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  縄文を旅する1  中部地方5   2013.05.21(火)  

     十日町駅からほくほく線に乗ると「ますのすし」を食べてる人がいました。
     越後湯沢駅で売ってるそうだ。珍しい。富山の名物だのに。(笑)
     直江津を経て信越線で黒姫駅を目指すと、残雪に映える上越の山々が広がってきます。
      買ったばかりのカメラでフィルターを付けてなかったため遠景は霞んで写ってなかった。(泣)



 野尻湖ナウマンゾウ博物館  長野県上水内郡信濃町野尻287-5


     4.8〜3.3万年前の ネアンデルタール人活動した中期旧石器時代の、日本では稀有の遺跡です

     博物館のテーマは ナウマンゾウの発掘ですが、私はその中の ネアンデルタール人に注目したいと思います
 
  参考文献と図表

    野尻湖旧石器人の詳しい研究論文は大変少ないのですが、
    アーバンクボタの学術サイトに、信州大学の素晴らしい論文が掲載されております。
    そこに掲載の図表です。論文を読むために必要なので、切り出しました。参考にしてください。

資料1
野尻湖遺跡群の文化層 付加

表の右に勝手に必要な事を付け足しました。正直、まとめるのは困難でした。
資料2
野尻湖における最終氷期の編年

野尻湖と最終氷期の研究 酒井潤一著より
資料3
野尻湖とその周辺地域の上部更新統・完新統花粉層序

湖周辺の古植生と古気候変遷 那須孝悌 著より
資料4
野尻湖遺跡群の文化層

野尻湖文化-最終氷期以降の人類史- 中田由克著より
資料5
南関東の層序と対比した野尻湖地域の旧石器文化の変遷

野尻湖文化-最終氷期以降の人類史- 中田由克著より
資料6
館内展示パネル旧人は骨器文化人と、のちに現れた縦長剥片石器文化人の二種いた。年代が1万年違う。
 この項目のキャプションは、写真の下に ウルム氷期  旧石器時代  最終氷期以降の気候  古気候  古気候 受験
                          最終氷期の気候変動と日本旧石器時代 石器時代の区分 日本の旧石器時代

 野尻湖
黒姫駅駅舎看板の字体 野尻湖別荘リゾート地 野尻湖ナウマンゾウ博物館 オオツノシカ復元 ナウマンゾウ復元 「月と星」と呼ばれる牙と角が出土した配置
第6次発掘獲物のキルサイト解体現場であることが判明 発見者名付き臼歯
 
 ナウマンゾウハンター(中期旧石器時代人) 

  野尻湖文化は
    @初期の野尻湖人は、骨器・剥片石器文化でした(4.8〜4万年前) 
      しかし、途中から
    A別グループの縦長剥片石器文化 が登場し4万年前に置き換わった。(4..3〜3.3万年前)
      資料6館内展示パネル写真参照
      ネアンデルタール人にもニュータイプとオールドタイプがあったことに驚きです。
 
狩猟と解体 骨器の狩猟具 解体の手順 骨製スクレイパー 骨製ナイフ 骨製クリーヴァー(手斧)
血液 スクレイパー(へら) 礫(骨割) くさび形石器 彫器(骨の加工) キリ
野尻湖文化の石器 日本最古の骨器 クリーヴァー(手斧) 骨の剥片 ネアンデルタール人の特徴は骨器を使うことです。 出土する、大量の骨の剥片は、骨髄を取り出すために割ったものと考えられています。
 
 ナウマンゾウの頃の古環境  資料2参照
     7〜6万年前の1万年間の氷期に続く6〜5万年前の1万年間の寒冷期が終わり、温かくなると、
     4.8万年前、突如大型動物と共にネアンデルタール人が現れた。
     寒冷期に半島から渡ってきたナウマンゾウとハンターが、温暖化とともに北上して現れたようだ。

  野尻湖の形成と古環境
9〜7万年前 7万年前 4万年前 野尻湖年表 野尻湖の成因
黒姫山の崩壊でできた説と、斑尾山が原因の二説ある。地元では後者を、学者は前者を唱える。

  野尻湖文化時代の動物と石器
                      7〜5万年前の氷期とそれに続く寒冷期にシベリア型動物相になっていたようです
動物相トラ・ヒョウ・バイソンまでいたのは驚きです 中部野尻湖層木器と小さな石器
41000年〜39000年前
水晶 中部野尻湖層41000年〜39000年前
中部野尻湖層
41000〜39000年前
上部野尻湖層39000年〜33000年前 下部野尻湖層48000年〜41000年前 仲町遺跡出土石器縄文草創期の遺跡か 仲町遺跡

 ホモ・サピエンスの出現(3.3万年〜1.5万年前)
    後期旧石器時代
      5〜3万年前の温暖期に 初期ホモ・サピエンスはどこからやってきて、突然野尻湖に現れたのだろうか。
      この時もやはりスンダランドが水没して船でやってきたのだろうか。(後述)
      なぜなら、彼らはこの時すでに伊豆神津島産の黒曜石を手にしていた。(武蔵野台遺跡)

    最終氷期(1万年間 2.8万年〜1.8万年前。最寒冷期は2万年前)
      初期ホモサピエンス(旧石器人)は、列島に陸封されたまま最終氷期(二万年前)を過ごすこととなる。
      その氷期の間に、
      より進化したニュータイプのホモサピエンス(新石器人・縄文人)が渡って来て、やがて彼らに滅ぼされることとなる。

新人の石器
(3〜1.5万年前)
新人の石器新人は石器文化人 石器の利用と加工が得意 多様な石器1.5万年前の野尻湖では三系統文化人が 同時期に居住。食糧の豊富さと暮らしやすさ 野尻湖の自然の豊饒さ。数万年に渡って人類を養い、高度で多様な文化を築いてきた。
杉久保遺跡 杉久石器 細石器文化
(バイカル湖文化)
 
  ホモ・サピエンスの出自 (資料:国立歴史民俗博物館)
3、4万年前旧型の新人は、温暖期にスンダランドから舟でやって来たと言っている 2〜1.5万年前新型の新人は、最終氷期に陸橋となった宗谷海峡と対馬海峡を渡って来た 1.6万年前1.6万年前にやって来たアムール文化は列島を縦断南下し、更に、南西諸島を南下して、沖縄島の茅打ちバンタに到達。したという。  8000〜4000年前ふねを使った新石器人が3方向からやって来た 東アジアの多様な民族この項目の結論
少なくとも3,4万年前から人類は船を操っていた。と、思われる。

 野尻湖のヴィーナス  中期旧石器時代の象牙製 第6次発掘で発見された。

 図表のキャプション

  氷河期の年代特定は困難なのでしょうか。私の知識と随分のかい離。本当のことを教えてください。

  3万年前、世界中のネアンデルタール人が絶滅した、その現場のかたわらに、必ずホモサピエンスの遺跡があります。

  野尻湖でも、 3.3万年前に1万5千年間も狩り続けたナウマンゾウやオオツノシカが絶滅し、
  ネアンデルタール人がいなくなってすぐにホモサピエンスのナイフ形石器文化が始まる。

  まるで、ホモサピエンスが絶滅させたかのように見える。

  ネアンデネタール人は身体能力が大変高く、骨器と小さな剥片石器しか使わない。
  ホモサピエンスは華奢な体に、大きな鋭い尖頭器を使う。もし、戦ったらホモサピエンスが勝つかも。


  その後、この旧石器時代型新人の時代は二万年も続くことになる。
  いったいこの新人たちはいつのまに、どうやって列島に渡ってきていたんだろう。

  このナイフ形石器の新人と、 細石刃文化の新人※は旧石器文化に属し、
  最終氷期※に半島や南方からやってきた新人は新石器文化・縄文文化に属す。

  3万年前の後期旧石器時代の遺物がこれほど明確なのは大変珍しく貴重だが、
  ここでは旧人の陰に隠れてそんなに目立たないのがおもしろい。


 ※寒冷化による動物と人類の南下で氷河期末にやって来た、
   細石刃文化の北方アムール川流域発祥のバイカル湖文化の新人
 ※二万年前を中心に2万8千年〜1万8千年の間との説 


  縄文を旅していると、遡れるのは1万2千年〜1万3千年前。それでもすごいと思っていました。
  ここでは4.8万年〜3.3万年前の、しかも、ネアンデネタール人の遺跡です。 大変な驚きです。
  三万年以降の中石器時代は、なんと、付け足しにすぎません。

  こんなすごい博物館であるのに、路線バスを廃止されるほどの寂れよう。

  その原因はへんぴさにありますが、
   @発掘をメインテーマに展示が企画されていること。
   A全国の博物学ファンに支持されている。が日常的な登館者増には繋がらない。

  私の提案は、
    中期旧石器時代の、「日本のネアンデルタール人の活動痕跡」であることをもっとアピールすべきです。
    展示コーナーに立札ででもネアンデルタール人の痕跡コーナーであることをアピール。
    ホームページでの強調。
    そして、もし予算が付けば、ネアンデルタール人コーナーの充実を図ってほしいこと。

  この理由は、私はかなり調べて行ったにもかかわらず、
    @ネアンデルタール人の遺跡だと思わなかった。遺跡の年代や特徴もわからなかった。
    A丹念に写真を撮ったはずだのに、野尻湖文化のコーナーを見落としていました。
    発掘で出るのは2万年間のネアンデルタール人の食べちらかし跡。

    来館者増に重要なのは、博物館の隠れていた主役、ネアンデルタール人だと思う。

  館長さんをはじめ、スタッフの方はいい方ばかりです。是非、全国のファンの方は登館者の増加を考えてください。