[戻る][TOP]

 縄文を旅する1  中部地方11    2013.05.24(金)

 尖石縄文考古館    茅野市豊平4734-132

   周辺の縄文中期遺跡(5千年〜4千年前)、国指定特別史跡尖石遺跡と総称、の、八ヶ岳山麓特有の装飾土器を展示する。
   土偶、有孔鍔付土器、釣り手土器、装飾土器、

   博物館設立目的 国特別史跡「尖石遺跡」を中心とする史跡公園のセンターとして建設

   日本の超有名な縄文博物館の中のひとつ。閑古鳥の鳴く博物館が多い中、大量の来館者が押し寄せる。




01尖石縄文考古館
04尖石遺跡出土物
05縄文のビーナスと仮面の女王
06草創期から中期の土器
07草創期から早期
24有孔鍔付土器
25吊り手土器

26土偶
26縄文の神と祭祀
27黒曜石と交易 渋川遺跡群
黒曜石の成因は火山活動の始まり
28自然と食物
29葬送儀礼と衣服


35住居遺跡
 特別史跡与助尾根遺跡
 尖石遺跡
 


  01尖石縄文考古館は
   尖石遺跡の発掘と保存に尽力した宮坂英弌族の私設博物館から発展しました。
   その功績と研究生活の様子を展示しています。

2000年 新装開店遺物が国宝指定されたため その保管基準に適合するため改築 エントランスホール 入口展示のデカ土器 研究者一族

  04尖石遺跡出土物(縄文中期)

蛇体把手付深鉢
取っ手がヘビ
台湾でも猛毒蛇が土器に装飾されています 最も危険なものが最高の神となるようです 恐るるものは畏るるものとなるようです。 尖石縄文集落
土偶各部が外れやすく作ってある
原始宗教においては、アニミズムフェティシズムに由来する信仰が 行われる。恐怖の対象から力をもらい自己を同一化するために  猛毒蛇の模型を飾ったり、イノシシの牙や熊の爪を、護符や装飾として身に付けたり、一族のトーテムとしたりする。

 また、巨木や巨岩を信仰したりする。

 05縄文のビーナス仮面の女王

縄文のビーナス出土状況 ひねり出し一体成型ではなく、縄文の特徴でパーツを集めて作るアッセンブリ方式。決まった場所から外れやすい
国宝 縄文のビーナス
縄文時代中期5000年前裸の像です。体に入れ墨はありません。
長くて巻いた頭髪は中国少数民族の髪型に似るが、研究者は別物という。 巨大な腰は、現在でもあるが、出産後広がった骨盤が元に戻る前に妊娠すると このように広がったままになり、妊娠の度に広がる。 正面視の腹部は妊娠なのか
重文 仮面の女王  縄文時代中期後半4000年前正面に女性器が見える。大胆なデザインの服です レザーの被り上着です。肛門や性器、両のおしりは出たまま。裾を片足ごとに腿でくくっているようだ。 着脱しにくい固い鹿皮の衣服のため、排せつを容易にする目的かな。 太い脚は像を立たせるためか、そのようなデザインの袴かズボンでしょう。 中世ヨーロッパの衣装も、排泄し易いデザインでした。下着は近代になって発明された。
 
 06草創期から中期の土器   素晴らしいデザインの土器です。

浅鉢(平鍋) 現在でも作られる機能的なデザイン 鍋の中のデザインも現代的 私、売ってたら買いますね。絶対
イルカのデザイン 通常作れない形。着脱式か。 実用的でないふくらみの側面は祭祀用か
長く使うとこんな壊れ方をします。火鉢・七輪・カマドなども 毒蛇など最も危険なものが神になりま
大変有名な土器です これもユニークな形。意味は分からない  貼り付け装飾同様に鉢も各部分を張り合わせて美しい形を作っている。

 粘土の紐作りでなく、板作りですね。
 
  07草創期から早期  尖頭器と細石刃が出土したのは、半島経由文化とバイカル湖文化人が、ここで融合したというのか。

縄文の暮らし 縄文の狩り尖頭細石 石鏃と磨製石斧 初期の土器デザイン
次第に特有なデザインとなり、 ⇒最後にこんな非実用的デザインとなった。 なぜ?
洗えないし使いにくい
非実用土器か
貝殻状突起付深鉢
 
  24有孔鍔付土器  縄文前期後葉から後期後葉

最初、見た瞬間太鼓だと思いました。が、低温焼成の縄文土器は、棒で叩くとすぐ壊れます。(ばちで叩く絵が多い)
ただし多口壺は古代から伝わるインドの太鼓です。
 
その後酒甕説を知りました。しかし、いろいろな有孔鍔付土器を見ていると、違うと思いました。
酒を醸造するのなら穴はないほうがいいと思います。
 
東南アジアで魚醤作りの甕に似てると思いましたが、これは鍔が溝になっており、水を溜めて、蓋をするとハエが入らない構造。
この構造の土器は、私の子供の頃にありました。しかし、これも違うようです。水は溜まらないから。
 
一体何なんでしようね。縄文の生活をしてみればわかるのかもしれない。


彩色された痕跡があるそうです。一張羅の土器ですね
こんな小さな太鼓も酒甕もないでしょう。

  25吊り手土器   (縄文中期中葉から後半)

   ・冷蔵庫が普及する前は食物の腐敗を防ぐため、夜間に吊り籠で風通しの良いとこに吊り下げて保存しました。
   そのカゴと形状が似ているのでこの名があるが、吊っては紐が燃えるので使えない。

   新潟県立歴史博物館では住居の上座に置いてチロチロと火をともして信仰の対象としていた。

全ての釣り手土器が
正面視と背面視は全く違う。
動物脂を燃やすと何千年経っても取れない色になるのかも 作って脂を燃やしてみないと本当の事は分からないですね
注口土器縄文後期から晩期 現在の土瓶そのものです  祭祀用吊り手土器や
 注口土器は
酒を注いだかお茶を飲んだか。
本当はなんでしょうね。

 お茶文化は近世からでしたね。
 
  26土偶   縄文草創期から中期中葉

顔面把手土器の一部
 
  26縄文の神と祭祀

   縄文時代中期、八ヶ岳山麓から関東地方にかけての一帯では、土偶に代表されるような人や動物を表現した文様が
   粘土製品を中心に表現されています。このような造形表現が、現代の「神」のような存在を表していると考える研究者もいる。

人体や猪の像付土器 象徴物の把手 人面把手付土器
ヒスイ製垂飾の生産地と分布交易圏の広さと信仰の類似化
ヒスイ製垂飾 男根と磨り石明治に民俗学者らによって近代の倫理観にそぐわないとして撤去された。 石棒の製作と流通それまでは延々何千年も道祖神として立っていた 装飾付の磨り石は初めてです 蓋型土製品後期晩期の土器の特徴
ミニチュア土器台湾では葬送用品
日本でも同じかと
ベンガラ
原初的な彩色材
耳飾り素晴らしいデザインが多いが重くて大きい 嫁入りの広がりを示す耳飾り中央高地の縄文人の文化圏と交流の広がり  縄文女性は耳に巨大な穴が開いていて、耳たぶは長く垂れ下がっていたことになる。

 ブラジャーの発明以前は、女性の乳房は長く垂れ下がっていました。つい最近までのことです。 
 耳たぶの垂れ下がりも別に不自然ではなかったはずです。

  27黒曜石と交易 渋川遺跡群  黒曜石
黒曜石は霧ヶ峰山中の駒形遺跡が産地 黒曜石の産地
駒形遺跡出土物常駐して原石を採取する一団が独占していたのか、誰でも自由に採取できたのか。
縄文人の交易 北陸の土器瀬戸内・北陸・関東・東北からの往来があった。
また、海上交易も盛んだった。日本中から黒曜石を求めてやって来たんだ。
伊那谷の土器土器の地域性は定住の証明。各地からの来訪者多数
関東の土器鉱脈の独占者とお宝と交換したら遺跡にはそのお宝が山積みのはずだが少ないのは、 黒曜石の原産地誰でも自由に資源を利用できたからなのか 黒曜石の原石黒曜石は大量の水が溶岩に衝突することによってできる。
海や湖水のそばで噴火した時に形成される。⇒
冷山鉱山と遺跡古霧ヶ峰は上田や佐久が湖の時に噴火し形成された。 縄文人は素晴らしいアルピニストでもった。

 彼らは黒曜石の露頭を探して日本中の山や火山島を歩き回っていた。

氷河期の八ヶ岳を踏破した

 黒曜石の成因は火山活動の始まり

  平坦な陸地がマントルの動きによって陥没が始まり、海や湖となる。やがて、沈み込んだ地殻が溶けて噴出し、火山活動が始まる。
  最初に地下から上昇してきたマグマはその海水や湖水に出会い、急激に冷やされて珪酸塩がガラス質として固まり、黒曜石となる。
  この時にだけ起こる偶然の産物です。ですから、最も古い火山の古霧ヶ峰や海底火山の神津島で産出するのです。

   2019.0108追記
     wikiから得た知識でこのように書きましたが、実際は、噴き出した溶岩が空気中で冷えてそのまま黒曜石になります。
     ケイ酸分の多い火山特有の現象です。

     ケイ酸は地球のマントルや地殻は主にケイ酸塩鉱物でできている。(ケイ酸が溶岩の粘性を左右する理由)
     黒曜石は、二酸化珪素が約70〜80%で、流動性に乏しい、流れにくい溶岩の火山で生まれたものです。
 
  28自然と食物
縄文の食物 骨片縄文人は生肉をはぎ取って食料にしていた。
骨つきのまま煮たり焼いたりはしなかった。
肉は生食が中心。 恐ろしい寄生虫が心配 燻製や干物は残りをか 縄文クッキー肉と澱粉を混ぜて作る
 
  29葬送儀礼と衣服
掘立柱は埋葬儀礼墓地の目印だった 掘立柱は巨木弥生以降も続く風習 再現された衣服赤色染料は茜か アンギン編み衣類
 
  35住居遺跡 特別史跡 与助尾根遺跡 尖石遺跡
いい感じに切り取られていたので 与助尾根遺跡 尖石遺跡
こんなに広大な住居跡 山道を下って 尖石見物周囲に斎串を刺した尖石 なぜこの石が聖なるものなのかわからないたたりがあると恐れられた きらっと輝いた瞬間