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 縄文を旅する1  中部地方15   2013.05.25(土)

   山梨県立考古博物館  山梨県甲府市下曽根町923

    設立目的 考古学の調査成果から山梨の歴史を学ぶ場として、親しまれる博物館。

    :県内各地の出土物を展示し、旧石器時代から中世までの遺物を展示している。


    行き方 レンタカーで中央高速道の甲府南インターから車ですぐ。釈迦堂遺跡博物館を見学後行くのが安価で便利です。
    ご注意 関東地方は、関西では考えられないほどタクシー料金が高額です。
    




01外観 山梨県立考古博物館
02旧石器時代
04一ノ沢遺跡
05縄文早期
06縄文中期
07縄文後期
 注口土器
08縄文晩期

09一ノ沢遺跡の精霊土器
09縄文住居
10縄文の配石遺構
 (晩期3000年前)金生遺跡
11縄文の土器棺
 埋葬
13吊り手土器と有孔鍔付土器
14土偶

20特別展
 酒呑場遺跡の出土品展
 

  2020.10.12記述
 
  本日(2020.10.12 18:30頃)、2013に取材掲載した記事について、以下のご指摘をいただきました。
  謹んで掲載させていただきます。

 
縄文を旅する1  中部地方15
山梨県立考古博物館

についての記事にていくつか学術上誤りな記述を見つけましたので指摘します。

記事の土器の装飾について中国青銅器に通じる等や、「華中華北を出て長い長い移動と飢えと命の危険にさらされながら何世代にもわたって同じ形式の土器を作っていた。のに列島のこんな端っこまでやってきて落ち着いた途端、その持てる芸術性を発揚させ、たちまち素晴らしい作品を作り始めるのだから。」との記述ですが、縄文人は遺伝学あるいは形態学的に中国大陸とは何ら関係のない孤立した人類集団であることが分かっています。

また、土器については山梨県埋蔵文化財センターでは、装飾付き土器について地元山梨の土器から発展してきたと考えられるとしております。
(例えば、水煙把手土器については、東北地方を中心にひろがる大木8a式土器を起源にして山梨あたりで成立したものと、もうひとつ別の種類として、甲府市上野原遺跡にみられるような大きな把手の上が渦巻きのドームになるものとがある。としており、特に後者は外来の大木式土器の影響ではなく、山梨で独自に出来上がったものとしている。)

つまり山梨県の奇妙な土器は独自のものであり、またそれ以外の場合でも日本内の他地域の文化由来である点から大陸文化は無関係であるといえます。

これはホモ・サピエンスが拡散する以前から各地に霊長類あるいは初期人類が生息していた点に似ており、例えば国立科学博物館地学研究部等によれば、人につながるものの起源と考えられる「トリボテリウム類」の最古の化石のひとつが日本から産出しており、また霊長類化石が古第三紀以降日本の一部から産出する点をもって、現在の主流の到来があったとしても、それ以前より生息していた種の影響により現在の日本へとつながっている訳です。

以上の指摘より、装飾品等については言うまでもなく在来の自然発生だったとして良いでしょう。


 ご指摘の通りかと存じます。

 
 
 01外観 山梨県立考古博物館
                  
このデザインは縄文遺物の何かを模したものらしい 最近の博物館は建設前に視察するのでどこもよく似たつくりになっている。 立柱には意味がないそうです。長野県立歴史館では御柱の象徴だそうです。 博物館のクラブ活動をしていました。見事な縄文土器が焼けていました 私が作ると装飾がパラパラ外れ、焼きあがると割れていますよね。
 

02 旧石器時代  説明文によると、10万年前頃に中期旧石器人が、現在より7〜8℃寒冷な列島へやって来たと。
  文化が進化するのは新しくやって来た人々がもたらした証拠です。
ここではホモ・サピエンスの旧石器時代の痕跡を見ています。

画期的な服装再現立派な防寒具。重い皮のテントの運び方は? 焼き石調理の痕跡縄文早期の栃原岩陰遺跡では生肉食でした。 ナウマンゾウの痕跡広大な甲府盆地にもナウマンゾウが生息。当然ですが。 狩猟は追いかけてはできない。 旧石器時代人の痕跡甲府盆地はナウマンゾウやオオツノシカの楽園だったでしょう
ナイフ形石器 (3〜1.5万年前) 尖頭器 (1.5万年〜) ナイフ形石器の使い方 石錐の使い方 掻器の使い方 縄文前期の石器6千年前
黒曜石の産地地図 黒曜石の産地 旧石器人の暮らし夏仕様の服装か 後期旧石器時代の石器 (3〜2.8万年)台形石器は原初的な石器 最寒冷期の石器 (2.2〜2万年前)ナイフ形石器文化人 旧石器晩期の石器 (1.6万年前)
 
 04一ノ沢遺跡 (縄文中期)
   県立考古館設立のきっかけとなった重要な遺跡です。重文が多く出土しています。
   ヘビ、イノシシ、顔面を土器装飾のモチーフにしています。
一ノ沢遺跡は
縄文中期中葉の遺跡
いずれも中国青銅器に通じる見事な造形表現です 人面と蛇ですね
使用痕のある土器 見事です
 
 05縄文早期
    縄文早期 約1万年前-6000年前
    縄文前期 約6千年前-5000年前
 6千年前ピークに達した、縄文海進によって土地を追われた人々が関東・東海から大挙してやってきて住み着きました。
      
縄文遺跡の分布縄文遺跡の爆発的増加に驚愕 縄文の食べ物堅果類や根菜類に栽培植物も緑豆やエゴマに大豆などがあったそうです。 山野草は栽培しなければ自然のままでは量を望めない 食糧や作物の痕跡
クヌギ、コナラ、小形球根類、エゴマ、クルミ、クリ。
シカ、イノシシ、鯉
中部高地における植物栽培の起源
5千年前の大豆の痕跡を発見した
その他ツルマメ、アズキ、エゴマ、シソも見つかる 縄文早期・前期の土器
土器づくりの歴史 早期の土器の特徴華中華北のまま 早期の石器 縄文前期 彩色の残る土器
口縁に何かの装飾 イノシシ把手 見事な細紋 いい感じですね
何の模様だろう  縄文人の遊び心はスゴイ。
 華中華北を出て長い長い移動と飢えと命の危険にさらされながら何世代にもわたって同じ形式の土器を作っていた。のに
列島のこんな端っこまでやってきて落ち着いた途端、その持てる芸術性を発揚させ、たちまち素晴らしい作品を作り始めるのだから。、 表裏縄文土器、
爪形文土器、
多縄文土器、
押形文土器
 
  06縄文中期 約5000年-4000年前  気候が安定し、定住して食糧確保が可能となり文化が花開いた。

骨董品のように漢字を並べて名前を付けたりしないところがいいですね 黙って鑑賞します
なんとなく随分力強い作品が多いですね 男性的な発想のデザインではないかと感じます そして、中国古代の青銅製品を彷彿とします
台付鉢形土器
酒呑場
土鈴
 
 07縄文後期 約4000年-3000年前
    気候変動が激しくなり、各地の土器形式も大変化する時期です。が、堅く、薄く進化したそうです。
    様々なバリエイションも出ています

瓢箪は栽培品。何れも素晴らしいデザインです 瓢形注口土器
川又坂上遺跡
注口土器
中谷遺跡
注口土器
金生遺跡
深鉢型土器
中谷遺跡
注口土器
中谷遺跡
石冠、三角とう製品 美しい石器だと思います

 注口土器 と抜歯の風習 南方系民族の大量渡来

   この土器を見ると、誰でも現代の生活から酒を注ぐ器と考えがちです。当時の酒はドロドロでこんな口から出ないことを知れば疑問が湧く。
   縄文後期に突如現れた土器。これについて興味深い記事を見つけました。

   記事によると、この頃始まった抜歯の通過儀礼のため注口土器が必要になった。弥生時代に抜歯がすたれると注口土器もなくなった。と。

   確かに新潟県立歴史博物館でも、通過儀礼の項目に、抜歯と環状注口土器が同時に展示され関連をうかがわせます。

   以前取材した、台湾史前文化博物館でも抜歯の通過儀礼を持つ先住民の土器に注口土器がありました。
   ただし、儀礼と関連した記述はなく、お酌をする器として記述。
   考古学者や学芸員は漢人で原住民の習慣がわからないのでこうなったのかもしれません。

   抜歯の風習は世界中にあるが、近隣では東南アジアなど南方系の風習。それがなぜ縄文中期末葉の列島に広まったのか。
   抜歯文化を持った人々が大挙移住したか、抜歯のような儀礼が必要になったからなのか。(笑)  このHPでは詳しく論じている。

   このような奇妙な呪術が大流行するのは、当時の気候変動(気温が現在より高く台風など自然災害は今年の日本より苛烈だった)や
   人口増による文化の爛熟など、何らかの社会不安から始まったのかもしれない。って、なんのこっちゃ。
 
 08縄文晩期  約3000年-2300年前  5人に1人しか生き残れない寒冷期。サバイバルな時代を生きた人々の作品です。

深鉢形土器金生遺跡 浅鉢形土器炮烙の底か鍋の蓋に見えるが浅鉢。
この掘りのデザインと技術は素晴らしい
↑機能的なデザイン
⇒あっさりしたデザインですがこの薄さは驚きです。⇒

石剣・撥形打製石斧独鈷石・分銅型打製石斧
石剣は
呪術や祭祀具か
権力の象徴か、
実用的な武器だったのか

分銅型打製石斧はただの農耕具ですね。
 
 09一ノ沢遺跡の精霊土器 (中期)約5000年-4000年前 

     ヘビをモチーフにした造形が主です。ガレ場が多く蛇が沢山繁殖していたのか。大変怖かったようですね。

ヘビとイノシシが向かい合う深鉢形土器 埴谷雄高死霊を思い出します。永遠の対立概念 猪はマムシをその蹄で踏み殺します 口縁部に蛇が描かれた深鉢形土器 これ何匹もの蛇が絡み合っている図ですね。しめなわは絡み合うヘビを表現 しかも、二か所も。これも、永遠の増殖を意味するものですね。
後頭部にヘビの装飾が付いた土偶髪型か、ペットっかってそれはないでしょ。頭に毒ヘビ飼えないよ 思い切ったすっきりしたデザインです スサを入れてもこの造形は作りにくい。
ヘビの胴体ですね。長い大きな蛇です。 翡翠の垂れ飾りは富と権力の象徴貧富の差や貴族の存在があったのでしょう  高度な技術で作られた土器です。驚きです。 この時代梳き櫛で髪を梳かないとシラミだらけになるはず。どうやって防いだのでしょう。
 
 09縄文住居 博物館によって、再現される住居は少しずつ違っています。やはり地域性があったのでしょう。

家の中で煮炊きしていますね 雉や魚にキノコが食材
日常生活具が展示
ニューギニアの山岳民族と同じ再現の石斧 石皿磨り石はインドでは今も使われています すり減った磨り石と石皿で何を潰していたのか 5000年前の想定です
 
 10縄文の配石遺構(晩期3000年前) 金生遺跡 独特な配石遺構です。とくに中心部の石棒と奇妙な土偶は驚きです

交易品の石棒はこれが本来の使い方かも。後世に道祖神に転用されたのかも 金生遺跡縄文晩期後葉の寒冷化し、大量の餓死者で人口が激減した時期で、 金生遺跡途中、多くの渡来人が西南北から来て入れ替わったとはいえ、 一万年続いた縄文だから、確固たる儀礼の文化が根付き、有力者の葬送儀礼も このように確立したのではないか。
男性器を表した石棒は同じ物が台湾からも出土しています。 この犬のようなものはなんでしょう。 このできそこないの土器はなんでしょう 金生村の祭り実に興味深いです こんなに近接した遺跡は同族の村か
 
 11縄文の土器棺

埋甕とある これら埋甕は竪穴住居内に葬られました。
多くが立派な装飾土器です。有力者の家庭かも
水焔土器の土器棺は相当な権力の象徴なのでしょうか 子共の死体とはいえ、腐敗臭を気にしないで生活できた環境に驚き それほど当時は悪臭が立ち込めてる環境だったのか。

 埋葬
   墓地は集落の中心住居から数メートルとかの距離。死体の腐敗臭は耐え難いものです。
   縄文人はそのような悪臭に日常的に慣れていたのでしょうか。想像できないです。
 
 12アクセサリー  装身具は魔除けだと考えられていますが、権力や地位身分も表すものでしょう。

女性であることをアピールするためにアクセサリーを付けるのかな いいデザインのものがありますね 耳栓状とけつ状の2種類の耳飾りが混在。交易のたまものか。 イノシシ装飾がある深鉢 イノシシは随分デフォルメされています 浅鉢型土器
 
 13吊り手土器と有孔鍔付土器 吊り手土器は明かりを得るための道具や儀礼の道具と考えられています。

吊り手土器単なる照明ではなく 何らかの信仰や 吊り手土器呪術の対象だったかも しれません 有孔鍔付土器 有孔鍔付土器
 
 14土偶
  へんな名前を付けずにすべて土偶と言っているのがいいですね。いや、愛称があるんだ!へー!
  ごめんなさい。ここで似た写真が重複しています。やり直しは大変なのでこのままでご容赦願います。
 
土偶 住居跡から出土した土偶 仮面土偶など手前の土板が大湯遺跡では計算機だった 女像は皮のジッパー付ワンピース。裾はフレアで豪華になっている みさかっぱとヤッホー粗雑な土偶は壊すためのものか
先ほどの足の指は6本でした。超人間なものを表しているのか 男の服は皮の刺突文のある肩を絞れる被りのジャンパー(ヤッケ) 土偶は靴を履き、防寒仕様もありました 踊ってるように見えるが人体表現の原初的段階
土偶の地域的特徴でしょうか
これは何でしょう。内部中空で高度な技と凄いイマジネイション
性器が飛び出した土偶 どうもこの時代男女とも出したままだったようですね 堅い皮の衣服や、皮膚病予防などが原因でしょうか 金生遺跡の中空土偶

金生遺跡訪問記

 壁のある縄文住居はここだけですね。珍しい。
縄文人の衣服

 土偶の裾がスカート状だと女と考えがち。
 現代の衣服は機能的だが、過去には保温と排泄が衣服の目的。下着は19cに発明。
 従って外性器は出たままだったようだ。
 
 20特別展
    5000年前の 酒呑場遺跡出土品展示
    他所とは少し違うきりりしたデザインです。技術も高度です。
    つる豆、大豆の痕跡が出土した遺跡のようです。

山梨県酒呑場遺跡出土品について
指定資料について