縄文を旅する3 北の縄文 北東北〜南北海道旅 25 2013.10.11(金) 北海道立埋蔵文化財センター 北海道江別市西野幌685-1 011-386-3231月休 -掘り出された北の歴史-
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01埋蔵文化財センター入口展示 埋文は研究施設だが、入口展示にも気を使っている。 チャシ 北海道アイヌは幾つかの部族に分かれて長い間戦争を繰り返してきた。 人口増加と食糧争奪。領土保全と侵略が主な原因。 そのための砦がチャシ
動物形製品 東日本一帯からよく似た、または、ほぼ同一の亀形土製品が出土するのは、どう考えたらいいのでしょう。 縄文後期の物流は亀ヶ岡式土器の全国的流布に鑑みれば、亀形土製品も同様に流通したのか。謎です。 |
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土器 05縄文〜擦文時代までの出土物 縄文時代 草創期
11土の道具 骨角器 |
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草創期〜早期 道東地域の土器
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14縄文時代 中期 5千年〜4千年前 北海道では縄文中期はまだ、文化として大きな発展を見せていなかった。
縄文時代中期の北海道と北東北の土器分布 5000年前 円筒下層式土器が千歳まで 4500年前 大湯式土器が松前半島に上陸 4000年前 円筒上層式土器が北見山地〜日高山脈を越せずに西側に。 土器が拡大するということは、土器作成集団が移動拡大したことを意味する。食料を求めての旅は続いていたんですね。 北見−日高の山脈を越えられなかったのは、火山灰被害を受けなかった原始の森が繁茂していたからなのか。 円筒土器と北筒土器についての解説 |
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15縄文時代 後期 4千年〜3千年前 地球が寒冷化に向かう厳しい時代の、後期・晩期には多様な文化が花開いた。 アイヌの神聖な動物であるシマフクロウの土器が出土している。 アイヌは本来、エスキモーなど広範な北方諸民族と共通する、シマフクロウ信仰を持っていたようだ。 クマ信仰はそののちに加わったようです。
16a2異形環状土器 縄文後期後葉 北海道夕張郡 長沼町12区B遺跡出土 地図 本土器の形状は、横環胴部としたドーナツ状に廻る環胴部にその上に連結する縦2本の環状、 さらにその間を横につなぐ細い管状が1本あるいは2本あり、全体として非常に複雑な形状を持つ。 このような土器は、本邦において全く例をみないほど稀有な存在である。 これは高等数学の、高度な立体図形能力の発露だ 16bシマフクロウの意匠の付いた土器 美々4遺跡 千歳市東雲町2-34 地図 シマフクロウはアイヌの最高神とされ、尊ぶとともに忌み退ける対象であった。
北陸の縄文を見に行ったとき、やはり深鉢の周囲にフクロウの浮き彫りがあるのを見て質問したところ、そんなものは見えない。気のせいだ。 そばにいた女性学芸員は、ミミズクでしょ。という。 権威主義でお偉いのは分かるが、ここにあるものとよく似た土器が目の前にあるのに、とぼけたり、否定したり、、何なんだろうここの人と思った。 北陸でもフクロウの土器発見しました。 フクロウとミミズクの区別ができますか。 耳があるかないかだといっているが、フクロウにも耳があるのいるよ |
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16last縄文時代 晩期 3千年〜2千年前 寒冷期に入った北海道では、人の集住によって文化レベルが高まったようです。 北からも南からも、たくさんの人々が異なった文化を持ってやって来ました。 展示品は キウス ママチ 美々などの遺跡出土 |
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17続縄文時代 2300年前〜1300年前(BC300〜AD700 弥生〜古墳) 弥生文化の影響を受けた土器文化 稲作不適の北海道は半島からの侵略者に支配されなかったが、弥生人はやってきて、弥生文化は伝わった。 続縄文土器は 初期にはほぼ全道的に,少量ながらも突瘤文のみられる兜野式,琴似式,大狩部式,興津(おこつ)式などの土器が分布する。 次いで道南を中心に沈線文のある恵山式,道東・道北地方を中心に縄線文,突瘤文,貼付文のある前北式系統の土器が分布し, さらに道央部で貼付文の発達する後北式が成立すると,次第に地域色が失われ,ほぼ後北C1式の時期には全道的に一様となる。 引用 |
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18オホーツク文化 1700年〜700年前(3世紀〜13世紀 古墳中期〜鎌倉) この後 トビニタイ文化期がありましたが、ここでは取り上げられていません。 オホーツク文化は続縄文時代中ごろから擦文時代中ごろの、およそ5世紀から12世紀ごろまでの間、 サハリン南部から北海道、南千島の沿岸にかけて分布した文化です。 千歳市ウサクマイ遺跡群は要チェック リンク2 リンク3 リンク4 リンク5
北海道の縄文・続縄文・擦文を担ってきた、内陸部の生活に順応していたのはアイヌで、初期モンゴロイドです。 彫の深い顔立ちの彼らはすでに当時から少数民族でした。 大陸からは後期モンゴロイド系ののっぺり顔の民族が拡大しつつあった。その一つがオホーツク人である。 ツングース系の彼らはエベンキ人・エスキモーともいい、海洋狩猟民で、革舟で移動しながら海獣狩猟を生業としていた。 ツングース系のエベンキ人は大陸沿岸を南下して半島を支配しました。 |
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19擦文時代 1300年〜700年前 (7世紀〜13世紀) 擦文土器 ヘラで擦った痕跡のある土器が併出することから擦文文化という。
擦文土器 千歳市美々8遺跡 |
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06aキウス遺跡 赤彩土製品 縄文後期 3200年前 下半身だけの土偶 ダルマ形赤彩土器 巻貝形土器 地図 |
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08キウス遺跡の土器 縄文時代後期後半 3200年前 地図 キウス周堤墓に副葬された品々です。 舟形土器 片口土器、 双口土器 香炉形土器など素晴らしい
・双口土器は関東地方に多く見られるものです。海上交通で繋がりがあり影響を受けたのではないでしょうか。それとも北方からでしょうか。 ・香炉形土器は香炉型土器のどちらでも通用します。形フォルムなのか型タイプなのか、詳しいことは分かりません。 本当に香炉だったのか、蚊取り線香を燃やしたのか。良い匂いのするお香があったのか、儀式に芳香が必要だったのか。 とにかく、この形の土器 (やっぱりフォルムだね) は全国から出土しています。こんなのも 長野県川上村だって |
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15縄文時代後期 玉 装身具 土製品 キウス・美々4遺跡 3200年前 北海道縄文人=アイヌの遺跡に特徴的なのが大量のビーズ玉です。 彼らは首飾りが大好きでした。 |
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21縄文前期〜中期 館崎遺跡 土偶 松前半島館崎 地図 |
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石刃鏃文化 26縄文前期末〜中期前半 館崎遺跡 石鏃製品 5500〜4500年前? 館崎遺跡の人々は、アムール川流域の石刃鏃文化(7千年前)と、東北北部の円筒下層式土器文化(縄文前期6千-5千年前)を持っていた。 彼らは石刃鏃文化をもって南下してきた北方民族で、円筒下層式土器文化を松前の地で獲得したのだ。 この遺跡は、北海道新幹線工事のため発掘が進み、人骨や岩偶が発見されています。今後の成果が期待されます。
石刃鏃文化せきじんぞくぶんか 7000年前アムール川流域の人々がやってきた 石刃に簡単な加工を加えて鏃とした石刃鏃を特徴とする文化。中石器時代から新石器時代初期にかけてユーラシア大陸北部に広く認められる。 日本列島では,北海道東・北部に限って存在し,縄文時代早期浦幌式土器,女満別式土器などを伴う。 アジア大陸側では,シベリア,中国東北,モンゴルの各地に存在し,数多くの遺跡が報告されている。 細かく見ると,この文化には時代性と地域性の差を認めることができる。 シベリアの最初期の石刃鏃は幅1cm以下の細石刃に作られたもので,土器を伴わない中石器時代段階のものである。 |
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29土器群 29縄文前期〜中期 館崎遺跡 松前郡福島町館崎(たてさき) 地図 円筒土器下層式から上層式までの土器 縄文前期後半〜後期初頭にかけての長期間にわたって営まれた、円筒土器文化が中心の集落跡です。 日常生活で使用した土器など大量の生活道具を、一定の場所にまとめて捨てた大規模な「土器塚」が特徴となっています。 これらのことから館崎遺跡の人々は海峡をまたいで頻繁な交流があったものと考えられる。 縄文前期末頃の円筒下層式に分類される土器が最も多く出土しています。 植物の繊維を粘土に混ぜているのが特徴です。 北海道庁のホームページより拝借 |
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30縄文各時代の 動物形土器・石器製品 動物形デザインの土・石・木器 クマ形の土・石製品は信仰か?その担い手は? イノシシは北海道にいたのか? って、放したんでしたね
30cクマ形容器 オホーツク文化期 1700年〜700年前(3世紀〜13世紀 古墳中期〜鎌倉) クマ信仰はオホーツク文化の中心である。この精緻な彫刻は、彼らの宗教儀式の祭祀具である。
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37縄文晩期前葉 厚真町朝日遺跡 人骨 と副葬品 地図 朝日遺跡は厚真川右岸段丘から続く緩斜面上に立地し、土坑、焼土などを調査しました。土坑はほとんどが墓坑とみられ、 27基で人骨とその痕跡を確認しました。うち1基は8体の合葬墓。合葬墓リンク 遺跡リンク |
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ママチ遺跡の土面 地図 38縄文後期〜晩期 重文指定の遺跡 千歳市美々8遺跡 美々4遺跡 千歳市ママチ遺跡
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50後期旧石器時代 白滝遺跡 黒曜石
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不定形剥片石器文化と細石刃文化 51後期旧石器時代 石の道具 千歳市柏台1遺跡 地図 柏台1遺跡からは初期細石刃石器群が出土している。 年代は、従来1.2〜1.5万年前とされたが、1.6〜1.9万年前のものであった。 現在、2万年前 ここでは炉を中心に細石刃作成の痕跡が数十メートル間隔で複数見られる。 また、場所と年代を異にして2.2万年前の不定形剥片石器群が分布する。千年から2千年古い。 つまり、2.2万年前頃にスンダランド人が道内を歩き回り、ここを見つけて不定形剥片石器製作工房を開き、 その2千年後、完成された細石刃文化を持った北方民族がやってきて、偶然ここを発見し、細石刃を作っていた。ことになる。 スンダランド人はどこへ行ったのか。 石器に使う石材 石器には機能に応じた石選びがなされています。
54千歳市柏台1遺跡の不定形剥片石器はスンダランドが発生源の南方系の旧石器文化である。
柏台1遺跡の
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61縄文時代各時代の石器 (1万〜2千年前 ) 狩猟・採集、木を伐採・加工する、食物を加工する、魚を獲る道具 |
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70アイヌ文化期 (700〜100年前 13〜19世紀 鎌倉〜江戸時代) 美々遺跡・ユカンボシ遺跡の特徴的なアイヌ文化が理解できる。 アイヌ文化が固まり、発展した時代。アイヌ文化の社会性。 十勝のアイヌ文化 アイヌ文化入門 北の縄文文化
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編集後記 平日の館内では数人の子供たちが走り回っていた。 館員が何も言わないことに驚いた。 あちこちにクイズが仕掛けられて また自分たちでクイズを作って 勉強していた。素晴らしい。 |