縄文を旅する3 北の縄文 北東北~南北海道旅 09 2013.10.05(土) 三内丸山遺跡
三内丸山遺跡 縄文時遊館 青森県青森市三内丸山
前期中頃~中期末葉( 5900年前~4000年前) の大規模集落跡 (5900年前に十和田火山の大爆発があった)
交通 青森駅・新青森駅から循環バスが沢山出ています。また、他の多くの路線バスが経由するようにダイヤ調整しています。
特徴的展示 長期間続いた大規模集落であるため、出土物が多様で豊富である。
見どころ
国内最大級の縄文遺跡。豊富な出土物。
円筒土器発生の原因 日本の高度な縄文文化地帯の発生原因 ⇔「円筒土器」の下に記述しました
重要リンク リンク2
反省点 私の身体の動きが悪く、また、野外では撮影する対象が何かわかっていなかった。
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目
次 |
00三内丸山遺跡
01縄文時遊館
02環境
03森の恵み
04猟の道具
05縄文里山 |
06円筒土器
06a円筒下層式土器 前半
06b円筒下層式土器 後半
06c円筒上層式土器 前半
06d円筒上層式土器 後半
06e大木式土器
参考資料
円筒土器発生の原因
高度な縄文文化発生の原因 |
07暮らしの道具
08祈りと祭り
09盛土
10身を飾る道具
11ムラの変遷
12子供の墓・大人の墓
14広域なネットワーク
16穴を開ける |
22三内丸山遺跡
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00三内丸山遺跡
日本最大の縄文遺跡
青森駅始発の遺跡行きバスは開館時間前に到着する。入り口付近も広大な公園です。
写真お借りしています |
写真お借りしています |
沢山の施設がありますが、皆さん直接遺跡に行くようです。 |
入館料・駐車料など無料ですが、きっと有料と誤解されているのでしょう |
館の奥まったところに博物館があります。 |
写真お借りしています |
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01縄文時遊館
さんまるミュージアム
入口に立つ子どもは館のキャラクター。この子が成長する姿から縄文の暮らしを体験できるようになっている。
入口左の展示室が重要 |
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六本の立柱の根本照明で見づらい |
人骨縄文前期5.5~5千年前 |
左前期5.5~5千年前
右中期5~4.5千年前 |
片口付皿形土器縄文中期 北東北特有の土器 |
台付浅型鉢形土器亀ヶ岡式土器に似た装飾 |
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黒曜石製石槍 中期この時期の大型石槍は珍しい |
石槍・石鏃前期~中期
5.5~4千年前 |
石匙前期~中期 |
石錐前期~中期 |
削器前期~中期 |
石箆(いしべら)前期~中期 |
半円状扁平打製石器前期~中期 |
磨石すりいし前期~中期 |
敲石たたきいし前期~中期 |
凹石くぼみいし前期~中期 |
石皿・台石前期~中期 |
砥石中期5~4千年前 |
大型板状土偶 |
骨器前期 |
針前期 |
刺突具前期 |
錐 前期~中期 |
装身具 前期 |
装身具 前期 |
装身具 前期 |
ヒスイ製大珠 中期 |
木製片口容器 前期 |
板状土偶右端は前期
他は中期 |
岩偶前期~中期 |
異形石器中期 |
石冠 中期北海道型擦り石か |
青龍刀形石器 中期
骨刀 前期 |
石棒 中期 |
土器 前期中期円筒土器 |
文様 |
装飾 |
地模様 |
ヒスイ大珠 中期 |
この日、
縄文ポシェットは
見当たりませんでした。
見逃しか、貸し出しか、まだ、県立美術館か |
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02環境 +2℃気温が高く、遺跡の近くまで海岸線がせまり、海山川野の産物は豊富であった。 また、それを捉える能力もあった。
豊かな自然環境 |
穏やかで豊かな陸奥湾の恵み |
狩猟・漁労・採集に適した環境 |
巨大な鯛の骨 |
熟練した漁師の技でしか釣り上げられません |
アカニシは染色に使う |
巨大なシャコのうで |
漁具 前期結合式釣針は日本海ルートで九州から伝播というか九州からも人が来た |
固定式銛頭 前期穴が開いてるのは離頭銛 |
鹿角を使った道具作り |
三内丸山は
陸奥湾内にあるが
日本海文化圏にあり、
沿海州から、礼文島、
山陰、九州にまで広がる広範囲の人と物の交流・移動・流通があった。 |
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03森の恵み バックライトによる展示で、写真にするとシルエットしか写らない。
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石槍 中期 |
ニホンジカ 前期 |
ニホンイノシシ 前期 |
ホンドタヌキ 前期 |
ホンドキツネ前期 |
カイツブリ 鳥 前期 |
アホウドリ前期 |
ウ 前期 |
ツキノワグマ 前期 |
大型獣は少なく小形獣。捕獲が困難な鳥類の骨がある。
どのような熟練した技術があったのか。おそらくはワナ猟だとおもわれる。
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04猟の道具
縄文犬やアイヌ犬(北海道犬)は南方系の犬種で、縄文人・アイヌ人が南の南島文化圏から連れて来た事がわかる。
三内丸山では縄文犬が埋葬されている。台湾でも猟犬が埋葬されて発見される。
一方、北方から来たオホーツク人は、犬と豚を飼育したが、犬は食用だった。
犬の埋葬縄文犬は使役動物でなく愛玩用か |
石槍 前・中期北海道産黒曜石や東北産の頁岩などの材料も |
石鏃 前・中期 |
石槍・石鏃 前中期大変特殊な形の石槍。初めて見ました。 |
狩猟具の製作 |
石槍 |
弓矢 |
矢羽が付いている |
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05縄文里山
三内丸山の里山はクリの栽培林で主たる食料の供給源でした。
最盛期には500人もの人口を抱え、大規模な生産が行われていた。
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縄文里山 |
クリ・クルミ・トチなど代表的な堅果類 |
調理道具石皿・擦石・敲石・凹石
前期~中期 |
農耕道具 前期~中期盛んに行なわれた農耕が、
大人数のムラを支えた。 |
堀棒と石鍬巨大な石鍬ですが、柔らかい土壌だったようです。 |
貯蔵穴とクルミ堅果類は全て栽培したのだろうか |
ニワトコ 酒造りと関連薬用植物として利用か |
刃がこれだけ長いと、打点が真っ直ぐにならないと、力が伝わず、切れずに壊れる |
接着剤で固めたかのような結束 |
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06円筒土器
縄文時代 前期後半~中期前半 北東北~南北海道 円筒形の土器 三内丸山の円筒土器
遺跡の最初から円筒土器が使用され、その後次第に大木式土器に置き換わっていった。
円筒下層式前半 |
初期の円筒土器発掘中、下層から出るので下層式 |
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底に向かってすぼまる形のバケツ型 |
縄を転がした文様 |
口縁部は
横S字型や |
平行な縄目模様 |
胴部は
縄文が斜め方向から |
後期には次第に縦方向に変化する |
06b円筒下層式土器 後半
円筒下層式後半 |
形状は細長い円筒形に変化 |
上部に縄目の
三角・ひし形・平行線の文様 |
終わり頃には
細い粘土ひもで装飾をし始める |
下層式土器には
製作過程での強度を増すため |
植物繊維の「すさ」を入れた。 |
中期以降では、砂を入れた |
06c円筒上層式土器 前半 縄文時代中期前半
円筒上層式前半 |
土器上部に4つの突起が等間隔に付き
口が大きく開く形になる |
土器上部には
粘土ひもや、縄目を押し付け立体的に装飾 |
胴部には
羽状縄文=「く」の字が連続する模様、が付けられる |
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06d円筒上層式土器 後半
円筒上層式後半 |
土器の全面に縄文を付けた後に
粘土ひもで模様を加える |
装飾範囲も上層式前半に比べ広くなる |
後半の終わり頃には
粘土ひもに代わって
棒などで溝を彫った。 |
これは、大木式土器の影響。 |
やがて、円筒式土器の独自性はなくなり、
大木式に取って代わる |
06e大木式土器 (円筒上層式土器以降の土器)
円筒上層式以降
大木式系土器群 |
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東北南部の
大木式土器の影響を受け、
似たものが作られるようになる。 |
形は丸みを帯び、
渦巻きやU字、J字模様が描かれる。 |
縄文を付けてから模様を描いたり、
縄文のあるなしで装飾効果を高めたりしている。 |
参考資料
'2014.3.25 現在オホーツク文化を編集中です。その中でわかったことです。
円筒土器発生の原因 (三内丸山遺跡 5900-4000年前)
円筒土器は十和田火山の降灰地域に見られる土器である。
5900年前の噴火後に出現した。
噴火と降灰によって広大な地域が焼き払われ、その後植物相が一気に堅果類に変化した。
いわば、一気に原始の森が焼き払われ、広大な処女地が生まれ、草本に続いて低木、高木という森林交代のセオリーどおり進んだ。
針葉樹林には動物は極めて少ないが、
落葉広葉樹林には動物の食料となる葉や、秋には大量の果実がなり、それらを求める動物が豊富であり、
すなわち、豊かな森が作られた。
しかも、爆発や降灰によって平坦な、人が入りやすい、里山のような、便利な森が広がったのです。
(降灰地では裸足でも怪我をしないこともある)
堅果類はあく抜きのため長時間煮込む必要があり、寸胴鍋(ずんどうなべ)が必要です。これが巨大なバケツのような円筒土器の発生原因です。
高度な縄文文化発生の原因 リンク
中部地方の火山地帯、 九州南部の巨大カルデラ地帯、 北海道南西部の渡島地方 札幌から南の恵庭・千歳の降灰地帯に
なぜ高い文化が成立したのかの原因のひとつが、火山地帯であること。
原始の針葉樹林を広範に、一挙に、火山が開墾し、食用植物地帯に変えたこと。であった。
九州の円筒土器 北海道式円筒土器
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07暮らしの道具 三内丸山では 前期には漆の木が確認され、前期~中期には漆工芸が行なわれていた
暮らしの道具住居内は暗く、作業などはほぼ屋外で行われたでしょう |
縄文犬・アイヌ犬は初期に南方の人と共に来た |
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漆工芸技術集団は6500年以上前に大陸から渡来した |
漆の種とベンガラ漆の栽培採取精製塗装と、赤色顔料の採取製造技術も持っていた。 |
漆の道具漆工芸にはある種のクリーンルームが必要で、簡単にはできない技術です |
漆工芸品漆工芸の発達には諸説あり、接着剤⇒糸漆⇒土器・木器・篭 |
漆塗り土器 中期 |
漆製品 前期 |
漆塗り土器 中期 |
各種石製品 前中期石錐・石匙・石箆・削器 |
骨器 前期針・刺突具 |
石器 前中期半円状扁平打製石器・石斧砥石・擦切具 |
石器 中期石皿・石冠・凹石
北海道式が見られる |
石匙 前期 |
各種調理具 前中期 |
縄文住居老婆1・成人の男性2・女性1の家族構成は |
千葉県姥山貝塚遺跡のフグ中毒死を参考にしている(実際は5人 子供1名) |
しかし、これは諸説あり、死体を投げ込んだものだとする説 |
一妻多夫の婚姻形式だったとする説がある |
この写真の家族構成は変だと思いませんか |
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08祈りと祭り 祭祀具
祈りと祭り狩の成功・安産・自然の豊饒を願う祭祀
土偶・石棒・石刀・ミニチュア土器 |
土製品 中期三角土板、クルミ型土製品、土冠、北海道式石冠 |
石棒 中期 |
土製品 中期土製装身具 土製ペンダント |
石製ペンダント 中期 |
人物画土器 中期4300年前 |
ミニチュア土器 中期葬送儀礼用 |
板状土偶 中期祭祀用 |
板状土偶 中期祭祀用 |
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三内丸山遺跡では明確な身分差があり、貴族の墓域と庶民の墓域は明確に分けられ、
貴族は配石遺構に埋葬され、庶民はただの土坑に。しかし、土坑にも葬られない身分の人もいたでしょう。
したがって、高価な装身具は支配者のものです。それが出土した墓は彼らのものです。
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09盛土 盛土は縄文人の祭祀場。吉野ヶ里でも農奴となった縄文人の重要な祭祀場だった。
盛土
5000~4000年前このような盛土が遺跡内の各所にあるのはなぜか。 |
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盛り土の切り通しここから大量の祭祀具が発見された重要な場所 |
地層の重なり貝塚のように物を捨てる場所 |
失敗品盛土から出土した |
ゴミ捨て場兼祭祀場? |
壊れた土器 |
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10身を飾る道具
縄文の衣装今でも使えそうなデザインです |
身を飾る |
衣類は、先に貝紫が出土しているのでもっと華美な装飾だったでしょう |
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土製装身具 中期 |
石製装身具 中期 |
石製装身具 中期翡翠製ペンダント |
土製装身具 中期魔除けや呪術か、自己顕示欲かはわかりませんが、
今も昔も人の心は変わらないですね。 |
土偶 中期 |
玦状・土製耳飾壊れた耳飾りに穴を開け装身具にしています
前期・中期 |
石製装身具 前期 |
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11ムラの変遷
縄文末期からの気候変動のため、食糧生産が壊滅し、狩猟も限界となり、大規模集落は崩壊した。
この後、ここで使われた土器がロシアや、もっと遥か南方などから発見されるという。
丸木舟で、新天地を求めて乗り出した(シデノタビ)ようだ。
ムラの変遷 |
一挙に大型集落が成立した |
ムラが繁栄拡大した |
最盛期。貴族の配石
墓は身分差の成立 |
中期末寒冷化で堅果類収穫なしムラ消滅 |
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墓地に詣でるこれ次のものです。
間違いました。 |
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12子供の墓・大人の墓
子供の墓 |
埋甕子供用中期 |
埋甕子供用中期 |
二重になった埋甕
前期 |
二重になった埋甕 |
子供用 中期
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子供の墓の副葬品 |
大人の墓の副葬品 |
特殊な墓 |
支配階級の墓22基の配石墓
この写真間違い |
僅かな配石墓 |
支配者の証し立石 |
土器棺に穴を開け、そこから出て来る魂が、
また、膣から入って再生するという考えかも。 |
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14広域なネットワーク
沖縄から北海道礼文島までの広大な地域を結ぶ交易の道。
縄文人が海洋民族であったからこそできた交流である。
旅立つ縄文人 |
丸木舟で運ばれた交易品 |
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新人の特徴は交易。
黒曜石・ヒスイ・石斧素材・
アスファルト・琥珀 |
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しかし、最重要は
人の交流。文化の伝搬。
人々は激しく移動し、物や文化を隅々まで運んだ。 |
ムラや住居には立柱。海岸には鏡石を置いて人がいることを知らせた。 |
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16穴を開ける 穿孔の意味と方法に意味がある。
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穴の開いた品々 |
土偶にも穴が |
土偶の消化管ミルク飲み人形のような穴は、土偶の擬人化か、儀式のためか |
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穴開き土製品 |
穴開き土製品 |
後から穴を開けられたもの |
土偶の貫通口 |
レントゲン写真 |
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補修された孔 |
土器をひもで縛っても水は漏れるが別の意味が |
ペンダント |
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穴あけ道具と完成孔 |
穿孔の特徴 |
穿孔の方法 |
世界の中の縄文 |
縄文と世界の文明 |
ストーンヘンジ |
エジプト文明 |
長江
インダス
メソポタミア
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22三内丸山遺跡 遺跡地図を立ち上げておいて、場所を確認しながら見てください。
遺跡地図 |
①縄文時遊館出口
環状配石墓があり支配者の墓地群
右:美術館
左:遺跡広場 |
環状配石墓 |
三内丸山遺跡 |
調査の経緯 |
遺跡の概要 |
②道路跡 |
復元住居群 |
建設中 |
萱葺住居 |
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樹皮葺住居 |
土葺住居 |
萱葺住居 |
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1500年間に500棟の住居の建て替え
3年に1棟のわり |
遺跡内の居住地域 |
建築形式 |
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掘立柱建物 |
土坑墓草と露で何も見えない |
これ何?
ちょっと忘れました |
⑨掘立柱建物群写真拝借します |
掘立柱建物内 |
東南アジアによく見る家屋 |
梯子はぶら下げないと腐ります |
木組をしてる |
ノミやのこぎりがあった証し |
掘立柱建物 |
校倉造建物 |
⑧泥炭層 |
⑦北盛土 |
展示ドーム |
土器発掘状況 |
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⑤大型掘立柱建物 |
⑥子供の墓深さが異なる埋納 |
長年埋葬され続けたことがわかる |
埋甕 |
⑥付近のトレンチ |
大型掘立柱と大形竪穴住居 |
⑤大型掘立柱建物 |
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⑤付近のドーム内本当の柱穴 |
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残された柱 |
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柱の根本は石詰 |
④大型竪穴住居 |
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設計図 |
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本物は内部の深さ2mもある。 |
実に立派な建物 |
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冬場の共同作業に最適 |
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大きな炉跡 |
屋根の形状 |
藁屋根の完成 |
③南盛土 |
ごみ捨て場祭祀場 |
黄色い土が運ばれている |
②道路跡付近配石墓は近くに |
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