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  縄文を旅する3 北の縄文 北東北〜南北海道旅 23  2013.10.10(木)

  北海道庁旧庁舎 赤レンガ庁舎 北海道の歴史ギャラリー  北海道札幌市中央区北3条西6丁目


   直前に札幌市埋蔵文化財センターに行きました。撮影禁止条件付きで許可してもらいました。従って掲載できません。
   立派な展示物が紹介されることよりも、何かの批判を恐れているようでした。残念です。

   交通 札幌駅から徒歩またはバス
       
見所 有名で美しく、歴史的な建物。夜景。石刃鏃文化
       
反省点 旧北海道庁赤レンガ庁舎の二階が展示室になっており、膨大な資料が展示されている。 意外にまとまった展示で、勉強になりました。
 
      縄文・旧石器だけを目指して行ったが、

その他に赤れんが北方領土館樺太関係資料館北海道の歴史ギャラリー
国際交流・道産品展示展、観光情報コーナー、会議室(1号・2号)、お手洗いがあります。すべて、撮影してくるべきでした。

    ※ 赤レンガ庁舎を見に来る人は多いが、無料で入場できることを知らない人がほとんどです。
       私は、この日のようにへとへとに疲れていると、ついつい教えたくなります。よくないですね。余計なお世話。




 
00外観
01北海道の先史文化
02大陸から来た石刃鏃文化
03オホーツク文化

04縄文文化
04キウス遺跡
06鷲ノ木遺跡ストーンサークル
08特殊土器
 
 
 000外観 北海道庁 旧赤レンガ庁舎
赤レンガ庁舎夜景観光客は撮影するだけ。中に入れることを知らない。 庁舎内部明治の建物の何とかいう建築様式。懐かしいね。大学を思い出す。 JR札幌駅夜景
旧赤レンガ庁舎観覧後

朝から動きっぱなしで一日食べてない。これから小樽へ
JR小樽駅
宿泊単価の高い札幌を避けて小樽へ来た。
小樽のいつものホテル満室。途方に暮れているところ。
小樽ドンキ夜遅くに空腹宿なし。ピンチ!
捨てられ子犬の気持ちになる。いつもなら札幌から50分で宿は空いているが、最近は中国人客が多い。
 


 01北海道の先史文化
石刃鏃文化とオホーツク文化誤植しました 族× 鏃○ オホーツク文化の住居址チャシと呼ばれる砦跡 北海道先史年表   北海道と沖縄の先史時代は本州のものと異なります。

 石刃鏃文化中石器時代から新石器時代初期にかけて
ユーラシア大陸北部アムール川流域に広く分布。

 縄文早期7,000年ほど前にシベリア大陸から北海道に伝播。
形石刃の先端を加工した特異なヤジリのこと。

 オホーツク文化新石器時代ではありませんが、
後ほど触れるべきかと思います。


 02大陸から来た石刃鏃文化
     7500年前 北海道東・北部にだけ出現した特異な文化
     旧石器時代末葉から新石器時代初頭にかけてユーラシア大陸北部のアムール川流域で広く見られた石器文化。
     7500年前その部族の一部がサハリンを通って北海道東・北部にやってきた。

石刃鏃文化人7500年前シベリア東北部の部族がサハリンを通ってやってきた オホーツク文化人1700年前 石刃鏃文化石核から長方形の石刃を切り出し、その先端を三角形に加工して鏃を作る技法。 石核、石刃、石刃鏃、石刃槍、彫刻器、掻器、石錘、石斧、石鋸、砥石、磨石 石刃、石刃鏃、石刃槍
掻器 石核、石錘
石斧、磨石、彫刻器、石鋸、砥石  7500年前〜5000年前までは地球温暖期です。

 温暖化が始まったシベリアから人類が拡散していったようです。
 7500年前は縄文時代中期で人口の急増や交流の活発化で、人類の文化がおおいに発展した時期です。

 石刃鏃文化人たちはどこへ行ったのでしょう。

 3世紀〜13世紀まで同じところに同じ地方から来たオホーツク文化がさかえます。


 03オホーツク文化
    3世紀〜5世紀にはじまり、9世紀頃擦文との同化文化であるトビニタイ文化となり、13世紀頃擦文文化の中に吸収される。

   北海道東部沿岸、オホーツク海沿岸にだけ1000年間存在した文化。
   やがて同時期に北海道で栄えた擦文文化に同化し消滅するが、アイヌ文化の中心、クマ崇拝はオホーツク文化を継承したものである。

オホーツク文化5c〜10cここでは繁栄期間が短い オホーツク土器
水鳥の文様深鉢には水鳥の貼り付け文
擦文土器須恵器のように表面を擦って仕上げている 同一反復すみません
 


 04縄文文化 1万4000年前〜2300年前  (通常北海道では1万年前から2300年前とするが、北の縄文委員会ではこのような値を出している)

北海道の縄文文化の特色 北海道の縄文文化の特色
縄文とは日本独自の古い土器文化
土器と定住生活土器は貯蔵・調理に。
竪穴住居の発明
縄文遺跡の年代土器は1万5千年前に出現し
9千年前には地域的な発達拡散が始まる。
自然との共生縄文時代の栽培作物
穀物の大規模栽培は行えなかった。
焼畑程度
北海道と北東北の縄文遺跡 北海道と北東北の縄文遺跡
津軽海峡の文化圏北海道と東北の交流は約6千年前に活発化。
集落の発達津軽海峡文化圏では、大型建物や道路、墓地、盛土遺構などを備えた大規模集落が発達した。 記念物の登場約4千年前には環状列石が出現する。造成工事や特殊な建物や墓などを伴う。
かつての大規模集落跡で、
祭りや葬儀の場所であった。
工芸と交易7千年前に漆塗りの技術が現れ、その後、水銀朱など利用。

5500年前には翡翠加工の技術が登場し、職人と製品の流通体系が確立。


  04キウス遺跡  縄文時代後期後葉 3500年前

副葬品3500年前 キウス4遺跡素晴らしい文様ですね キウス4遺跡刷毛目模様と刺突文 キウス4遺跡注口土器、皿形土器 千歳市美々4遺跡
3300年前石棒

 キウス周堤墓群地図  写真 墓地の周囲を掘り下げて溝を作り(周溝墓)その土を外側に盛り上げる(周堤墓) 環状土籬ともいう
 
 06鷲ノ木遺跡ストーンサークル 出土の副葬品には 男性用、女性用の区別があった。装身具に貧富または貴人の区別があった。
入江貝塚
6000〜4000年前銛頭、釣り針、針
鷲ノ木遺跡
4000年前イカ形土製品が特異
三角土版や円形土製品など
イカ形土製品、磨石、円盤形土製品、三角土器 三角石製品、円盤型土製品、とっくり形土器 カリンバ遺跡漆塗り製品 腕輪 漆の塗料だけ残留
 
 08特殊土器
    環状注口土器 大量の石鏃の副葬品

    環状注口土器は秋田県、山形県、新潟県三面縄文遺跡群、で出土している。交易品か?

    美々遺跡の大量の石鏃の副葬品は何を意味しているのでしょう。
    ほぼ同形・同質の石鏃。こんなに大量に捨ててもいいものか、それともいくらでも作れるのか、、

世界遺産登録を
目指す遺跡群
南北海道と北東北の遺跡
中空土器レプリカ
縄文後期3200年前
入江貝塚キウス遺跡3500年前貝製玉とヒスイ製玉 縄文土器の色々
縄文前期末〜中期前葉
5500〜5000年前
環状注口土器キウス遺跡3500年前 石鏃の副葬品美々遺跡 2600年前