吉野ヶ里歴史公園マップ
吉野ヶ里公園詳細地図 |
歴史公園センター入口
憧れの吉野ヶ里遺跡縄文・弥生時代の吉野ヶ里は海に近く、海上交通が便利でした。 |
吉野ヶ里遺跡展示室
弥生以前の吉野ヶ里孔列文土器は弥生時代初期の南朝鮮の土器
阿高系土器は九州南部に分布する縄文土器です |
弥生時代の特徴を見る少量の南朝鮮土器が出土後、大量の最先端土器が出土する。
最初iに来た渡来人が、更に大量の武力集団を連れてきたことがわかる。 |
弥生という戦争の時代
朝鮮式武器と鋳型
渡来人は金属器で武装し、
縄文人は石器で戦った。
初期甕棺の無残な人骨は、初期征服戦争の困難さを物語っている。 |
甕棺墓誰でも異郷の地、未開地に死にたくない。いつかは故郷に。当初は洗骨後の入れ物だった甕に、葬られたかったかもしれない。 |
弥生文化とは 何世代か過ぎて支配者となり、未開地に朝鮮文化を咲かせた。しかし、馬具の出土は不安な予感。植物繊維は麻やカラムシです。 |
奈良時代弥生後期に出土した馬具。
金属製武器で時代を開いたように、次の変革と混乱の時代を暗示するかのようだ。
吉野ヶ里は古墳時代初期に消滅 |
中世の吉野ヶ里
鎌倉~南北朝
中心都市吉野ヶ里に古墳が三基。奈良時代に役所や寺院が。中世にも寺院が。その後は忘れ去られた。 |
弥生人の食べ物 豊かな自然の中でしか味わえないものばかりです。
01 02 03 |
南内郭 01 02
発掘時大量の武器が出土した為に王の居所と判断。 |
北内郭 01
祭祀の遺物が出土し、祭祀場とされた。司祭巫女・祈祷師・呪術師。今も韓国で盛ん |
甕棺墓列 墓地大王に仕えた高級武人達の名誉の墓地でしょう |
北墳丘墓 墓道 御柱 祀堂 弥生=朝鮮の祭祀文化は古墳時代も同じ半島系です。 |
中のムラ
祭祀用品作る職人のムラ
今もこの種の職人は別格 |
倉と市(交易)
物々交換では何かのレートがあったのでしょう。
奴隷から半島の物品まで交易したのでしょう。 |
南のムラ
農具の出土により農業者の居所とされる。 |
金印
倭の小国が渇望した大国の庇護の属国の証
金印受領の記録は三つほどあったと思う |
内郭とは
周囲を囲む柵を外郭。
その内側で、さらに柵で囲む区域をさす。
云わば、特別警戒区域
植生について
吉野ヶ里歴史公園では
すべての植物が古代植物に植え換えられています。
公園職員は現代植物を雑草。古代植物を有用植物として草取りしています。 |
弥生と神社神道
神道は稲作農耕の神です。
伊勢神宮の神殿は、弥生時代の高床式稲倉だと聞いたが、真実は、最高司祭者の高床式住居ですね。
で、それでよいのです。
神社神道の神は弥生と同じ祖霊信仰ですから、祖霊の住んでいたのは高床式建物だからです。
神道は朝鮮の土俗信仰と同じ。後に山口県長府の忌宮神社でもそう聞きました。 |