縄文を旅する1 中部地方4 火焔街道を行く3 2013.05.22(水) 十日町市博物館 新潟県十日町市西本町1丁目382-1 月曜・休日の翌日休館、撮影可 交通 北越鉄道十日町駅下車徒歩10分 遺跡 信濃川火焔街道の中間点、妻有地区(つまりちく)の遺跡群があります。隣接の小千谷市と共に豪雪地の織物の町です。 見所 ①豪雪 ②織物 ③火焔土器 ④川魚漁 が特徴的な展示です。また、重要なパネルもありました。 |
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01信濃川の育む自然と博物館
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信濃川について 河川事務所のHP 縄文楽検定テキスト 信濃川火焔街道HP 信濃川阿賀野川流域の先史文化 小林達雄氏講演 |
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02織物と冬のくらし 越後ちぢみ(小千谷ちぢみ) と 越後上布は国の重要無形文化財 ユネスコの世界無形文化遺産に登録 アンギン編みは縄文時代の機織り技術が現代まで伝承されている、稀有な編み物です。
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狩猟や伐採は冬仕事 現在の山岳はDDTやBHCなど過去の毒物で寄生虫がほぼ絶滅しているが(近年一部で復活も)、 しばらく前までは、ダニや吸血蛭、毒蛇、毒虫が多く、大変危険でした。 冬場はそれらが隠れ、落葉と降雪で歩きやすく見通しもよく、狩猟や伐採に運搬もしやすく、 獣は脂がのって一年で一番おいしい。 木や竹は冬に切るとよくしまった丈夫な良い材料が得られる。 かつて森林に入ると急に豪雨の音がする。降ってきたものはなんと丸々と肥えた山蛭(ヤマビル)。 体温や二酸化炭素を感じて跳びついてきます。こんな事は当たり前の事でした。(高知県の山中での実話) アニメ「もののけ姫」でも体中に蛭の吸い付いたイノシシが村に飛び込んでくるのがあった。たたり神とかいってたなぁ。 |
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03旧石器時代(先土器時代・無土器時代) 古くは旧人(ネアンデルタール人)で、その後、新人(ホモサピエンス)の初期段階の人々を指す。さかいめは3.3万年前かなぁ。 旧石器時代の大型獣狩猟の生活では東日本だけで1500人が生存限界だそうです。 |
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二万年前の日本列島 ①列島には樺太から北方ユーラシア系の、琉球列島からオーストロネシア語族が、半島から北方系モンゴロイドと南方系モンゴロイドが それぞれやってきたといっている。文化を追及していくうえで大切な前提です。 ②伊豆諸島は繋がって大きな島になっている。 旧石器人はここに黒曜石を採りに行きました。 彼らは当然、外洋航海の舟を持っていたことになる。 記①でみたように南方から海洋民族オーストロネシア語族が流入している。当然船をあやつって外洋航海をしたのです。大丈夫です。 新石器人は、島が沈んでも、同様に、黒曜石を採りに行った。旧石器人と新石器人の間に交流があったことになる。 この場合、旧石器人はネアンデルタール人ではなく旧型ホモサピエンス。 新石器人は新型ホモサピエンス。 台湾旧石器人長濱文化人と新石器人は2000年もの間同居した。ですから交流があっても当然。 ③二万年前中国大陸のどこかで発明された土器。 その知識を持った旧石器人がすぐさま各地に散らばったことを意味し、 日本が大陸から分離する前に半島を伝って歩いてやってきたことになる。 これがなかったら、列島は2300年前まで旧石器時代が続くことになる。((笑)) 日本最古の土器は1万6500年前です ただし、土器づくり技法を手に入れたときから、彼らは新石器人と呼ばれるようになりました。 |
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04縄文時代(新石器時代) (約1万5千年前~2千3百年前) |
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①豪雪地帯への道のり 縄文早期中葉に対馬暖流が日本海に流入し、十日町周辺に豪雪をもたらすようになった(9300年前に流入開始。7300年前から強くなった。) 中期は温暖な豪雪地帯。食糧の確保も容易で、人口はどんどん増えたでしょう。全国推定25万人。 後期は気温が不安定で、食糧の確保が安定しなかった。 晩期から寒冷化が始まり、人口が1/5になったという。全国推定5万人。 この時期関東地方ではほぼ無人になったそうだ。巨大津波でも起こったのだろうか。起こってない。 ②土器の発生 籠や皮袋からヒントを得て土器が発生。 やがて豆粒文土器や隆起線文土器がデザインされ、発展して爪形文・円孔文・多縄文土器になったといっている。 木の実をおいしく焼くには籠の周りに土を塗って焚火に入れると上手に仕上がる。中華にもこんな料理あるよな。(笑) 肉や魚を蓮の葉に包み、周りに粘土を塗って火に入れると美味しく蒸し焼きになる。 最後にカチカチになった粘土を叩き割って取り出す。古代からの調理法。この延長線上にあるのは(笑) 豆粒文・隆起線文・爪形文・円孔文・多縄文土器は日中両国から見つかるので、人々がたいへんな移動速度で列島まで来たことがわかる。 ③狩猟具の発達(挿絵) 槍が発明され、やがて投てき具(アトラトル)が発明され、弓に進化したという考えです。 ④弓の発明 弓は動きの速い小動物向きの狩猟具。一瞬で急所を貫かなければ逃げられる。 もし、逃げられたら、後を追い続けなければならないからたいへん。 銃猟のマタギでも狩猟は難しい。弓矢は到達距離も短く、破壊力も小さいので高度な技術が必要でした。 中型獣は追い込んで槍・弓で仕留めるか、落とし穴やワナで捕獲するのでしょうね。 弓ってどうやって発明されたのかなぁ。やっぱ音の出る楽器としてつくられてから、応用・発達したのかなあ。(笑) 宮廷楽器に弓がある。弓はキリの回転道具としても用いられ、火おこし道具など、多用途な道具です。 ⑤台湾では旧石器時代は3万年前~7千年前まで。新石器時代は7千年前~2千5百年前までです。 理由は土器土器製作開始が分かれ目です。 |
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十日町市 笹山遺跡出土約4500年前 |
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展示物は十日町市 笹山遺跡出土約4500年前のものです。 火焔土器の中心地、新潟県長岡市の馬高遺跡では5千年前が火焔土器製作のピークで、 4500年前には十三稲場式土器という刺突文土器になっています。 きっと、十日町市周辺ではまだ、環境の変化が少なかったのでしょうね。 |
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06配石遺構 |
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葬送儀礼 とむらう という気持ちをそのまま表現した絵ですが。イスラエルのスフール洞窟前から発掘された埋葬遺跡にも共通する、 ついこの間まであった野辺の送り、と基本的に同じですね。儀礼を貫く精神は変わっていないようです。 |
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07祈りと祭り |
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08装飾と服飾
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09豪雪地の縄文のくらし 笹山遺跡 雪に埋もれないよう、煙出しがふさがれて窒息しないよう、住居の外観は高く工夫されている。 |
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10縄文の狩猟道具 |
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11弥生時代の機織りと暮らし |
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12復元された遺構 |
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私のホームページはいつも独断と偏見と、誤解と誤謬に満ちている。素人だからでたらめだ。 博物館も古くなると、昔の常識は間違いが見つかって変更しなければ、突っ込まれる。 産業が極端に衰退して税収の減った十日町市の博物館にそれを求めるのは随分酷な話だと思います。 冬の除雪費など何十億ものお金を無駄に捨てなければならないのだから。ま、しょうがないよね。 |