門前町のうち、
おはらい町は本来の門前町。
おかげ横丁はテーマパークです。

 伊勢観光そのものが変質し
テーマパークが林立しています。
伊勢神宮周辺以外の地盤沈下は著しく
不景気の嵐が吹いています。

 信仰よりも観光客集めが先だというのは
わからない話ではありません。
 観光客で賑わう門前町
 


  門前町は
   おかげ横丁と おはらい町
  名付けられました。

  某企業が中心となって町のリニューアルに
  取り組んだそうです。

   古来からのおはらい町も、新しく作られた
  おかげ横丁も、素晴らしい町並みが
  できました。

   何百年の町並みを改築して統一し、
  現代的な新古典的な雰囲気を
  作り出しています。

   古いものそのままではなく新しくアレンジ
  することで、
  町並みも楽しめる観光地になりました。
   賓日館は明治20年完成皇族の宿泊施設
 狭い二見浦海岸によくこれだけの土地を確保
 できたものだと思います。<br>

  しかし、あまりに民間に近いため警備不能。
 そのために、管理を移管したのでしょう。

  明治建築は、細い柱と見通しの良い
 開放的な外観。<br>

  地方に行くと明治以降の成金家屋の建築は
 これにそっくりです。私の地方では、<br>
 昭和30年代に入ってからもこの様式の家屋が
 建てられていました。

  きっと、最後の日本独特の建築様式でしょう。

  台湾ではこのような日本建築が各所にあり、
 排日運動で破壊された後に再建・修復され
 これぞ";にっぽん";として親しまれていました。

  とてもありがたいことだと感じました。

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  伊勢神宮                                                       2012.05.21-22
          古代、弥生時代の稲作の神を奉じた神社です。社殿は当時最も大事だった稲倉の形をしています。 渡来の民が持ってきた渡来の神様です。
          本来は、皇族・貴族など支配者の信仰する神です。
          しかし、縄文の信仰、巨石や滝などの自然崇拝が、神話や、新しい信仰形態(仏教や神社信仰)に組み込まれながら、熊野各地に残っています。

          ところで、弥生の支配者は、古墳時代の渡来人に征服され取って代わりました。ではなぜ新支配者が旧支配者の神を奉じているのでしょう。
          このときの第一次大和政権を、日向から来た部族が滅ぼし第二次大和政権を打ち立てました。これが現在の王権です。
          彼らは第二次東征時、船で紀伊半島東部から侵攻し勝利しました。 このときの上陸地点が伊勢でした。伊勢信仰の云われ。

          第一次政権は東北地方に逃れ現在も続いていますが、その神社の秘密の祝詞は第二次政権と全く同じだそうです。それもふくめてなぜ?
          花の巌伝説の神話に通じる、被征服者を奉じる意味とは。古代出雲大社信仰も同じように被征服者を奉じています。
          伊勢信仰・出雲信仰とは何なのか、いつかは調べてみたい古代ロマンです。
          
 旅のダイジェスト
金環日食2012.5.21天気予報に惑わされ観測失敗でした 賓日館美しい明治建築をみました 二見浦年に数回のしめ縄の締め直しを見た 神宮会館神宮経営の宿に泊まれました 伊勢神宮 内宮早朝の静謐さを見に出かけました おはらい町早朝五時からもう赤福を作ってました 神宮バラ園神宮になぜか美しいバラ園がありました

  二見浦 (ふたみがうら) 夫婦岩しか知らなかったけれど、いろいろなものがあるんですね。
JR伊勢市駅JR多気乗り換えで
伊勢参宮線に入る
二見浦駅ふたみのうら二見ヶ浦観光の便利な足はJR線でした 特徴的な伊勢の建築家屋全体が板張りの何となく陰気な感じのする 建築様式の構造は、粗壁に板を打ち付け、押さえに桟を打っていた。 家屋全身鎧兜のような外装は、いかに風雨が強いかの証です。 伊勢安土桃山文化村
ちよんまげワールド
 
 賓日館  台湾の日本建築はここと同じ明治の日本建築。旅館建築と言うべきか。実家に帰ったような懐かしさを感じました。

  二見興玉神社     夫婦岩の沖合700mに沈む興玉神石という猿田彦神の化身という興玉石を奉じる神社。
               従って、夫婦岩は興玉石を拝む目印となるものでした。
               そこで後に注連縄を渡して入り口とし、鳥居の代わりとしたのです。

               私が興味を持ったのは、その石は地殻変動によって沈んだため夫婦岩を目印に遙拝したのか、
               猿田彦の尊が底に沈められたのでその場所を御神体としたのだろうか。です。

               この付近は多島海。地殻変動で沈み込んでいます。伊勢湾は鈴鹿山地方向へ沈んでいます。
               正解は前者かな。笑い
 
注連縄の締め付け年に四回ほどゆるみ直しをするそうです。 巫女さんも近隣の土産物屋さんも無関心でした 注連縄の張り替えは5/5と9/5の二回だそう
  門前町

  神宮会館
         早朝の内宮に参拝しようと伊勢神宮の宿泊施設を利用しました。
        伊勢神宮に最も近く、料金も安く、格調も高いイイところでした。皆さんにもお勧めします。
 
伊勢駅前内宮行きバス会館前下車。伊勢神宮中心の町 全ての上に伊勢神宮があることを強く印象づけられます。 和室バストイレ共用でも乱れないし汚れない。風呂は源泉温度。ぬるい 夕食は伊勢エビコース久しぶりに和食メニューに預かりました。 食事付き宿泊料金が一万円以下と記憶。朝食は常に抜き。肥満対策 相可高校の卒業生が作っているのかなと想像しながら
伊勢エビは一尾使用おいしく頂きました。 巨大な貝 ウニご飯でした
展示コーナー式年遷宮が来年に迫り 緊張感がありました 現在使用のかわらけ弥生式土器が生きていました 江戸時代の包丁式の道具に舞錐という火興し道具 神明造りの社殿弥生時代の建築様式
 
 伊勢神宮 内宮                       2012.05.22
              式年遷宮(決まった年に宮を移す)で二十年に一度社殿を建て替えます。
             それが来年です。しかし、本殿だけではなく、何十とある社殿の全てを立て替えます。


参拝は午前5時より 五十鈴川 時告げ鳥本物が放し飼いに 神話で重要な意味を持つ4c〜5c渡来 五十鈴川身を清めるところ
立て替え工事中の内宮 現 内宮 以前はもっと中まで見えていた 几帳が邪魔です 立て替え中この中で新社が作られています
社殿の原型 穀物倉茅葺きです 右側に立て替えられます。 社殿が少しずつ進化しているでしょ 拝殿付きに進化 外観が進化しています 柱はまだ、掘っ立て柱です 檜皮葺で金板で装飾されています
板屋根板葺きで奈良時代くらいに進化 安土桃山時代の建築の臭いがします
近代の建築  私には信仰はわからないです。
 ただ、素人目には社殿の建築様式の違いが、時代の変遷に見えました。
 次々建て増しされた社殿がその時々の建築様式で作られ、立て替え保存され続けていることが興味深い。  2000年の歴史が詰まったところですからきっと何度も来ればもっといろんなことに気付くのでしょう。 大変おもしろかったです。
 
 早朝の門前町
              朝の五時から赤福が店を開いていました。二人の若いお嬢さんが作っていたので申し訳なくて、作りたてを沢山買いました。

 
 神宮バラ園 如雪園 と言います
            大変美しい時期に見せて頂きました。

  帰路 
近鉄宇治山田駅関西へはここから近鉄に乗るのが最も近い。 名古屋へ出ると大回り。名古屋ボストン美術館に行きたかったが 疲労困憊で予定変更。しかし、驚きは近鉄に乗ると 安い運賃で快適に、あっという間に大阪環状線に到達しました。 都市交通の便利さ早さに感服しました。