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 縄文を旅する3 北の縄文 北東北〜南北海道旅 19  2013.10.10(木)


  沙流川歴史館 北海道沙流郡平取町二風谷227-2     北海道歴史年表参照

   遺跡について
        二風谷ダムの建設に伴う発掘によって出土したものを展示しています。
        驚嘆に値することは、
        縄文早期から現代まで、続く遺跡であり、多重に文化層が重なっている。
         それは、この地域が大変暮らしやすい土地だったことを表している。

        こんな特殊な遺跡は聞いたことがない。特筆すべきものでしょう


    時代 縄文時代早期〜アイヌ時代(7000〜500年前)(江戸時代以前)まで

    交通 二風谷アイヌ文化博物館の隣 レンタカーが最善 ただし、237号線はパトカーの常時取り締まり路線要注意

    見所 縄文早期から現代まで続く縄文遺跡です。

        噴火湾を外れた、かなり辺鄙な地域の縄文文化

        この地域唯一の縄文文化展示館。大変貴重な博物館である

       ・文化はどのようにして伝わったのか、疑問が生じました。知りたいと思います。

       ・最初訪れる予定はなく、川の博物館だと思っていました。
        景色がきれいなのでそばを通り、入ってみることにした。すると どうでしょう〜〜♪
        縄文時代でも、時の進歩から取り残されたような、変化の少ない縄文文化の世界が広がっていました〜(*^。^*)

    この博物館の写真を公表してよいのか、悪いのか、記憶が曖昧です。もし、不適当ならばご連絡ください。
    ただし、こんな特筆すべき博物館が人目につかなくなるのは大変惜しい事だと思います。

  美しい風景の中の「沙流川歴史館
              何とも美しい風景です。きっと四季を通じて水辺の絶景が見られるのでしょう。
              一帯は沙流川ダムの建設により、遺跡の破壊や水没。アイヌ民族の聖地や伝統が失われた。といわれている。

二風谷アイヌ文化公園 沙流川ダム 沙流川ダム湖 フクロウの神像 沙流川歴史館
 
  ガラス玉特別展  タマサイ(アイヌの首飾り)はアイヌ固有の文化ですが、続縄文期から発達していました。
              ビーズ細工はアフリカで始まって世界中に存在する装身具です。
              アイヌ民族は交易の民おもに山丹交易よってもたらされたもの
基本的に奈良時代以降アイヌ玉と称し、交易用に作られてました 千歳 恵庭 苫小牧 森町発掘 アイヌ文化期
1667年樽前山噴火後に ガラスの品質が変化している。産地が変わった
 
  北海道考古学の基礎知
黒曜石北海道は南から流れてきた二つの島が日高山脈で衝突し続けている。溶岩が海水と接触して できる黒曜石の露頭が方々にある 土器北海道では9000年前から出現。早期以降〜晩期 各時代の土器道北・道東には北海道式円筒土器(北筒式)が分布していた。 金属製品続縄文期から金属器時代はじまる。
稲作不可能地域に半島人が流入し、金属器を
続縄文以降の金属器製造。支配のために進出したか、交易か。
 
  縄文土器と道具   私には以下に掲げる写真の、各時代の土器に、著しい差がなく、本州の土器文化とは大きな格差があると感じます。
                皆さんはどうお考えですか。写真中の解説にはいろいろありますが。

縄文早期〜後期8千-3千年前 中期〜晩期5千-23百年前 後期〜晩期4千-23百年前 晩期〜続縄文3千-14百年前  土器形式に劇的変化が少ないのは、
 同じ住人が住み続け、文化・環境に変化が少なかったから。

 縄文時代、猟場の確保に負けた部族は、より奥地へ移動した。幸いここではそれがなかった。 
 
  縄文早期〜後期(8000-3000年前)の土器と道具
縄文早期〜中期
8千-4千年前早期・前期の少なさ
逃げる動物に矢を放つ
猟の失敗を表している。狩猟を知らない人の絵
縄文中期〜後期
5千-3千年前縄文最盛期だが他地域の勢いはない
大きな解体用ナイフ。大型動物が獲れたから。 後期〜
 4千年前以降後期の土器もそんなに変わらないと思います
超大型磨製石斧は、原始の森の巨木を切り開いた道具
 
  縄文晩期(3000-2300年前)の土器と道具
縄文後期〜晩期 縄文晩期他地域と似た土器増加 晩期寒冷化で往来が盛んか 晩期中央は石皿でなく砥石 ここで初めて漁具が
 
  続縄文時代(2300-1400年前)  紀元前3世紀頃〜紀元後7世紀(弥生〜古墳)
                      稲作はできなかったが、弥生文化は届いていた。半島人は来たようだ。
晩期〜続縄文 晩期勾玉・琥珀玉・石製品 続縄文ガラス玉・須恵器 続縄文須恵器  亀ヶ岡式土器が見えない。
本当に当時の文化の流れに
取り残されているように見える。
 
  縄文早期(8000-6000年前)   前出の壁面の土器展示では少なかったが、一応一通りの土器セットが出土している。 
                       大きな槍頭と丸ノミ石斧。大型動物が豊富で材木伐採が盛ん。
土器 石鏃 石槍 石槍 大きく種類豊富 石斧
 
  縄文中期(5000-4000年前)  打製石斧は農耕用。
                     温暖な中期には、北海道でも原始農耕が行われていたようだ。
土器 つまみ付ナイフ 石錐 石斧 たたき石
 
  擦文時代(1400-800年前) 7世紀頃〜13世紀頃(飛鳥〜鎌倉後半)  文化はどのように伝わったのか
作り手は縄文人だのに弥生・須恵器が いかにして文化が伝わったのか。 @外来者が教えた。Aどこかで見た。 本当のところ、どうなんだろう。 稲作は半島人の農奴となって伝えられた アイヌ民族は支配されなかったのだから 交易の如く友好的に知識技術を得たか
 
  北海道の自然  樹木と実物大の木彫りの動物がジオラマ形式で展示されている。(ほんの一部しか紹介していません)
             樹木に大変詳しいのが、北海道らしい。
             小さな博物館でも、素晴らしいアイデア展示です。
水生動物まで

  編集後記

   二風谷アイヌ文化博物館にのみ目が向いて来館者数は少ないようです。
   しかし、訪れて驚くほどの展示物てす。
   ただ、その驚きや魅力を表現できていません。

   こんなに狭い場所からこれほど多量の遺物が、しかも、時代を追って出土するのは、驚き以外の何物でもありません。
   ぜひ、多くの皆さんに登館していただきたいと思います。