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台湾 台北周辺ロケ地を巡る旅B   日本語題名 「台北24時

  台北観光 基隆で和定食を食べた後、台北に移動しました。 大都市を少しだけ観光します。         2011.07.26〜27
  基隆から台北へ 台鐵に乗車 台鐵東部幹線(台北←→瑞芳)は便数僅少 台北基隆間は多い                   
基隆発台北行き 車掌章 台北駅台鐵・高鐵・鉄道都市交通のMRTやMETROが乗り入れている。 只今建設中の桃園空港高架鉄道も繋がる予定(2013開業予定) 地上六階地下二階、ただしコンコースは六階まで吹き抜け 日本の駅より薄暗い。天井がないのは工事中か空調のためか?
大切なお話最近台北駅では
困ったことに
九分に行きたい日本人太魯閣号誤乗車するので 駅弁売り場日本語アナウンスが始まったそうです 台北駅外観皆さんもよくお気をつけ下さい。 台北駅南側 駐停車禁止の印
大都会台北は
原題「台北異想
邦題台北24時」の舞台です。
この短編集映画の二番目のストーリー。「小さな恋人たちのプチ家出」を特に取り上げます。 まず、映画に登場する「大都会客運」というバスが本当に走っていることに驚いた。 映画では車中で寝てしまって家出に失敗する他愛のない子供たちが登場するのだ。  台北のホテルは通訳任せ。駅近で安くて便利なので選んでくれた宿。
 二階がゲームセンター。三階がラブホで四階ビジネスホテル。 四階に宿泊。しかし、
エレベータを使う度に、映画のヒロインと同年代の子供が客と三階から乗り込んで二階で降りる。映画の続きを見ているような光景だった。

   (ロンシャンスーとボーピーリャウ)                        2011.07.27
    龍山寺(りゅうざんじ)は正式名(もんがろんしゃんすー)といいます。

    龍山寺は台北最古の寺院です。 住所 台北 市萬華区廣州街211号

   =MONGA=萬華文甲   MONGAもんが は地名の萬華区のことです。

     MONGAの本来の意味は以前この地を支配していたケタガランの言葉で丸木船を意味し、
     昔ここは船で往来する湿地であり、船が着く所、港、交通の要所 だったことを表しています。

   1600年代スペイン人による台北の開拓、つまり砦の建設、紅毛城建設、はここからから始められました。
     その労働力としてやって来たのは福建人で、福建省の寺院龍山寺の分支としてこの寺院が建立された。

   日本語題名 「モンガに散る」 原題
出勤前に朝市で朝食
龍山寺前出店熱帯地域では三食外食が基本だそうです。
台湾製バイク高温多雨で、室内で火を使うと熱が籠もるから調理しないそうだ。 龍山寺台湾第一の古刹。台湾二級国家古蹟。寺は萬華を通る品物に5%の茗荷金を取っていた。 台湾ヤクザの元締めが龍山寺だったのだ。現在も治安が悪い理由はこの寺にあります。怖い話です。 超有名観光スポットです。台北を取材した番組には必ず登場します。 近年の修復と、信心深い台湾人気質で日本のような古色の寺院ではありません
到着して間もなく朝のお勤め(勤行)が始まるところでした。在家の信者さんも布法をまとう。 とても短いお経でした。台湾に多種の宗教があるようです。通訳さんに有名な半月板の占いを お願いしたが断られました。ここの宗教には無関心でした。クリスチャンの様でした。 萬華区行政中心歴史地区に高層建築。10m以上の噴水が有名 地下鉄龍山寺駅
四番出口大きな駅で、一つの出口がこの大きさです
サラリーマンが食べた後は地域の老人や、お寺に参拝に来ていた人が朝食の番です。
雨の日はみんなどうするのだろうと思う。 日本と食習慣が違い、食べかすを路上に捨てるのが韓国台湾の常識 剥皮寮歴史街区ここは清朝から続く老街で長い歴史があり 大変な繁華街ですが、一方で台湾黒社会の巣窟でもありました。 映画「モンガに散る」は台湾黒社会を描いたやくざ映画です。 現実にこの地域で起こったことをそのままテーマにしたものですね。
龍山寺地域は夜市もありますが、現在も黒社会関係の店が多く、風俗店等が多い。 現在も女性の一人歩き厳禁。男性も要複数行動の危険地域です。犯罪多発地帯 剥皮というのは人間をひどい目に遭わせるところという意味でしょう。 こんな所を台北市教育委員会が復元修理して新しい観光地とした意図も理解できる。 日本でも最大の広域暴力団の本拠地では、現在もそれがらみの殺人銃撃が頻発
←台湾映画MONGAのポスターです(掲示場所は教育委員会内)考えられへん!! 我が通訳さんが早朝に案内した理由がよくわかりました。 夜は台湾人でも危険と判断する地域でした。ただし、通訳さんは黙っていたけれど 台北市郷土教育中心台湾で言う風俗店ってわかるよね。男性の読者さん

1998年台北市長の馬英九氏は公娼制度を全廃しました。
しかし、日本も世界も援交も売春も根絶するのは大変なことです。 台北市立老松国民小学小学校に温水プールがあるのが凄い。しかも、熱帯だのに。 学校周辺の景観。古いアパートが多い。 台北私立老松国民小学歴史的景観地区だけあって素晴らしいデザインです 日本時代に建設し修復。重厚感ある建物で、教育に注ぐ力が全く違うとわかる。↓
郵便局台湾の郵便局は緑色。日本は赤だが、最近制服の色も次第に変化。 台湾製スクータ
  台湾のスクータの数はすさまじい。
 どこに行っても街中をひしめき合って走っている。歩道は全て駐輪場になり、ぎっしり並んでいる。
 恐ろしいスクーターの数。これは全て台湾製。 排気量は125ccのでっかいバイクである。
 老若男女全てがこれに乗っているのだ。
 価格は30〜50万円と随分高額である。
ベトナムを走る日本製スーパーカブの中古品とは大いに違う。
 しかも、かっこいい。
 国際貿易協定により禁止されていた150cc以上のバイクの製造が許可され、現在250ccバイクも増加。
街中で見かけるのは安全便利なスクータがほとんどです。 ↓ 日本と違い台湾韓国中国では英語教育に熱心。台湾では特に美日語(英日)が盛ん。若い人でも日本語が話せる。DVDを我々はディブィディと呼ぶが台湾ではディヴィディとおばあさんまで正しく発音する。

 台湾 歴史的建造物                             2011.07.27
通勤風景 大砲が並んでる風景路線バスの走る道路に野砲がなぜって仰天したんだけれど 国軍歴史文物館 台湾一IQが高い学校 現:中華民国総統府
日本時代:台湾総督
中正紀念堂旧日本軍の連隊駐屯地跡地に1975から
5年間かけて作られた蒋介石の墓所。
衛兵の交代式で有名であります。敬礼!
が、まぁ、蒋介石の親戚の方は参拝に行かれたらいい。 中正紀念堂いろいろな建物が沢山あって楽しいかもしれません
台湾の夏休みは二ヶ月もありその間の児童の管理が大変です
鉄腕アトム展何故こんな所にアトムが  日本の鉄腕アトム展が開催されていました。しかし、広大な敷地に少ないバス停。敷地内での車移動は出来ません。 
つまり、広大な内部ではこの暑いのに移動は徒歩のみ。
 ちょっと困りますよね。

北京の天安門広場みたいですが、ここは南の島。暑いから歩くのも大変。またここは歴史的な事件の舞台にもなりました。

 台北101 高さ509.4m地上101階地下5階2004年から8年までの完成当時世界一の高層建築物でした。 2011.07.27
              正式名称は台北国際金融センター。建設会社は日本の熊谷組。  台北市信義路五段7号
              台湾の観光名所であると共に、台湾経済の力強さを象徴するものの一つです。 もう一つは台湾新幹線ですね。
台湾の建物は独特で強い違和感がありました。 エアコンの室外機が道路に面した高層階の外に出ていたり 景観の統一性がなく競って奇抜な建物が建てられています まだ見慣れていない私は次第に不快に この辺りに来ると一般的なオフイス街の風景。ほっとします。
ハイアットHOTEL
台北101正面入り口
101の両側に付属のビルがあり
タクシー降車場は中央の101正面に到着します 設計イメージは台湾に多くある孟宗だそうです 確かに安定感のある特殊なガラスで覆われたビルです 地震が多く軟弱地盤を克服しての建設です 景観台こちらが見学棟
右:景観台 ショッピング棟
左:オフイス棟
台北101
ショッピングモール
綺麗に清掃されています。絵になりますね。 長いエスカレータ一本だけで随分登りました。ここは五階です。 いい眺めでした
景観台ビルは遊び心いっぱいの設計 豪華な空間を演出しています。空調費大変そう 中国大陸からやってきた団体客 私達個人入場が開始されました。 入場料を支払って まばらな列に並んで
宋三こんな所にの肖像が 通訳さんはこの肖像を見ると感動して 誰かわかる?早く写真を撮りなさいと、なぜか大興奮 台湾人にとっては大切な人々なのでしょう
高速エレベーター東芝製高速エレベーターは分速1010m。つぎ目のないレール駆動 入り口階5階から展望階89階まで34秒で到達する。硬貨を立てても倒れない。 エレベーターがスタートすると天井に星空が投影され音楽が流れる。 魅惑的なエレベーターガールの声が流れた瞬間、 ほぼビューッという耳が圧迫される感覚と僅かなGを感じ、 続いてすぐにフワーッとGが抜ける感覚が伝わってきます。すると展望階です。
まるで未来の乗り物のように高速移動しながらも Gも揺れも投てき感もない。コンピュータで計算された加速と減速。 それに加えて垂直に500mのガイドレールを真っ直ぐにつなぐ、正確な手作業。 日本の技術の高さに驚きます。 展望階では無料の施設案内レシーバを借りました。日本語です。 台北の開拓は1627スペイン海軍がサントドミンゴ城の建設開始から。
台北盆地はもと湖で長年の土砂の流入により沼地となり当時もまだ湿地だった。 当時この地を支配していたのはケタガラン族で国家を形成していた。 城郭建設に動員されたのは福建人。ケタガラン族はこれと交流通婚し漢人化した。 平地原住民を平埔族。山地原住民を高山族などあまり意味のない分け方もあった。 蘭嶼タオ族の船舳先の高さまでの波に耐えられる外洋航海用の優れもの。 タオ族は800年前フィリピンのバタン島より移住。他の原住民と風習も異なる
宝石売り場日本語可。ここのテナント料は台北一。 高価な土産を大陸からの成金観光客がどんどん買っていました ←桃色珊瑚に見えるが実は玉(ぎょく)です。珊瑚より高価ですよ 台北近隣には活火山群があり活動中 大変人口過密な大都市です
戸外観景台展望階の上階90階へでる。天候により閉鎖も どこのおばさんでしょう。こちらのカメラを見てる 東京タワー先端より高い所から外に出てる不安感 更にその上の階がまだまだ11階分の建物が続いています。 TMDマスターダンパー
制振装置巨大すぎてカメラに入り切らなかった。
免震装置です。
強風や地震による建物の揺れが起こると、
この巨大な球体は慣性の法則によって建物とは遅れて揺れる。 ために見かけ上逆方向に揺れが生じ、結果、制振装置となる。 マスターダンパーは直径5.5m、重さ660tの鋼板による球体が 直径9cmのケーブル16本で釣り下げられている。 下階に降りようとすると高価な宝石 芸術品が展示されていました。
五階のテナントの間仕切り なんと素晴らしい織物、刺繍でした 高い伝統技術ですね
景観台ビルに露出している台北101の一階部分 いい感じの喫茶。おいしそうなケーキとお茶。ただし、店員は無愛想 何時から?と聞くとまだとしか言わない。大陸中国人が乱暴でこうなるそうです フードコート下の階に降りると土産物店や飲食店が多数ありました。
 台北101の観光用ビルにはフードコートや土産物店が沢山あり、回転寿司を食べました。 味もネタも普通ですが、場所柄値段だけ随分よかった。
支払った通訳さんがすっごく高いとぼやいていました。
 ここでドライフルーツを買いましたが、おしゃれな袋に入って、値段は一般のスーパーと変わりませんでした。  美人の売り子さんの笑顔付き、日本語付きでした。
 このビルのほとんどで日本語が使えます

 台北雑観  台北101観光の後、故宮博物院へ。タクシーは正面に廻らずタクシー乗り場へしか行かない。        2011.07.27
         このため、博物院外観の写真は撮れず。内部は当然撮影禁止。大量の監視員でガード。つまり、失敗でした。
         その情けない道中です。                                  台湾台北市士林区至善路2段221号
地図上では狭い河川ですが実際にはこんなに大きな橋が架かっていました。 この付近には台湾の人口の多くが集中しています 伍角船板ウーチャオチュア有名なアブストラクトの建造物。 現在ではレストランを開設し、台湾全土に支店を持っている 非情に古いカルピスの宣伝に似ていて覚えていました 故宮博物院土産玉石の白菜が有名で、その模造品ストラップがお土産
博物院入り口水は持ち込めない。 博物院喫茶コーナー紅茶を注文しましたが、英国式でなく、ただのお茶でした 帰りのタクシー台北国賓飯店まで高齢の女性乗務員でした。 正直驚きました。その次に乗車したタクシーも女性運転手で このおばあさんの娘のような年齢で、女性乗務員の多さに驚きました。