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 縄文を旅する1  中部地方3 火焔街道を行く2  2013.05.21(火) & 06.08(土)

  馬高縄文館  新潟県長岡市関原町1-3060-1 0258-46-0601月休撮影可

     火焔土器は縄文中期の中越地方の代表的土器。馬高遺跡は標準遺跡とされ、正式名を馬高式土器。
     この意味で馬高縄文館の存在は重要である。

交通 JR長岡駅大手口より柏崎行き 関原南下車徒歩5分
新潟県立歴史博物館から徒歩10分
見所 火炎土器の専門展示館である。





馬高縄文館は火焔街道の出発点
01入口展示
02縄文の基礎知識
03火焔土器の特徴
04火焔土器


04火焔土器の成立
07火焔土器と信仰
09火焔土器から三十稲場型土器へ
 


   馬高縄文館 火焔街道の出発点
                          
   ①馬高 及び ②三十稲場遺跡出土の 火焔土器の展示に特化した博物館です。

   ①馬高遺跡は縄文中期 5000年前 の信濃川流域に栄えた大規模集落です。
    交通の便がよく、また、夏は鮎、秋は鮭が獲れ、生活しやすいところでした。 火焔土器製作の中心地でした。
    ※大きな河川辺ではツツガムシ病風土病があります。現在でも感染するとほぼ死にます。

   ②三十稲場遺跡 は、縄文中期後半から後期 4500年前の活動。
    馬高集落から移動して形成された村の遺跡です。

    信濃川の氾濫原として形成されたこの地方では珍しい、粘土を産出し、また、玉器製造の生業をもつ村でした。
    しかし、火焔土器は作られなくなり、  三十稲場型土器という、刺突文土器製作の中心でした。


   ・このページでは、火焔土器の成立と消長についてだけ紹介します。
    方法は、来館者がほぼ読むことのない展示パネルをつかっておこない、
    これを通じてこの館のよさを知っていただきたいと思います。

     言葉が曖昧で火焔土器も火炎型土器も区別していません。王冠型土器についても同じです。すみません

 

  01入口展示

入口展示発見第一号の火焔土器と、6種類を展示  火焔土器の典型火焔型A式1号
発見者 近藤篤三郎
馬高遺跡の火炎土器 火焔型土器
 王冠型土器  浅鉢形火焔土器


  02縄文の基礎知識

縄文年表(1.45M)
火焔土器の消長を理解するのに最適です。DLして使用
信濃川流域の時期別遺跡数 DLして使用1M 火焔土器発生の背景(フラッシュムービー)

 03火焔土器の特徴
火焔土器の特徴フラッシュムービー 火焔型土器の特徴 王冠型土器の特徴 実用土器の割合
D群無装飾土器が最多でA群火焔・王冠土器は最小
出土土器割合 装飾的火焔土器
A,B群名前は全て火焔土器
装飾的火焔土器
C群
非装飾的火焔土器
D群名前は全て火焔土

 04火焔土器
火焔土器 王冠系土器 中部部高地系土器 東北系土器台付鉢 北陸系土器台付鉢 王冠系土器
王冠土器 火焔土器 王冠系土器 王冠系土器 王冠系土器 火焔C群土器 初期火焔土器

  04火焔土器の成立
火焔土器の成立 火焔土器の誕生 火焔土器の誕生解説 火焔土器周辺の土器 火焔土器の周辺土器
解説
火焔土器以前の土器
火焔土器の変遷 関東系土器勝坂  北陸系新保新崎土器  東北系土器大木7b式  東北系土器7b 火焔土器以前の土器
初期段階火焔土器   古段階火焔土器 古段階王冠土器   新段階王冠土器 

  07火焔土器と信仰
火焔土器の分布火焔土器に祭祀用の痕跡はなく一般土器と同じ 煮炊に使用 火焔土器の作り方 第二の道具 土偶 ミス馬高 不思議な石棒磨石になっている 玉・耳飾り
装飾品玉器は貧富や階層のあった証拠 石棒 赤熱した石棒で何をしたのか想像したくないですね 土偶 南方文化は土偶を壊し北方は壊さない 三角土版 三角形にどんな思い入れや快感があったのか ミス馬高の胸の模様は、顔と同じ刺青か。
体の刺青は魔除けや、海人のサメよけなど

  09火焔土器から三十稲場型土器へ縄文後期(寒冷化による人口減少)

馬高から三十稲葉へ 火焔土器から五百年
突如始まった玉作り
 一斉に火焔土器作りをやめ、刺突文土器に大転換しました。同じ系統の人々です 注口付き浅鉢
東北地方大木10式土器周辺から持ち込まれた完成度の高いもの
刺突文 縄文後期 三十稲葉型土器は
刺突文で蓋付壷型です
縄文中期終末の土器 三十稲場直前土器
縄文後期
三十稲場式土器
縄文後期
玉器縄文後期には貧富の差や権力者が生まれ、副葬品にも格差発生 南方系神話に基づく五穀の神などの信仰によって豊穣を祈る土偶が作られた。