縄文を旅する3 北の縄文 北東北〜南北海道旅 05 2013.10.04(金) 御所野遺跡 御所野博物館
御所野縄文公園 縄文時代中期後葉 大湯遺跡より古い。 岩手県二戸郡一戸町岩舘御所野2
交通 二戸駅からレンタカーで15分。大湯環状列石と組み合わせて行くと便利。
特徴的展示
新石器時代の竪穴住居を、世界・東アジア・日本の区分で資料収集しパネル展示しています。
興味深かった所
土をかぶせた竪穴住居の屋根。エスキモー住居では当たり前の、これが本来の竪穴住居の姿だと思います。
反省点
すみませんこの博物館のリポートは失敗です。肝心の世界の竪穴住居展示の写真が撮れていません。ピンボケです。
情報不足で館の重要な展示がわからず、大切なものを記録できていませんでした。
※本来ならここでページ作成をやめるべきですが、すると、この博物館の見どころが伝わらず、私と同じ間違いが起こります。
恥ずかしいのですが、ピンボケのまま続け、大切なことを伝えます。
格付けチェック この先は、見る価値なし。
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目
次 |
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00御所野縄文公園
00外観きききのつり橋
01世界と日本の竪穴住居いろいろ
02復元された日本の竪穴住居
03竪穴住居の作り方
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04大木式と円筒上層式
05文化 御所野の生活
05暮らし
14蒔前遺跡 縄文晩期
15山井遺跡 縄文晩期
18弥生時代
20御所野縄文公園
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00御所野縄文公園パンフレットから 登館前に何を見るかの見通しを立てておかないと、私のように失敗します。
御所野遺跡マップ
博物館を出て左に進む
赤の⇒に沿って進む |
縄文の森展望台
盛り土遺構
焼失住居遺構などは
見落としやすい
私は全て見落とした
知らなかった |
遺跡の見どころ
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縄文の森など施設内の植生は全て復元されています。漆の森など見落とさないように。 |
博物館の見どころ |
焼失住居、鼻曲り土面などが目玉のようです。
大木式と円筒土器、一般土器との違いは分からなかった。全て同じに見えた。(笑) |
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00外観
きききのつり橋
御所野縄文公園と駐車場をつなぐ橋。GOODデザイン賞に輝くものです。残念ながら
遺跡・博物館・有名吊り橋も、全て北側から見るので、何もかも逆光です。写真撮影はそれを考慮しておくこと。
素晴らしいデザインです |
雨でも台風でも大丈夫 |
太古へのタイムトンネルの意味があるのでしょう |
橋の下は谷筋に古来の耕作法の山田です |
とても楽しいものが |
沢山展示されています |
お断り。
これ以降しばらくの 竪穴住居のパネル展示 はこの館の特徴的展示です。とても大切な研究発表です。
がそれを知らず適当に撮ったために全てピンボケです。 再取材は不可能です。見苦しいのですがアップします。
ここがこの館の大切なところだと知っていただくためです。
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01御所野縄文博物館
世界と日本の竪穴住居いろいろ
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02復元された日本の竪穴住居
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03竪穴住居の作り方
住居作りの様子平ノミ石斧で伐採 |
住居の材料土・石・木・縄・樹皮 |
大工道具磨製石斧・ノミ・石匙・石錐 |
:結束や外壁用の樹皮 |
材木と木の枝構造材の栗の木や柴 |
開削する土を掘って周りに積み上げる |
建設する途中経過写真 |
開削の道具木器 |
大型石鍬いしくわ |
縄・箕み・篭かご |
鋤すき |
この鍬くわは角度が急すぎ。地面に立てて引いて土を掘る道具か |
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04土器 大木式土器と円筒上層式土器
大木式土器 深鉢 |
大木式土器 浅鉢型 |
大木式土器 浅鉢型 |
焼けた住居跡 |
展示室内 ガラス面に投影 |
プロジェクターのスクリーンはガラス板 |
円筒上層式 深鉢 |
円筒上層式 深鉢 |
大木式土器 深鉢 |
この他にトックリ型土器も出土
模様のくっきりした土器は
精製土器といわれ祭事用 |
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05文化 御所野の生活
東北地方有数の巨大集落だった |
木や草の繊維で衣類を作るアンギン編みと利用植物シナノキ・イラクサ・クズ |
木質繊維も衣類として利用した |
本物のアンギン編み製品 |
木の利用と漆の利用木の特性を利用した適材適所の利用 |
オショロ遺跡の漆製品縄文後期の遺跡
この頃には漆線品は一般化し製造するムラが増えた |
木製品・漆製品御所野の漆製品と製造過程 |
関東の漆製品産地 |
土器製造 |
円筒式土器と
大木式土器 |
大型磨製石斧 |
土製装飾品環状・有孔・キノコ形・スプーン形・貝形・円盤状・斧状・三角型・土製品や |
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石製品北海道から西日本まで |
弓矢の再現脚付き石皿・石刀(北海道型) 矢羽を隠した矢 |
美しく可完成度の高い
石製品各地との強い結びつきがわかる |
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土偶・耳飾り・土錘など |
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05暮らし
狩猟・漁労の生活ワナ・仕掛け・落し穴 |
縄文カレンダー御所野は意外と山間部の生活でした |
漁具・生活具釣針・腰飾り・刺突具・ヘラ |
モリ |
保存食 魚の干物干しアユ |
堅果類の利用アク抜き・調理保存・ニワトコの実による酒造り |
「おやき」は当時からの粉末食材の食べ方 |
ドングリクッキー |
貯蔵と酒造り |
骨や木の実を焼いた謎火葬?現代もある柱穴に供え物を入れる風習? |
人体紋土器片やはりいた、頭に羽飾りを付けたシャマン。 |
トックリ形土器特殊な土器で祭祀用 |
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火祭りの様子吉野ヶ里でも農奴となった縄文人が同様の祭り |
埋葬の様子伸展葬はまだない。なぜ屈葬なのか? |
展示パネルについて
板をくりぬいた絵で一目瞭然の情景を表している展示は大変すばらしい。
天才的な発想と企画力。
館全体の統一デザインで発案者の聡明さが伝わってきます。 |
酒造り
秋の果物を土器に入れておくと自然に発酵して酒ができる。
これを果物以外のでんぷん質に応用したかはわからない。
逆に言うと、壺の底に種があったから酒を造っていたとは言い切れない。 |
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14蒔前遺跡(まくまえ)縄文晩期 御所野周辺のここでも沢山の土器が持ち去られたということか。日本の考古学黎明期は宝探しが目的だったのか。
鼻曲り土面・香炉形土器・アイヌの酒ベラ |
特殊形状の皿形土器
亀ヶ岡式文様なのか |
亀ヶ岡式土器のオンパレードということは、御所野でも作っていたのだろうか。
職人が来たのか? |
これだけ大量の土器を運ぶのは無理でしょう。
ご当地作だとしたら、独自性を加えずに寸分たがわず模倣したことになる。
その辺は説明を聞くべきでした。 |
注口土器大量です。やはり、抜歯の通過儀礼で使ったのでしょうか。
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やはり亀ヶ岡から運んだものですね。
大変な労力です。当時も美術品級でしょう。 |
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何度見ても見事。高度な技術。専門職人による |
規格品の製造かもしれません。大きさも文様も同じ手によるもの |
稚拙に見える土偶も意外に高い技術が必要。 |
石棒・石剣・大珠や刺突文土器製造の専門のムラが存在した事実。 |
亀ヶ岡から遠く離れた地方にまで担いだり舟に乗せたりして運んだか |
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儀式用の特別な力(マナ)精霊の力がこもった土器だったのでしょう。 |
だからこそ、土器と共に抜歯儀礼も拡散したのに違いない。 |
現在では辺境の地が日本海ルートの終着点、様々な文化と人が |
命を懸け、人生をかけて到達する先進文化の都だったのだ。 |
そのような港湾が付近にあり、そこへ土器を供給したのが |
亀ヶ岡遺跡だったようだ。 |
鼻曲り土面(重文)色々な鼻曲り面 |
精霊の姿なのか、滑稽を目的にしたのか素晴らしいデザインです |
面長の顔と高い鼻。古モンゴロイドの容貌である。鼻骨が折れた顔? |
尋常ではないことを表す表情で異世界を表しているのかも |
注口土器亀ヶ岡式 |
手持ちの懐中電灯で照らしています。 |
文様はそうしないと写らないので。 |
何度見ても繊細なデザインです |
祭祀具として作られた非実用土器 |
こちらは実用かな |
東北北海道を旅して見えにくいライティングの博物館が多い。
どんな展示論で行われているのか。
単に業者に丸投げなのか。
芸術なのか学的なのか。 |
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15山井遺跡 縄文晩期 御所野周辺のここも亀ヶ岡式土器の出土する有名な遺跡 馬渕川流域で是川・蒔前・山井の遺跡はつながっていた。
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亀ヶ岡式土器をご堪能ください |
一つ一つの土器が素晴らしい造形です |
江戸時代から東北各地で乱掘され |
全国に売られ、あまつさえ海外にまで売られた |
その理由はよくわかります。美しい美術品 |
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注口土器 |
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新潟の火焔土器も素晴らしい物でした。 |
山梨の人面土器もよかったですね |
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この亀ヶ岡式土器も素晴らしく洗練された土器 |
きれいな雲形模様です |
生乾きを刃物て削るのは現代も同じ技術です |
口縁部のギザギサは非実用のしるしか |
土偶女性像であるという |
中空に成形した像の上に粘土を重ねて作ったことがわかる |
想像できなかった作り方の一端がわかった遮光器土偶 |
これはどこで作ったのだろうか。違いすぎる。
子供の作品? |
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18弥生時代
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岩手県上野遺跡の続縄文遺構。
気温の低い東北北部から北海道では稲作農耕は始まらず、狩猟採集の縄文生活が続く。
熊の把手付土器 が文化交流の証しである。
出土土器には亀ヶ岡式土器の特徴の雲形文が描かれている。
まだ、ここは縄文時代です。 |
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20御所野縄文公園 御所野の特徴は土おき住居と環状列石になる前の配石遺構
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東むら |
掘立柱建物 |
土おき竪穴住居 |
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竪穴住居内部 |
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焚火跡・炉跡 |
炉跡が幾つもあります |
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木の皮でふいた住居 |
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構造は皆同じでした |
中央むら |
左配石遺構右栗林 |
色々な配石遺構 |
円周上に配置された配石遺構やがて環状列石になる |
三本柱と掘立柱建物 |
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西のむら |
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六本柱建物の使用目的は何でしょう |
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きききの吊り橋 |
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取材不足は否めません。
何を見、何を伝えるかをもっと真剣に考えなくてはいけないと思います。 |
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