縄文を旅する1 中部地方9 2013.05.24(金) 八ヶ岳と縄文文化 -麦草峠を越えて- 八ヶ岳連峰へは学生の時、友人と旅行した思い出があります。 友人は本当によく信州を知っていて、あちこち旅行しました。 いいお家の子だったので子どものころから何回も来ているんだろうと思っていました。 しかし、今思うと友人もきっと初めてだったのでしょう。 しっかりと下調べをして私を案内してくれていたのだと、今思って感謝しています。 今回も小海線(八ヶ岳高原線)に乗って野辺山から清里まで歩きたかったのですが、足を痛めていることに歳月を感じました。 そこで、八ヶ岳横断道路で麦草峠を越え、新しい魅力を見つけようと考えました。 結果 八ヶ岳連峰は高い垂直高度(2500〜2900m)と、南北に長い山域30km東西15km。そして広大な裾野を持っています。 この山麓には古くからの遺跡が密集し、この地形が縄文文化を育てたことがよくわかりました。 その秘密を調べていきます。 |
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八ヶ岳学習のページです。 時間があったら開いてみましょう。 @車山高原リゾート「レア・メモリー」のHP ;歴史散歩 A 白樺湖「亀屋ホテル」のHP 事前学習資料 |
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八ヶ岳連峰の成立 @フォッサマグナ(大地溝帯) 2500万年前以降に形成 日本列島は糸魚川-静岡構造線より西がユーラシアプレートに、柏崎-千葉、新発田-小出構造線以東は北米プレートにあり、 その間は海でしたが、伊豆半島の乗ったフィリピン海プレートの接近で圧力が生じ、隆起し始めました。これが地溝帯です。 このプレート圧力によって溶けた岩石が、断層帯に沿って上昇し、日本海から太平洋に至る長い火山列ができました。 新潟焼山・妙高山・黒姫山・八ヶ岳・富士山などです。 フォッサマグナ異常隆起中 |
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A八ヶ岳火山列 激しい噴火と周辺地域への大被害の歴史 ●130万年前、古霧ヶ峰や(活動期130〜75万年前成層火山となり、爆発によって山体崩壊) 蓼科山が活動を始め、北八ヶ岳、南八ヶ岳と広がっていった。 火山の寿命は50万年〜100万年なのでそれ以前以後に何度も火山の消長がありました。 |
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B韮崎岩屑流 ●茅野市から東に八ヶ岳に向かうと、日本一広大で、なだらかな裾野が広がっています。 その原因は 八ヶ岳に向かってGO!!
●20万年前、南八ヶ岳の古阿弥陀岳が山体崩壊し標高3400mが2805mに崩れ、膨大な量の岩屑(10km3)が流れ下り、 甲府盆地南端の曽根丘陵(48km先)にまで達し、あたり一面を最大厚さ200mで埋め尽くしました。 そして、諏訪盆地から甲府盆地に至る大規模な、なだらかな地形を作り上げました。
●八ヶ岳連峰はこのような 山体崩壊、泥流、岩屑流、山津波、溶岩流、火山弾、火山灰の降下や、水蒸気爆発、火砕流 などなどを、連峰中で、何度も繰り返し起こして、現在の地形を作り上げてきました。 復元図で見る八ヶ岳の一生 小学校で習った「甲府盆地は扇状地」はこの岩屑が原因だったんだ納得 |
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D八ヶ岳の自然 ●広大な山域と広い裾野に高い山は、季節を追うことのできる、多様で豊かな自然です。 ・ここは山菜や野草の宝庫です。南から北へ。低地から高地へ。季節を追って採取することができ、 また、一度採取しても、すぐに、次の芽が出るので繰り返し採ることができ、乾燥して保存食にします。 ・動物も季節を追って生活していくので、山野草同様南から北へ低地から高地へ移動するのを、 追っていけばよいのです。 ・大学の寮で長野県出身の先輩、大村さんが、散歩しながら食べられる野草を実際に食べて見せながら教えてくれました。 旧石器時代からの知識はついきのうまで信州人に受け継がれていたのだと思います。 また、長野県大桑村出身の友人が持ってきた、山野草から作る百草丸なる漢方薬もきっと古い起源のものでしょう。 山岳ドライブ -高度と季節の逆行と山菜-
北相木村で博物館と遺跡を見てきました。
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●広大でゆたかな諏訪湖 面積は13.3km2,最大水深は7.2m,平均水深は4.7m 子どもの頃、白黒テレビのフィルム映像で、 諏訪湖独特の漁法が途絶えつつあるという番組を見た記憶がある。 やつか(屋塚)漁というのだそうです。(リンクページ内を検索してください。) うなぎ塚漁と同じ方法。(石ぐろ、石漬とも云う) このほか縄文から続く数々の漁法が近年まで残っていたようです。(←伝統漁法で検索) |
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●縄文の生活 縄文人は現代人とは当然ですがかなり違った体格をしていました。 骨の形、歯の形や咬合、脊椎の棘突起(きょくとっき)はひれのように飛び出し、 (珍しい。学生時代に近くの風呂屋で見た。) 虫歯だらけだったそうだ。 命に係わる軟弱体質。 人も動物も寒い土地のほうが、病気や寄生虫に傷の化膿も出にくく生活しやすいのです。
●八ヶ岳山麓 −エコーラインを走る− 八ヶ岳の西麓は諏訪神社のお狩場だったところです。そこを南北に走るエコーラインは所々で橋を渡ります。 これは単に沢を渡っているのではなく、谷の中には村があり、その村ごと飛び越しているのです。 山が高くなだらかな裾野が長く引いていると、豪雨時には、土石流の危険があります。 新しく開拓され、長く人が入らなかった土地にはそれだけの理由があるのですね。 |
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