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 国立台湾史前文化博物館卑南文化公園   台東県台東市豊田里博物館路1号 (089)381166  2012.12.02

     台湾最大の考古遺跡、卑南遺跡(Peinan)周辺に作られた博物館で、 膨大な台湾先史時代の遺物を展示しています。
    台湾先史時代研究に欠かせない博物館です。



     【行き方】 台東市まで、列車800元4時間 飛行機2800:元50分 市内・空港・駅からはタクシー移動tが便利です。
           市内には1000元の清潔なホテルが多数。日本料理店もある。東海岸バスツアー(海線・山線)の出発点。

     【博物館】 日本語スタッフや日本語ガイドレシーバーも完備。


    注 写真をクリックするとフォトフラッシュ(ver.10)が開きますページの下に、↓こんな表示があったら、↓許可を押して下さい。
       
         無料フラッシュはAdobe Flash Playerで入手できます。 

    注: Wikipediaをはじめとするネット上の論文の中には「今から何年前B.P.」「紀元前B.C.」とを混同しているものが多数あります。
      従って、ここでは台湾国内の記述ルールに従って,すべて、「今から何年前」表記に統一しています。
  

臺灣史前文化博物館
多地域進化説ポスター  多地域進化説
   人類はアフリカ単一起源説が通説だが、嘗ては、原人が各地で独自発達したと考えられていた。
   中国では今でも、北京原人から独自発達したと教育している。台湾でも同様にしている。

   写真は、第一期アウストラロピテクスの、第二期北京原人の、第三期現代中国人の各段階を表す、
   証拠のポスターだそうだ。   とんだところにナショナリズムである。

   参考
台湾先史時代年表 もっとよくわかる元ネタ01 02 04  05


 旧石器時代 晩期 30000~7000年前 打製石器 無土器
  台湾東部海食洞穴の八仙洞長濱文化。苗粟県山中の網形文化
 台南市山中の河床で発見された左鎮人などがある。
  年代測定はいずれも日本の大学と共同研究で正確である。

 新石器時代 早期 7000~4500年前 磨製石器 有土器 根茎類作物
  完新世の最温暖時期
 大陸から稲作栽培の河姆渡文化(7000~6500年前)特徴を持つ
 北方系の人々が流入し、全土に広がって大坌坑文化を形成
  東部、長濱文化の旧石器人は彼らとその後2000年間混在した。

 新石器時代 中期 4500~3500年前 航海術 磨製石器
  地球が急速に寒冷化しエジプト古王朝、メソポタミア文明など崩壊。
 食糧争奪戦に負けた人々の移動が始まる。インドシナ半島付近から
 大陸南部の山奥や、台湾島に南方系遺伝子を持ってやってきた。
  隔絶した台湾と中国の少数民族の言語や習慣が似る理由である。
   牛罵頭文化 牛稠子文化など 東部繩紋紅陶文化

  この背景により、戦闘的で猜疑心が強く孤立的な集団が形成される。
 狭い台湾で言語も分化し、相互に首狩りをしながら階級社会を築いた。
 この南島語族の流入によって大坌坑人と長濱の旧石器人は絶滅した。

  一方、南島語族海洋民族であり太平洋・インド洋に進出して
 移住交易を盛んに行う、活発な民族でもあった。


 年表の4000~3000年前の緩慢な文化層の変化は、寒冷化が終わり
   新しい農業文化が広がって、新石器時代晩期文化に移行した。

 新石器時代 晩期 3500~2000年前 芝山岩 圓山文化など穀類農業
  常に大陸文化の影響を受けながら、台湾各地に1000~2000年も
  続く新石器文化が栄えた。

 金属器時代    2000~400年前  十三行 番仔園 靜浦文化など
  大陸が戦国時代に入ると金属器が急速に拡散し、ほぼ同時期に
 台湾北部にやってきた大陸人によって金属器の製造が始まった。
 鉄製武器により台湾旧文化は消滅し、鉄を製造する文化層に置換。

 歴史時代 400年前~ ヨーロッパ人の渡来により歴史時代に突入。

 台湾 旧石器時代 晩期 30000~7000年前 約7000年前頃寒冷期のピークとなる。
                                      新石器人の移動・流入によって、台湾旧石器人は滅亡した。
  左鎮人頭骨
 台南県左鎮郷の川床で発見された人類の右頭頂骨と左頭頂骨である。

 網形文化
 苗粟県の紅土台地で旧石器時代の打製石器が発見された。長濱文化の物と異なるので網形文化と名付けた。

  
 長濱文化
 30000~5000年前 台東の旧石器人は2000年間新石器人と共存した


 台湾東部海岸の八仙洞に居住した旧石器人です。

 長濱文化生業
 狩猟・採集・漁労生活。
 骨器・打製石器を使用。無土器。

 長濱・網形・左鎮は全て同一集団と考えられている。
台湾 新石器時代 早期

 大坌坑文化
 7000年前~4700年前
 地球寒冷化で、大陸から移動して来た人々は、
 稲作発祥の河姆渡文化の土器を作り、使う、北方系民族が流入し全島に広く分布し、文化を展開した。

有土器・磨製石器・農耕文化。炭化籾が出土台南では多量の人骨と共に、農耕の痕跡を発掘中との事。
  細縄紋陶文化は粘土の茶碗を二つ合わせて接着し上部を切って口を付けて作る。フィジー、ビチレブ島ポートゥリー村では今でも作成中。
 大坌坑文化晩期の土器。後の牛罵頭・牛稠子文化に引き継がれる。事前に粗縄紋陶文化もあった。大陸技術の伝播。

大坌坑文化の絶滅
 5000年前地球の寒冷が始まり約2000年間続いた。 エジプト古王朝やメソポタミア文明大打撃を与えた。

 人類の大移動が発生し、台湾にはインドシナ半島から、磨製石器や高い航海術、首狩りの習慣を持つ南島語族が流入した。台湾原住民の祖先である。

 彼らは高い航海術を持ち、インドシナ半島や
インドネシア、インドなどまで航海していたとされる。その後ラピタ人となった。

  台湾 新石器時代 晩期
古台北湖周辺の遺跡かつて台北盆地は古台北湖で、周囲に古代文化がいくつも栄えた。圓山文化・芝山岩文化 台湾古代陶器の装飾文様大陸で出現した技法や装飾が連動して台湾に伝わることから、緊密な往来と交易があった 陶器焼成技術
黒陶と紅陶
初期黒陶は低音焼成で煤塗り。後に還元焼き・燻焼
高温で酸化焼きした紅陶
新石器人と海洋
海産物の利用
海洋民は漁労が得意だが旧石器人は海岸に住んでどうやって魚を捕ったのか
海洋交易
新石器時代の海上交通
フィリピン・ベトナムなど広範囲の交易を行っていた
卑南遺跡の卑南文化
広大な地域に数千の墓が重なり合っている。金属武器の伝播で消滅した。
巨石文化と祭祀東部海岸山脈や花東縱谷地区に発展。麒麟文化、長光遺跡 発掘現場を再現台湾では人骨が出土する。日本は酸性土壌で溶けてしまう 祭祀と甕棺葬東部から交易路で広く伝播。ベトナムでは甕から卑南の耳飾が出た。吉野ヶ里の甕棺とは異なる形状だが。 石器と玉器匙形石斧と靴形石斧とも言われるが。にわかに信じられない。何に使ったのか。
台湾 金属器時代
 
(鉄器時代) 2000~400年前

金属器時代の始まり
 鉄製武器により、台湾島の旧文化は消滅。文化が一新された。
 殷は5000年前青銅製武器で成立した。
しかし、金属器は貴重品で、2000年前の戦国時代にやっと一般化した。

台湾島へは
 大陸人が台湾北部で鉄を作りはじめ、
 青銅器、鉄器が伝わった。

 製法はたたら製法で、砂鉄などを還元させて鋼を得る方法でした。
 鉄を溶かして得るのは近代製鉄になってからです。 
 
 
台湾考古重要発見
犬はペット・狩猟手段・食糧だったのに、丁寧な埋葬は何を意味するのだろうか。
オリンピックを開催するまでは韓国でも中国でも犬を食べていました。
   台湾原住民の風俗  五千年前にやってきた、
 台湾原住民の美しい文化を
 スライドショーでご覧ください。
卑南文化公園  
    発掘現場
名称 國立臺灣史前文化博物館
     -卑南文化公園
 台湾史前博物館の分館です。チケットを見せれば入れます。

 広大な地域に埋蔵する卑南文化人の住居と墓地が数千ともいわれる折り重なった貴重な発掘現場が見学できます。

 発掘現場は無料で見学できます。
卑南文化公園
   展示館


館内には卑南文化や、台湾先史時代の貴重な資料が見学できます。
 日本の博物館や大学では隠してしまって見せないものばかりです。

 しかも、撮影自由ですから、貴重な情報が得られます。
 素晴らしいですね。
 
  卑南文化公園は台湾史前文化博物館から離れています。
 タクシー移動が基本です。

 タクシーは必ずぼられますし、文化公園内でもでたらめなところへ乗り込んで降ろします。
 そのことは肝に銘じてください。

  貴重な発掘現場や、日本では見られない資料が展示されています。
 見てよかったと感動しますが、タクシーの問題さえなければ最高です。(笑)

          これは、
 史前文化博物館の展示物です。
年表の中に、本物(含レプリカ)の遺物を掲示してとても分かりやすいです。

 私もさんざん参考にしました。
 暗かったので写真は粗くなっていますが
 おもしろいです。 
実物歴史年表
おもしろいから一度見てください