遺跡(約3万5千年前)で出土した礫器、大型幅広剥片石器、錐状石器、クサビ形石器、磨石、敲石などの「重量石器」を特徴としている。

不定形剥片石器
中山谷遺跡 東京・武蔵野台地の野川流域で、立川ローム第X層中(約3万5000年前)からチャート製の小型錐状石器、大型スクレイパーなど多数の不定形剥片石器群が出土した。この旧石器文化は日本最古級です。
結論
南方型旧石器文化は重量型不定形剥片石器でした。

 柏台1遺跡
不定形剥片石器 は2万2千〜2万年前  さまざまな形の剥片を加工した、掻器など
  細石刃石器 は2万年前頃で  二つの出土層位に大きな差はありませんでした。 ということです。

すなわち,約2.2-2万年前の不定形剥片石器、細石刃石器群は寒冷な気候下、広がった草原にマンモスゾウが生息するような環境で作られた。
一方,約3万年前と考えられる小型剥片は温暖あるいは冷涼な気候下,落葉広葉樹の森にナウマンゾウが生息するような環境で作られた。

25000〜20000年前図2の時代に、旧石器人は丸木舟に乗って、陸伝いの沿岸航法(⇔季節風を利用した外洋航法)か、または、流されて、
集団で北海道に到達して、不定形剥片石器文化を築いていた。
その後、北方から細石刃文化を持った集団が渡来し、二つの文化層が重なって出土した。蘭越型細石刃石器群の技術構造  再び炭素年代



 61縄文時代各時代の石器 (1万〜2千年前 ) 狩猟・採集、木を伐採・加工する、食物を加工する、魚を獲る道具

石器と骨器石鏃、、石槍
つまみ付きナイフ
石斧と石ノミ

漁網と石錘
すり石、丸すり石、半月形すり石、おろしがね状石器、北海道式石冠
石皿とすり石、斧出土

道具の復元
縄文人の道具箱 石鏃 石槍 
つまみ付ナイフ
石斧と石のみ 北海道式石冠
(取っ手付磨り石)
いかり石石錘といかり石、すり切り痕のある研磨石材 漁網と石錘も展示されていますが、写真掲載していません。すみません



  70アイヌ文化期 (700〜100年前 13〜19世紀 鎌倉〜江戸時代)  美々遺跡・ユカンボシ遺跡の特徴的なアイヌ文化が理解できる。

            アイヌ文化が固まり、発展した時代。アイヌ文化の社会性。 十勝のアイヌ文化 アイヌ文化入門 北の縄文文化 

美々8遺跡は北海道埋文のすぐそばです 美々村ジオラマ 川舟 丸木舟=くり船別に板綴り船=構造舟もあった。船首と船尾を取り付ける ユカンボシc15遺跡 旧石器〜近世の遺跡
近世の噴火と降灰図 ヒキリギネ火きり棒 ヒキリ板 タイマツを挟む棒下の燈火用筒状樹皮を挟む棒です 魚突鉤銛 回転式離頭銛中世下北の離頭銛
燈火用筒状樹皮 箆ヘラシトペラ=調理道具
鍋の中から団子をすくい上げたり、
箆ヘラ大きな団子を切ったりするのに使う道具。
神事用のイクパスイではない
片口箸箸の片方だけが尖っている。普段使いの箸
箸の起源
両口箸箸の両方を使うね神事・祝事用。
「ハレの箸」⇔「ケの箸=普段使い
色々な串竹串 三角串 有孔
平角串 平串 細角串
陶磁器と交易品 ガラス玉 アイヌ文化期16c〜17c  手斧(袋状鉄斧)
鍬先、、宋銭、青磁器
 編集後記
  平日の館内では数人の子供たちが走り回っていた。

  館員が何も言わないことに驚いた。
  あちこちにクイズが仕掛けられて
  また自分たちでクイズを作って
  勉強していた。素晴らしい。