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与那国島ドライブ〜地上に現れた地質と地形〜     写真と文 まさと

   与那国島は激しい地形変化にさらされているところです。
  狭い島内に断層が3本も走っており、また、島の南側は激しい崩落にさらされており、
  北側も波による琉球石灰岩の激しい浸食を受けています。

   島全体が隆起した断崖で構成されており、低地は断層面境界の沈み込み部分(谷底地形)である。
  西表島。波照間島などと共に得意な地形です。
  
ティンダバナ機内からも空港に降り立ってもすぐ目につく与那国島の象徴。 旅行ガイドのティンダハナティンダハナタなどの記述は誤り。 登山口ここは島人の心の拠り所であるとともに、民話伝承の舞台でもある。 ティンダバナの案内板与那国民俗資料館館長池間苗氏著与那国異聞には興味深い民話伝承が採話されている 登山道問い合わせは空港売店TEL:0980-87-2800
八重山層群と琉球石灰岩の不連続面琉球弧は元シナ陸塊の辺縁で大陸由来の砂岩泥岩が基盤である 上部石灰岩下部堆積岩 石灰岩下部に閉じこめられた巨石をフルートキャストのように眺められる珍しいポイント。恐怖感も 伊波南哲詩碑海抜百メートル地点で波による浸食の痕跡
一万年前の海進の痕跡でしょう
琉球石灰岩何層にも重なった珊瑚礁中に蜂の巣珊瑚が不定の方向に折り重なっている
石灰岩より堆積岩の方が軟らかいためなのか ティンダバナから眺望 祖内集落祖内港sonai
田原川湿地帯taburu押し上げ断層によってできた低湿地帯 横ずれ断層では透水性がよく湿地とならない 崩落した石灰岩巨石や石灰岩の崖はいつ落ちるかしれない 聖地・拝所として民話伝承の地、憩いの場であるとともに 聖地・拝所でもある。独特のシャーマニズム文化が支配する沖縄で
私が訪れた日も三人の白装束の人々が礼拝していた この巨石は泥岩周りの石灰岩が溶ければ、いつの日か突然落ちてくる 崖の崩落の跡、誰も下敷きにならなかったのかな そこには拝所が沢山ありました
拝所は地域・グループに一つあるらしい 石灰岩層を通した湧水
水源でもあるようです
2〜3mの巨石が もう、こんなにせり出して 祖内集落の奥方向。中央の低地と断層崖のもう一つが見える
ティンダバナティンダバナ上の拝所には通行止めで行けなかった 田原川湿地帯taburuティンダバナに続く断崖と小さな島に大きな川 湿地帯もこんなに広い。ヤエヤマヒルギも着生 かつては道の両側に広大な田圃が広がり 田圃年三回の収穫で豊かな
島の経済を支えていた。
断層崖上の台地にも田畑が広がっていた。
現在では耕作放棄地になったりサトウキビが植えられていたりした。 アヤミハビル館
(ヨナグニサン資料館)
アヤミハビルはヨナグニサンの与那国名
与那国町立交流センター(児童教育施設)に併設された資料館のようです 館内ヨナグニサン(与那国蚕)や与那国島の解説資料が展示上映されています
ヨナグニサンは、
インド ネパール 東南アジア 中国 台湾
フィリピン ニューギニア オーストラリアなどに広く分布する蛾で、 希少価値の高価なヤママユの繊維を作ることで有名です。 日本では石垣島以西の石垣島 西表島 与那国島に分布します。 日本は分布の最北限となっています。ネパールは熱帯雨林地域にいるのかも
蝶類は台風によって遠くまで運ばれるので太古に大陸とつながっていた証拠とはなりませんが↓ 与那国島のジオラマ2本の断層が走っているのがよく見えますね。両端に比川と久部良の集落 右中央が比川集落です。断層で挟まれた地帯は牧場や田畑です。新潟県山古志村に似ています 上中央の祖内集落ティンダバナから南下する1本の断層です ヨナグニサンで作った高価な衣服などです。いったいいくらするんでしょうね。
↑館内に2〜3mの島内での蛇捕獲の写真があり それが大陸由来の証拠だったと記憶 館内で上映されているプロモーションビデオ きっとこの写真を載せるのはよくないと思います しかし観光客が知りたい与那国情報が一目瞭然
訪れる人の少ないこの施設に、観光客の皆さん 是非来てほしいと思います。素晴らしい映像が 次々と流れます。 人口1600人の孤島にこんなに高い文化が 存在するのは、長い歴史と孤島の文化の封じ込め
そして、嘗ては7000人もの人口と台湾貿易など 活発な活動があったことが原因である。 また、琉球王朝の支配も
一員でしよう。
とにかく素晴らしい島です。 宇良部岳色がヘンで澄みません
サン望台島南部は軟らかい砂岩泥岩の八重山層群が露出 層状に剥離しながら激しく崩壊している。断層の移動速度は年6cmなので、 20年前の来訪から120cmも移動し、当時使えた展望台は立入禁止に。 立神岩展望台ここも間もなく同じ運命になるでしょう。 池間苗著「与那国異聞」によると立神岩に登ることができたそうだ。
立神岩従ってもっと高くもっと広かったようです。 立神岩と南部海岸また、付近の様子も現在とは違っており、 海岸線が沈降していることがわかる。 東牧場の風力発電島は南北部海岸線が激しい浸食と崩落にさらされている。 琉球大の木村教授によれば、遺跡は四千年前の地震で海没したそうだ。
その頃の島の地形はどんなだったでしょう。 計算すれば海岸線は240mも後退しており、もしそのとき海没すれば、遺跡は 泥岩のタマネギ状風化もっと深くもっと沖に移動しているはずである。 比川 Dr.コトー診療所誰のものか素敵な日よけが立っていて よいアクセントになっています。
山際にぽつんと立つロケセットは健在。 今はノスタルジックな観光施設になっています。 とても懐かしい思いがこみ上げてきます。 景観のアクセントだった廃船は引き上げられ 診療所は開業中(笑)
診療所受付には地元の美人女性が 診察を受けに来た人 テレビにはDr.コトーのドラマが流れていた 今にもコトー先生が出てきそうです 間もなく午後の診察で島民でいっぱいになりそう
この写真は絶海の孤島に追いやられた コトー先生の絶望を追体験する気がします。
いつ来ても変わらない風景。 時間が止まったかのようだ。 集落の人々の手入れもよく行き届いています。
久部ミトゥ断層のそばにあるこの池は久部良ミトゥ湿地帯といわれ民話にも出てくる 昔からの天然の湧き水を集める池です 比川集落にも断層崖の脇に樽舞湿地がある。
久部良池のすぐそばには巨大な島のせり上がり 西崎がある 久部良港 最西端の碑 西崎灯台
この岩礁にも何らかのいわれがあったように思います 手前に見えるのは嘗ての製塩所今はDr.コトーロケセットの近くにある 西崎の避難港 久部良港フェリー乗り場石垣島まで行きます 久部良漁協ロケでも有名になった
カジキは夕方にあがる。今は昼下がり。 のんびりした港風景です。夕方は漁船のラッシュ 漁船が泊まっていると絵になるんですが  与那国島は断層と規則的に剥離する堆積岩で出来た島である。
 子供の頃近くに同じような岩山があり、悪童が集まってはお城や砦や家に見立てて遊んだものだ。
 このような何かに見える岩というのはどこにでもあり、決して珍しい風景ではない。
 慶良間諸島にも城郭に見えるDiving Pointがある。
 それはそのように見えるだけなのだ。
 エジプトのような青銅器もない。インカの様に員鉄もない時代。
 古代の土木技術を知らない現代人の妄想である。 
 琉球弧は1200年代前半に朝鮮半島で30年続いた元寇に敗れ逃げ出した一団によって侵略を受け1270年代には支配者の巨大な墓が作られるようになった。  琉球王朝は朝鮮からの侵略者が支配者だった。伊江島は王朝の始まりの聖地とされるが、最初に侵略者が上陸した島だったのだ。  与那国島が歴史に登場するのは1477年である。
 琉球王朝が与那国島侵略を企てたのは1500年で300年かかって八重山諸島最西端までやってきた。
 マラリアと言えば西表島が有名だが、実は琉球弧全域で古くからある風土病だったのだ。
 与那国島でも古くからマラリアによって人々が苦しんだそうだ。