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 縄文を旅する3 北の縄文 北東北~南北海道旅11  2013.10.08(火)


  函館市縄文文化交流センター 「道の駅 縄文ロマン 南かやべ」  函館市臼尻町551-1

特徴 大船遺跡(縄文中期約5,4004,100年前)を中心とする遺跡群からの出土物の展示館
北海道唯一の国宝中空土偶」の展示館後期後半(3,2003,500年前)
南茅部地域の早期から晩期(9000~3000年前)までの遺跡を網羅している
     
交通 レンタカーを使うのが最善最良。バスはあるが役に立たない。大金持ちならタクシー。40kmほど
     
見所 中空土偶

 




00道の駅 縄文ロマン
01a縄文文化の始まり
01b歴史年表
01c大船遺跡
02漁労
03狩猟


04採集
 臼尻B遺跡 のミステリー
 八木AB遺跡は
06土器
10住居
12石製品


16漆糸飾り装束の死体の出土
 漆製品 垣ノ島遺跡
 鳥浜貝塚出土の漆の小枝
19アスファルト
21翡翠
25縄文の精神
29垣ノ島遺跡


35中空土偶
 

 00道の駅 縄文ロマン 南かやべ 函館市縄文文化交流センター

   北海道のレンタカーのナビは古いものが多く、この施設と、ここに通じるバイパスは、函館空港のどのレンタカー会社でも登録されていず、
   そのために途中、ナビに何度も迷わされました。地図必携 バイパスの開通は随分以前のことです。

写真拝借してます 博物館外観道の駅補助金で建設したのかな しかし商業施設はありません 純然たる博物館 公衆トイレは併設 博物館入口 主要施設は階下B1F

  道の駅補助金は 国交省農林水産省が二重行政で行っている。

 01a縄文文化の始まり
古気候と縄文人の生活15000年前に縄文時代に入る 25000年前海水面130m低下間宮海峡と宗谷海峡は陸続き 2万年前と7千年前の
古気候と植物相の変遷一挙に北海道が何百キロも南に移動したかのごとき温暖化
縄文時代の世界の文明温暖化と乾燥によって起こった人口集中によって文明が発生した世界と、自然の中で暮らした日本の縄文文化


 01b歴史年表
     北海道の縄文は早期から始まることになっているが、
     年表によると草創期に帯広から土器が出土している。

歴史年表①
世界と日本と北海道
~5000年前
歴史年表②
世界と日本と北海道
6000~3000年前
歴史年表③
世界と日本と北海道
4000~700年前
南茅部地域の縄文遺跡
 早期・前期

垣ノ島遺跡
  早期(9,000年前)から後期(3,500年前)
   長期間にわたる住居跡遺跡。足形土版

八木A遺跡
  前期中頃を中心とした遺跡
  前期の竪穴住居跡や,後期の連結したヒスイの
  小玉が副葬された墓の発見

ハマナス野遺跡
  前期後半の前期円筒土器文化期における
  大規模な集落跡

   世界と日本
歴史年表① 世界と日本
~5000年前
歴史年表② 世界と日本
6000~3000年前
歴史年表③ 世界と日本
4000~700年前
 中期

 大船遺跡
  中期(5,4004,100年前)
  竪穴住居跡の規模が非常に大きく密集している
 
臼尻B遺跡
  中期後半の大規模な集落遺跡

豊崎N遺跡
  中期末(4,000年前)~晩期前半(3,000年前)
  アスファルトの出土 

   日本と北海道
歴史年表① 日本と北海道
~5000年前
歴史年表② 日本と北海道
6000~3000年前
歴史年表③ 日本と北海道
4000~700年前
 後期・晩期

著保内野遺跡
  後期後半(3,2003,500年前)の墳墓
  小型のストーンサークルの周囲につくられた
  集団墓から中空土偶が出土

磨光B遺跡
  後期後半 火災住居が多い。
  アスファルト加工工房跡が検出   


 01c大船遺跡  中期(5,4004,100年前) 渡島半島 函館市  海水面は現在より4メートルほど高かった。

大船遺跡ジオラマ崖上の立地は不便
何の理由で?
昆布干し縄文人は海藻を食べていたのか 津軽海峡土器文化圏の土器変遷 早期中野A式物見台式 前期・中期サイベ沢式
円筒下層式
後期・晩期堂林式十腰内式
日ノ浜式亀ヶ岡式
津軽海峡土器文化圏海峡を挟んで、ほぼ同じ形式が流行
活発な往来の証し
 
 02漁労
    北海道太平洋側の縄文人の食生活は、植物食の割合が低く、海棲大型哺乳類(オットセイなど)や底棲魚類(オヒョウ)などの割合が高かった。
    特殊な食環境にあった。気候環境で植物食料が少なく、それがまた、北方民族・海洋民族の食習慣でもあった。
    戸井貝塚石倉貝塚

北海道の
縄文カレンダー
クジラの椎骨(大船) 漁網 石錘 漁具 戸井貝塚釣針・石銛・挟み込み式ヤス
縄文人の食植物食が少ない海洋民族の食習慣 漁具 離頭銛 タマキビガイ磯に大量にある貝類 クボガイ煮て中身を出す 貝塚含有物 貝類戸井貝塚・石倉貝塚
貝塚含有物 魚類 貝塚上層含有物 貝塚下層含有物 貝塚含有物 獣類

 03狩猟
    広大で豊かな北海道の自然を背景に、多様な陸棲動物の狩猟が可能でした。
    八木A遺跡豊崎P遺跡戸井貝塚

狩猟・罠猟旧石器に比べ格段に発達した狩猟技術 石槍石器製作技術も進歩した 弓矢 石鏃様々な形状で特化した石器 鳥類の骨弓で鳥を捕獲したか 哺乳類様々な方法で多種の動物を捕獲したようだ
  矢は風切り音が大きく、鳥類の捕獲は難しかったかもね。
 
 04採集  狩猟文土器は北海道では「シカ絵画土器」と名付けられている

シカ絵画土器臼尻B遺跡/後期 石斧片八木A遺跡・大船遺跡 石斧 石斧・石ノミ臼尻B遺跡・大船遺跡 石鋸(いしのこ)・
砥石
石鋸 リンク
台湾台東市では石材加工用の石鋸が出土している

  臼尻B遺跡 のミステリー
     親子の同時埋葬の?の人骨出土は、フラスコ状貯蔵穴で窒息した父を助けようとした子の事故死体かもしれないし、
     閉じ込められたか、死体を投げ込まれたのかもしれない。同時死亡がおかしい。と思う。

     この遺跡は、青龍刀形石器や稗の炭化物など、大陸文化との繋がりが見られる。

  八木AB遺跡
     縄文前期で、東北文化との繋がりが大変強い。円筒下層式土器、盛土遺構、土壙墓、配石遺構、ヒスイの勾玉など。


 05石器  北海道特有のネーミングで統一されています。  八木A遺跡大船遺跡臼尻遺跡
擦石 擦石 北海道式石冠握手付き磨石。本州では男根石も石冠という つまみ付きナイフ つまみ付ナイフ
本州では石匙
八木A・B遺跡
石錐・ナイフ・敲石
ナイフの形は特有です臼尻・臼尻小学校遺跡・八木A遺跡・大船遺跡

 06土器
 
土器の作り方紐作り技法という最も初歩的な技術で作られている。 豊崎遺跡/早期
注口土器/豊崎/後期
豊崎0遺跡/早期 大船・臼尻・豊崎遺跡
/後期
大船・ハマナス野遺跡/前・中・後期 臼尻C遺跡/後期 堂林式土器/後期口縁部に突瘤文が巡らされ、平行沈線鋸歯文・曲線的沈線文が施されている
方形土器・亀ヶ岡式土器・石皿磨石など 壁に掛けられた土器説明なく意味不明 円筒土器下層式/上層式(遺跡下層出土の初期形式を下層式という) 亀ヶ岡式土器/後期 臼尻/後期 壺/赤彩/後期
注口土器/赤彩/後期
注口土器 ミニチュア土器/有孔石/三角形土製品 中央にの字状石製品 大型円板状土製品
八木A遺跡

 10住居  極寒の地では、住居を地下化することによって防寒対策をしています。
 
南北海道の
竪穴住居の変遷進化ではなく、多様な形があったことがわかる
大船遺跡の竪穴住居本州では考えられない深さ2mの床面。炉で常に床や壁を温めていたようだ。 竪穴住居 学芸員手作りの模型ですね 縄文犬の出来もいいです 凍結防止に3mもの深さの貯蔵穴。 有毒ガスが溜まって窒息死することも

 12石製品  北海道では大きな石皿が大量に出土する。本州の石皿より格段に大きく重い。小屋の周り中に大量にたまっている。不思議。
大量の石皿 骨刀/戸井貝塚/後期大型青龍刀形骨器。
クジラの骨製
中国との関係が見えそうだ
青龍刀形石器臼尻・大船/中期 石刀/後期八木/ハマナス野/大船 岩偶/中期/臼尻 石斧/つまみ付ナイフ/豊原/早期
 

 16漆糸飾り装束の死体の出土

 漆製品 垣ノ島遺跡

  鳥浜貝塚出土
    ウルシの小枝を分析した「森林総合研究所」が漆の木は大陸からもたらされたものでしょうと言っている。
    つまり、この危険な植物をわざわざもたらしたのは、その有用性を知り活用技術を開発した人々が持ってきたのでしょう。

交易ということ垣ノ島の漆製品は交易でもたらされた 縄文文化が世界で最も早く漆工芸を利用したと言っている 最後の漆工品日本が漆文化発祥の地の可能性があると言っている。(笑) 日本最古9000年前
漆糸の痕跡が出土した
土壙墓
漆糸製品痕跡漆の樹液がこんなに長く残るんですね 漆糸の痕跡すごい結合力ですね
解説図
死体の衣服の漆痕跡
復元図

こんな衣装だった
赤漆注口土器 漆入り注口土器 赤漆塗り土器片
 

 19アスファルト
  世界共通の魔法の石 縄文文化では接着剤として利用された。秋田・新潟からシーカヤックでもたらされた貴重な鉱物でした。

アスファルト 保管状況 生産地 アスファルトの痕跡 アスファルト付着製品
石鏃・つまみ付きナイフ
アスファルトで補修した土器 アスファルトの入れ物 アスファルト付着製品

 21翡翠 ヒスイ  糸魚川からもたらされた交易品。製品が持ち込まれたのか、鉱石が持ち込まれたのか?

ヒスイの解説 ヒスイ製品 ヒスイの産地 穴あけに粘土を利用するとは素晴らしい
歯牙製装飾品
石製装飾品/臼尻b
玦状耳飾/ハマナス野・八木A遺跡
ヒスイ製品糸魚川ここまで来た
臼尻c・著保内野・サイベ沢
ヒスイ大珠
 
 
 25縄文の精神  手形足形土板は縄文精神のほんの一端にすぎない

縄文の死生観 足形付土版とは 足形付土版
垣ノ島遺跡
足形土版 出土状況幼稚園・保育園では普通に足形をとって持って帰らせます。 不思議な出土状況 特殊な宗教精神の集団の特異な葬送儀礼

 29垣ノ島遺跡 早期~後期まで6000年間続いた集落跡

   縄文文化交流センターは垣ノ島遺跡に隣接しています。窓から見えるのです。
   ここが9000年前鮮やかな糸漆の衣装を着けた族長かシャマンが埋葬された遺跡。
   大陸からこのような文化が流れてくる中継地点だったんですね。              椴法華=とどほっけ と読みます

解説 遺跡空撮 センターの窓からの垣ノ島遺跡 遺跡の多い亀田半島 発掘作業
椴法華式土器
/前期
大船遺跡発掘
 

 35中空土偶  著保内野遺跡(ちょぼないのいせき) ... 縄文時代後期後半(約3,200~3,500年前)の墳墓 ストーンサークルと周囲に集団墓を持つ。

     展示館の順路 最後の一部屋に土偶だけ置かれていました。国宝の本物だそうです。
     堀が深く目鼻立ちのはっきりした、大変な美男子で、新モンゴロイドではありません。

     肩の筋肉の盛り上がりや、股間の男性器は男性(戦士)を表していると思います。
     また、服装は肩を覆う羽織物と下半身の長ズボンは現代のモンゴル相撲の服装に似て、勇ましい姿を現しています。

     館の説明は女性ということでした。土偶=女性 人形は全て女としたいようだが、 これは戦士の像でしょう。


     ※2019.02.07追記 正中線の先に女性器の表現がある。戦士のようないでたちだが、この時代には戦士はいなかった。祭りの装束か、巫女か。
鼻が高く堀が深い顔 とても大きな顔です
衣服の幾何学模様が知能の高さを表している 私の兄のように体毛がスゴイ。こんな女性っているの? 男性器が表現されてます

(苦笑)
へその周りの体毛は実に写実的。男性像です。女性もこんなに毛深いんですか? 土偶内部は空洞大変高度な技術で作られています。模様や顔の表情など素晴らしい